2012年4月7日土曜日

St.Agatha


   黄金伝説の聖アガタ譚からの引用は特記のないかぎり、人文書院前田敬作ほか訳1985年版訳から" "で抜粋した。解説は、各出典から該当箇所を《 》で引用している。

@ "乙女アガタは、貴族の出で、美貌にめぐまれ、カタニア市に住んでいた。そして、成徳をもって神をうやまっていた。"

 《アガタ1(注一)(Agatha)は、<神聖な>の意のagiosと<神>の意のtheosから来ていて、<神の聖女>という意味である。
 クリュソストモイス(1巻p35注20:)が言っているように、人を聖人にするものは三つあるが、そのどれもが、彼女に完璧にそなわっていたのである。
 その三つとは、こころの純粋さ、聖霊の臨在、あらゆる種類のみちあふれるほどの善行である。
 あるいは、Agathaは、a すなわち(・・・・なしに、を欠いて)とgeosすなわち<大地>とtheosすなわち<神>とに由来し、<大地なき女神>、つまり地上のものへの愛をもたない女神という意味である。
 あるいは、agaすなわち<話している>とthauすなわち<完成>とに由来し、 <完全無欠に話す女>という意味である。われわれは、そのことを彼女が拷問者に与えた返答に見てとることができる。
 あるいはまた、agatすなわち<しもべ>とthaosすなわち<上の>とに由来し、<天のしもべ>という意味である。彼女がそう呼ばれるのは、「最高の自由は、神のしもべであることです」と彼女は言っているからである。
 あるいはまた、agaすなわち<おごそかに>とthauすなわち<完成>とに由来し、<おごそかに完成された女>、つまりおごそかに埋葬された女という意味である。というのは、天使たちが彼女を埋葬したからである。 
 
 *クリュソストモイス(1巻p35注20:本名ヨハネス(ギリシャ語名ではヨアネス、344ないし345〜407)、聖人(祝一・27)、コンスタン� ��イノポリス総大司教、教会博士、東方教会最大の説教家としてその雄弁のため<黄金の口 クリユソストモス>のヨハネスと呼ばれる。
 主著「司教職論」六巻のほか聖書釈義(とくにパウロの手紙に関するものが250以上もある)、説教集、書簡(236通)などおびたたしい著作がある。 )「黄金伝説」 ヤコブス・ウォラギネ 人文書院 前田敬作ほか訳 1985年 一巻p394
第壱巻p35−36付注20より引用。 なお、上記の注[1]は、概要編を参照のこと。》

 

 nobody:聖アガタの解説を、黄金伝説の冒頭文の引用によって行うと、ラテン語による学問的探求と解釈がおこなわれます。ラテン語のわからない私にとって、語源の解釈、AVE(マリア様)をひっくりかえしたらEVA(アダムの妻のイヴ。「聖書 GOOD NEWS」では、アダムの肋骨から作られた女・妻で、禁断の果実・リンゴをたべて人類が「楽園」から追放された原因に寄与したとされる人物)のような中世の人がこのんだとされる「言葉の遊び」、あるいは、物語のイメージをふくらませるトレーニングというか、粗筋や重要語句解説の紹介にも最近思えてきました。師曰く、ここは、試験にでるから「マーク」するように。


A"シチリア州の総督クィンティアヌスは、生まれもいやしく、好色で、貪欲で、異教徒であったが、この高貴な乙女をなんとしてでも愛人にしたいと思った。
 彼女の身分の高貴さで自分のいやしい素姓たかめ、彼女の美しさを自分の好色の餌食にし、彼女の財宝を自分の貪欲を満足させるためにかすめとろうと思ったのである。
 おまけに、偽神たちの崇拝者であったから、彼女に無理やりのでも神々に供犠させようとした。彼はアガタを出頭させた。しかし、彼女の意志を変えることができないとわかると、アプロディシアという名前の女郎屋の女将といずれも罪ぶかい生活を送っているその九人の娼婦たちとにアガタをゆだねた。
 彼女たちは、30日間彼女の意志を変えさせようとつ� ��め、甘言やらおどしやらで彼女の善き意図を棄てさせようとした。 しかし、彼女は言った。
 「わたくしの気持は、かたい岩のうえにたてられ、キリストのなかにしっかりとつながれています。あなたがたの言葉も、わたくしには風のようなものにすぎません。あなたがたの約束ごとも、雨のようなものですし、あなたがたのおどしも、去りゆく流水のようなものでしかありません。どんなに誘惑されても、わたくしという家は、けっして崩壊しません。というのは、堅固な岩を土台にしているのですから」アガタは、毎日女たちにこう答え、泣き、祈り、殉教者の勝利の棕櫚を待ちのぞんだ。"


 《さらに、これらの物語には好色な動機があった。初期の物語では、ブランティーナやペルペトゥアに情欲を燃やした者は誰もいなかった。事実、ペルペトゥアとフェリキタスが裸にされて群衆の前に引き出されたとき、フェリキタスはまだ出産のために出血していたので、群衆は恐怖し、女性には苦難に際しても衣服を着ける尊厳が認められるべきだと懇願したのである。
 テクラの処女性の物語においては、期待されるように、好色の要素が強いが、神の干渉によって遮られた。十三世紀までには、処女の殉教は性的攻撃を受ける形で物語られるようになった。処女の殉教者が売春宿に投げ入れられるとい� ��仕方は、明らかに男性に人気があった敵対的な空想であった。時として、処女の殉教者たちの受難は、集団強姦のように描かれていた。 「キリスト教とセックス戦争ー西洋における女性観念の構造」(カレン・アーム・ストロング 柏書房 1996年 高尾利数 訳、p258)》


 nobody:まず、アガタの述べている「岩」とは、キリストの十二使徒の一人で初代教皇とされるペテロが石に比喩されることを下敷きにしたもので、「教会」を暗示していることなのでしょう。
 州の「総督」は裁判官も兼ねる地方行政長官のような重責ですが、そうとはいっても「徴税請負人」と大差ない当時の行政組織なのですから、成果主義であこぎに成功したものの、まあ、異教徒である以前に、女の子にもてそうな感じがしないセクシャル・ハラスメント男のように描かれていることは、カレン・ア
ーム・ストロング女史の言では、「お約束な展開」のための道具だてなのでしょうから、ノー・コメントとします� ��、アガタの身の上に、どういうことが実際にあったのかは、想像するしかありません。
 想像することの恐怖だけでなく、ジャンヌ・ダルクが一旦罪を認め、約束に反してイギリス兵の管理する牢獄に女の服でつながれ・・・(省略)・・・男の服を着た罪で再堕落の審問の際の記録に触れるに、死に急いでいるような感じを受ける言葉をジャンヌが発するよう
なことなる原因があったのかもしれません。「泣き」ということから判断して、女郎屋らしいことがあったのでしょうか。ローマの歓楽街のこと「サッフォ」の手練で女同士の禁断の愛欲にショックを起こしてしまい、泣いている「うぶな娘さん」なのかもしれません。
 なお、聖女アグネスでも紹介しましたが、黄金伝 説ことLEGENDA AUREAでのアグネスが「売春宿へ閉じ込める」という意味は、アグネスは売春宿で処女喪失し・・・・そして処刑との処女処刑のローマでの法習慣、つまり、「処女を処刑することは法により禁じられていたので、まず、死刑執行人や売春宿の商人がキリスト教徒の処女の花を散らして(deflower)から処刑される、あるは、結婚すると成人と看做されると同じ法理論で、 未成年の少女は「おとな」になってから処刑される」、とのニュアンスが隠されているようです。
 このところのローマ法の解釈はどうなっているのでしょうか。この後も自由ローマ人に対して拷問などというシーンが始まるのですが、ネロの時代、ペテロの「殉教」では彼は自由ローマ人であったので処刑においても磔ではなくローマ人らしい方法で刑が執行されていましたことと比較してローマはどうなってしまったのでしょう。護民官・弁護人、がんばってください。  


アウシュビッツの死の収容所にどのように多くの人々撮影しましたか?

 B" アプロディシアは、アガタが気持をまげないのを見て、クィンティアヌスに言った。「石をやわらげ、鉄を鉛のようにやわらかくするほうが、この娘をキリストから引きはなすよりも、ずっとやさしいでしょう。」 そこで、クィンティアヌスは、彼女をつれてこさせて言った。「あなたは、どういう家柄の生まれなのか」 彼女は答えた。「わたくしは、自由な身分の生まれであるばかりでなく、親戚のすべての者が証明していますように貴族の出です」 クィンティナヌスは、たずねた。
 「自由な身分であり、貴族であるのならば、どうして奴隷のような真似をするのか」 彼女は答えた。「わたくしは、キリストのしもべですから、婢女(はしため)のように生きているのです」  クィンティアヌスは言った。
 「自由な身分であるあなたがどうして婢女のように生きたいのか」 彼女は答えた。「最高の自由は、キリトのしもべであることです」 クィンティアヌスは言った。
 「では、ふたつのうちどちらかを選ぶのだ。神々に犠牲をささげるか、それとも、拷問を受けるか」 聖アガタは言った。「あなたの奥さまは、さぞかしあなたの女神ウェヌスのようなかたであり、あなたご自身も、あなたが崇拝なさっているユピテル(注2)のような人なのでしょうね。」 これを聞いて、クィンティアヌスは、家来にアガタの頬を打たせた。
 「裁判官であるわたしを侮辱し、無礼な無駄口をたたいていはならない」 アガタは答えた。「あなたのような聡明なかたがどうしてこんなばかばかしいことを� ��気で信じていらっしゃるのか、ふしぎでなりません。あなたにしても、あなたの奥さまにしても、ユピテルやウェヌスのような生きかたをできないのに、彼らを神々とよんでいらっしゃいます。そのくせに、わたくしがあなたを彼らのようだと言うと、それを侮辱だとおっしゃる。あなたの神々がほんとうに善神であるのなら、わたくしが言ったことは、あなたに対する賛辞になるはずです。けれども、あの不倫の神々といっしょにされるのは、まぴっらごめんだとおっしゃる。それなら、あなたもわたくしも、意見は一致しているのですわ」
 クィンティアヌスは言った。
 「えらい剣幕でまくしたてるが、そんなへらず口がなんの役にたつのだ。神々に犠牲を供えよ。でなければ、ひどい拷問をくわえて殺してやるぞ!」 
 アガタは答えた。「わたしにむかって猛獣をけしかけてごらんなさい。キリストのおん名を聞いたら、猛獣もおとなしくなるでしょう。わたくしを火で苦しめてごらんなさい。天使たちが天の露でわたくしを救ってくれるでしょう。わたくしを打ったり、そのほかの拷問で責めたてても、聖霊のおん力のおかげでわたくしには蛙の面に水をかけるようなものでしょう。」
 そこで、総督は、そこで総督はアガタを牢獄にぶちこむように命じた。というのは、公衆の面前で総督を嘲笑するような言辞を弄したからである。"

  《(付注2)ユピテル:ローマ神話の最高神、ギリシャ神話のゼウスにあたる。ウェヌスは、ローマの愛と美の女神(また、不倫と売淫の女神)で、ギリシャのアプロディテと同一視される。「黄金伝説」 ヤコブス・ウォラギネ 人文書院 前田敬作ほか訳 1985年 一巻 p401》

 nobody:アガタの問いは、慇懃無礼ではなくてもっと危険なのもで、まっとうな議論マナーとして使ってはいけない質問です。ジャンヌ・ダルクが、異端審問で裁判官や神学者たちから問われた「汝は、神とともにあるとおもうか。」と同種の一種のペテンです。ワニの問いというもので、YESでもNOでも不正解の問いです。答えてはいけません。
 黒いカードを2枚持っていて、どちらか赤いカードを引けたらお前は無罪だ、というとんでもないものです。
 質問の設定自体が罠なのでペテン師の手口にのってはいけません!! YESなら、これ以外の理由もありますが、時代と皇帝にもよりますけれどもユピテルと称せられるのは皇帝だけなので場合によっては総督� ��身が反逆罪やいろんな意味で尊い存在への不敬になってしまいます。
 NOなら、ギリシャ神話のデウスやビーナスと同じく性的に奔放だという侮蔑を認めさせようという伏線になっています。始祖であるナザレのイエスが「カエサルのものはカエサルのものに。神のものは神のものに」とユダヤ人をやり込めたことが有名ですが、この手のペテンにまともに答えてはいけません。
 ジャンヌは、「神様がそばにいらっしゃらないなら、いらっしゃるといい、いらっしゃるならそのままでいてほしい」との趣旨を答え、裁判官ら一同、感動したのかその日の裁判はお開きとなったとの記録があります。
 問題にするから問題になるのですから、ノー・コメントでなくウィットで返すのが粋というものさ、ということなのです。 本来なら、とんち小僧一休さんの出番ということですが、彼は有能すぎてここまで見えてしまったのでしょうか、侮辱と思ってしまうのです。言ってみれば、英米法でいう法廷侮辱罪というものでしょうか。

 C "しかし、彼女は、まるで食事に招かれでもしたように嬉々として牢に入り、この争いを神にゆだねた。翌朝、裁判官は、彼女に言った。「キリストを棄てると誓い、わたしたちの神々をあがめよ」 彼女は、承知しなかった。
 そこで、彼は、彼女を拷問台にかけ、責めたてさせた。アガタは言った。「この責苦はわたくしにとって大きな歓喜です。よい知らせを聞いたときのような、 長いあいだ待ちのぞんでいた友人に会えたときのような、たくさんの宝を見つけたときの喜びです。というのは、小麦も、穂をつよく搗きつぶして、もみがらをとってからでなければ、穀倉に入れることができないからです。つまり、わたくしのたましいも、あなたの刑吏たちにさんざん肉体を切りさいなまされてからでないと、殉教の棕櫚をもって楽園に入っていくことができないのです。"

  《サディストもマゾヒストも、つねに閉ざされた幻想世界に住んでおり、彼らの快楽は怖ろしい孤独の快楽、オナニズムに似た快楽ということができる。つまり、どちらの場合においても、苦痛の代償としての快楽のみが問題なのである。辛辣なモラリストのシャンフォールは、愛を定義して「幻想の交換」と称したが、サディストもマゾヒストも、この幻想の交換なしには生きられない。いや、もし、彼らが本当のサディストあるいはマゾヒストなら、幻想すら孤立していて、交換などということはあり得まい。彼らの孤独は、おそろしく底が深いのだ。
 「サディストは、他者を覆い隠しているその諸行為を剥ぎ取って、他者を裸にしようとする。サディストは、行動の下にひそむ肉体� ��あらわにしようとする」とサルトルが書いている。ここまでは、普通の性行為と何ら変わるところはない。他者の裸体を覆い隠す着物を剥ぎ取り、昼の世界、通常の世界では猥褻と呼ばれる姿態を相手にとらせようと試みることは、べつにサディストでなくとも、すべての人間の性行為に共通だからである。しかし、「肉体の品の良さにおいては、近づくことのできない他者である。
 サディストは、この品の良さを破壊して、他者のいま一つの綜合を現実に構成しようとめざす。サディストは他者の肉体を顕われさせようとする。・・・・・他者の自由は、そこに、この肉体のうちに存在する。そこで、サディストが我が物にしようと試みるのは、他人のこの自由である。それゆえ、サディストの努力は、暴力と苦痛によって、他者 をその肉体のうちに虜にするための努力である」と。
 しかし、サディズムと支配欲ないし権力意志とを、ただちに同じものと考えては誤りを犯すだろう。なぜかというに、「サディズムは、拷問を受けている者の自由を抹殺しようとするものではなくて、むしろ、この自由をして、拷問を受けている肉体に自由意志で同化するように強いるのだから。そういうわけで、体刑執行人にとっては、犠牲者が自由を裏切る瞬間、犠牲者が屈服する瞬間こそ、快楽の瞬間である。・・・・サディストの眼に映じる光景は、肉体の開花に抵抗する一つの自由の光景であり、最後に、肉体のなかに自己を沈没させることを自由に選ぶ一つの自由である、」
 サディズムやマソヒゾムの根底には、主体の自由の問題が横たわっているが故に、あれ ほど多くの実存主義者が、飽きもせずにこの問題を論じているのある。
『サド=マゾヒズムについて』 より引用(「エロスの解剖」 澁澤龍彦 著 河出文庫 河出書房新社 1990年 p104−105)》


プラトニックな男/女の関係は存在しません

 nobody: ちなみに、アガタの言っている「殉教の棕櫚」とは、教えに殉じて死ぬことで最後の審判を経ずに直ぐに天国にゆける、という特権的機会がある、ということが背景にあります。
 もともと、「黄金伝説」は中世の当時は口述で説教する際の教材であることを忘れてはいけないでしょう。自由意志を尊重する観点からだけでも、内容の是非はノー・コメントであります。  話は別となりますが、「強姦願望」とかは、ものの本では、恋人に強姦されるといったような幻想なのであって、実際の強姦は、想像していたのとちがって惨めでひどいものだったという旨の話には、自由意志や性の尊厳の視点からも重要な意味があると思います。 とにかく、「お話」はさらに衝撃的な方向で進みます。 

 D" 怒ったクィンティアヌスは、彼女の乳房を笞で打たせ、長いこと苦しめたあげくに乳房を切り落とさせた。"

  《乳房をめぐる話題に切りがないが、最後に、残忍な宗教的マゾヒズムの例をあげよう。十九世紀におけるキリスト教異端、スコプツィ派の人々は、女性の性欲を消滅させるために、乳房を焼き切ったり、片方あるいは両方の乳房を切断したりした。この一派は、ロシアやルーマニアに信仰の地盤をもっていたようである。乳房の切断ばかりでなく、男性に対しては去勢も行った。
 中世では、多くのキリスト教の聖女たちが、殉教者として乳房を切断されている。なかでも有名なのは、当時の版画や飾り絵になってあまねく知れわたった、パレルモ生まれの聖女アガタである。アガタの恍惚の表情と、ヤットコをもつふたりの拷問者の真剣な表情に、乳房コンプレックスなど知らぬ時代の� ��康さ(!)があると思うのは私だけだろうか。
『乳房について』 より引用(「エロスの解剖」 澁澤龍彦 著 河出文庫 河出書房新社 1990年 p140−141)》

  nobody:この衝撃のシーンを題材とした絵画などは多数、以上。心理学的には、 アマゾンが、片方の乳がない、という意味であるなら、両の乳房を失った聖アガタは、母をイメージする「デメテール型」の大地母神、さらには乙女・娼婦といった誰かのものとなっていないというイメージの「ウェヌス型」女神も、その象徴である乳房をうしない、新たな乙女のイメージとして蘇ったとも考えられるかもしれません。だから、彼女は、宗派をとわず支持され彼女が出身地を守ろうとするのだとも。

  E" 聖女アガタは言った。 「残忍な、神を怖れぬ暴君よ、女性の乳房を切り落とさせて恥ずかしくはないのですか。あなた自身だって、母の乳房を吸ったのではありませんか。しかし、お忘れになってはいけませんよ。わたくしのたましいのなかには、まだ無傷の乳房がそっくりあるのです。わたくしは、子供のころからずっと神さまにささげてきた自分のこころと感覚をその乳房でやしなうことができるのです」 
 彼は、彼女をまた牢に戻し、医者を入れてもならないし、水やパンの差し入れを許可してもならないと命じた。
 ところが、ふしぎなことに、ひとりの老人が、真夜中にたくさんの薬をもってあらわれた。ひとりの童子が、灯りをかかげて老人の先に立っていた。 老人は、彼女に言った。「裁判官は、あなたにひど い拷問をくわえましたが、あなたは、あなたの返答というそれ以上に厳しい笞を彼にあたえました。彼は、あなたの胸を切り落とさせました。しかし、彼がふんぞりかえらせている彼の胸も、いつかは苦渋を味わうことになるのです。あなたが責めさいなまれたとき、わたしは、その場にいました。そして、治療すれば、あなたの胸は治ると見たのです」 
 聖女アガタは答えた。 「わたくしは、これまで一度も肉体の薬をもちいたことがありません。わたくしがこれまで守ってきたことを棄てるのは、恥辱です」
 老人は、彼女に言った。 「娘ごよ、わたくしに恥ずかしがることはありません。 わたくしも、キリスト教徒です」 
 アガタは答えた。 「どうしてあなたを恥ずかしがりましょう。 あなたは、ご老人で� ��し、それもたいへんなお年でいらっしゃいますから、だれも欲情を起こしたりはしないでしょう。 それにしても、おじいさま、わざわざおはこびいただき、わたくしのことを気にかけてくださったことにはお礼申し上げますわ」
 老人は言った。 「なぜあなたはわたしの治療をのぞまれないのですか」 
 彼女は答えた。 「わたくしには主イエス・キリストがいてくださいます。主はすべての被造物をひと言で健康にされ、お言葉でもって万物を新たにされるのです。ですから、主は、そうしようとおもわれたら、いますぐにでもわたくしを治してくださいます」
 老人はにっこりして言った。 「わたしは、じつはあなたの主の使徒です。主がわたしをあなたのところにつかわされたのです。ごらんなさい。あなたは� �主のおん名において癒されました」
 そう言うと、聖ペテロの姿は消えた。聖女アガタは、ひれ伏して主に感謝した。そして、全身の傷がすっかり治ったのを感じた。乳房も、もとどおり胸についていた。  "

  《乳房を切り取られたアガタ:アガタは乳房を切り取られるなどの拷問をうけたが、独房をおとずれたペテロによって傷を癒される。しかし迫害は続き、ついに死んでしまうが、そのときはげしい地震が起こったといわれる。 ところで、彼女のものだと主張される乳房が六つもあるという。牛じゃないんだからねぇ。

 「マリアのウインク」 早坂優子 株式会社資格デザイン研究所 1995年、p161》

  nobody:本当に傷が癒されるという、こういう奇跡だけは、起こってほしい、と思います。長い歴史でみれば、たいがい人間が考えたことは現実のものとなっているそうですから、完璧な想像・理想を考えたらそれを現実にするために、人間、努力しないと。いろいろありましたが、まあ、みんな、幸せに暮らしました、めでたしめでたし、となるために。


なぜ結婚しない男性は、単一の女性と関わって

 F" ところで、番人たちは、あかるい光が見えたので、おどろいて逃げだし、牢獄の扉を開いたままにしておいた。すると、数人の人たちがやってきて、アガタに逃げてくださいとたのんだ。「とんでもないことです」と、彼女は答えた。「逃げだしてせっかくの受難の冠を失い、番人たちを窮地と責苦におとし入れるわけにはいきません」
 それから四日後に、クィンティアヌスは、いつわりの神々に犠牲をささげよ、さもないと、もっとひどい拷苦をあたえるぞと彼女に言った。
 アガタは答えた。「あなたの言葉はむなしくて無意味です。空気をけがし、有害です。あなたは、こころも考えも貧しい人です。わたくしを癒してくださった天主を否定し、死んだ石くれをあがめよ、とわたくしにおっしゃるのですか」
 「だれが� ��まえの傷を治したのか」
 「神のおん子キリストさまです」
 「わたしが聞きたくない名前を聞かせるのか」
 「わたくしは、生きているかぎり、こころと口でキリストをほめたたえまず」 
 そこで、裁判官は、「キリストがほんとうにおまえを健康にしてくれるものかどうか、とくと見てやろう」と言って灼熱した石炭を用意させ、そのうえに陶器やガラスのするどい破片を投げ、アガタを全裸にしてそのうえをころがすようにと命じた。
 刑吏がそのとおり実行したとき、突然、大地震が起こって、カタニアの町をゆさぶり、町の一部は倒壊して、クィンティアヌスのふたりの顧問官が、押しつぶされて死んだ。
 民衆は大挙して総督府に押しかけ、クィンティアヌスにむかって、このような災難がこの町に� �りかかったのは罪のない聖女アガタを拷問にかけたからだ、と叫んだ。クィンティアヌスは、地震と民衆の暴動とに怖れをなして、アガタを牢にもどさせた。彼女はひざまずいて祈った。「わが主イエス・キリストさま、おんみは、わたくしをおつくりになり、子供のころからずっと守ってくださいました。肉体を純潔に保ってくださり、現世への愛を棄てさせてくださいました。おんみに力と忍耐をさずけていただいたおかげで、わたくしは、あらゆる拷問にうち勝つことができました。ですから、どうかもうわたくしの霊を受け入れ、わたくしをおんみのご慈悲のもとにまいらせくださいませ」
 彼女は、こう祈りおわると大きな叫び声をあげた。それとともに、彼女の霊は、天にのぼっていた。主の御誕後253年ごろ、皇帝デキウ� ��(*皇帝ウァレリアヌス(在位253−260)の息子。父が即位と同時に共同統治者に任命され、帝国の西半分の統治をまかされ、父は東半分を統治した。二六〇年父がペルシャ軍に捕らえられて消息不明になってからは単独統治(そのため「名前をふたつもつ」といったのであろう)。268年没))の治下のことであった。"

  《一千年以上にわたってローマ人から最高神として敬われてきたユピテルには、まるで生身の人間に対してのように有罪が宣告された。そして、ローマ人の信仰の座には、ユピテルに代わってキリストが就くことが決まったのだ。これはローマ帝国の国教は、以後、キリスト教となるという宣言であった。

 またこれは、ローマ元老院という多神教の最後の砦が、キリスト教の前に落城したことを意味する。建国の当初からローマ人とともに歩んできた元老院は、1041年後に、キリスト教の前に降伏したのである。降伏したのだから、その後の敗者の運命を決めるのは勝者である。採決を終えた元老院議員の多くが、皇帝の要求を容れて、ローマ古来の神々を捨てて、キリスト教の神の信徒に変わった。

 この日の元老院議会は、犠牲者を一人出す。その人物は議員たちから尊敬されていた人で、言ってみれば元老院議長のような立場にあった人物だが、自死を選んだ、と言われている。ただし、その死が、採決の前に成されたのか、それとも採決の後であったのかはわかっていない。採決前なら抗議の死になり、採決後ならば恥の死になるから自死の意味もちがってくるのだが、これが判然としてないのである。

 だが、自殺した議員が一人しかいなかったという事実は、一つのことを考えさせずにはおかない。それは、キリスト教徒には信仰を捨てよと強いられても拒絶し、殉教をえらぶことが多かったのに、ギリシャ・ローマの宗教には殉教者がでなかったのはなぜか、という問題である。

 これに関しては、異教側の信仰心の弱さが要因とする研究者が少なくない。だが私には、それだけではないような気がしている。問題は信仰心の強弱ではなく、信仰の対象である宗教の性質 キャラクターの違いにあるのではないかと思っているのだ。

 この性質の違いを簡単に言えば、次のようになる。

 一神教とは、自分が信じているのは正しい教えであるから、他の人もそれを信ずるべき、とする考えに立つ。反対に多神教は、自分は信じていないが、信じてる人がいる以上、自分のその人が信ずる教えの存在理由は認める、とする考えである。そして、殉教は、文字どおり、自分の信ずる教えに殉ずる行為であって、そのためには死をも辞さないとする決意である。

 このように考えてくれば、殉教は一神教徒でしか生じえない現象であり、多神教徒には馴染まない現象であることがわかってくる。 21世紀の現在、最も一神教徒らしい一神教徒は、もはやキリスト教徒ではんくイスラム教徒のほうが多いが、自爆テロがどちらの側に頻発しているかを思うだけでも、ギリシア・ローマ宗教の徒に殉教者がでなかった理由も、肉迫可能ではないかと思う。
 ギリシア・ローマ人が敬ってきた神々を捨てよと強いられた場合、彼らにできたのは、このような時代の流れから身を退くこと、くらいではなかったか。 

 ギリシア・ローマの宗教の性質がこのようであったから、十九世紀の歴史家で、ギリシア、コンスタンティアヌス大帝時代のローマ、そして西洋ルネサンスと、今に至るまで魅力を失っていない歴史著作を多数発表してきたブルクハルトも、次のように書いたのである。

 「もしも、コンステンティアヌスからテオドシウスに至る皇帝たちによる、キリスト教のみを宗教と認め他は邪教とした数々の立法が成されていなかったならば、ギリシア・ローマ宗教は現在まで生きのびていたかもしれない。」

 ブルクハルトに言及したので思い出したのだが、キリスト教の勝利による「犠牲者」は、美術にかぎらず文芸もあった。この時代を境にして、首都ローマだけでも二十八も存在した公共図書館もふくめ、ローマ帝国中にあった膨大な数の図書館の閉鎖も始まったのだ。
 ローマ時代の公共図書館の蔵書は、バイリンガル帝国を反映してギリシア語とラテン語の書物に二分されて公開されていたのだが、これらの書物の内容はほとんどすべて、異教の世界を叙述したものだからであった。 図書館の閉鎖がつづくのは、蔵書の散逸である。こうして、古代の知的遺産の多くが消滅した。それらを捜し出して世に出したのは、書物の世界でも、ルネサンスになってからなのである。

  そして、紀元393年には、異教対キリスト教の抗争の歴史の中でも、ローマ元老院でのユピテル神有罪判決と並ぶ、象徴的な立法が公布されたのであった。それは、オリンピアの競技会の全廃を決めた法である。ギリシアのオリンピアで四年に一度開催されてきたこの競技会が、ゼウス(ラテン語ならばユピテル)に捧げられてきたからだ。
 いつも争ってばかりいるギリシアの都市国家がオリンピアに集まり、勝者や敗者の別なく競技を競い合うのが、古代の"オリンピック"の特質であった。
 その第一回は、紀元前776年に開催されたといわれている。だが、これも、実に1169年後に、最後の幕を閉じたのである。それゆえ西洋史では、紀元393年というこの年が、「ギリシアとローマ� �文明が公式に終焉した年」と言われている。『キリストの勝利 ローマ人の物語]W』(塩野七生、新潮社、2005年、p295−298)》


 noboy:こうして、灼熱した石炭のうえに陶器やガラスのするどい破片を投げ、アガタを全裸にしてそのうえをころがされた後、牢の中で「彼女は、こう祈りおわると大きな叫び声をあげた。それとともに、彼女の霊は、天にのぼっていた。」というレトリックのとおり願っていた「御慈悲」が与えられたのでした。それにしても「やすらかに」殉教するのは大変です。
では、その時のようすについて、客観的に知られているのは「叫び声」だけとなるのかね、ワトソン君。

G"キリスト教徒たちが彼女の遺体を香料とともに埋葬しようとし、遺体を墓穴に横たえたとき、不意に絹の衣裳をまとったひとりの少年が、これまでこの町で見かけたことのない、白い衣裳に飾りをつけた百人以上もの美しい男たちを引きつれてあらわれた。
 少年は、遺体に歩み寄り、枕もとに一枚の大理石板を置くなり、たちまち姿が見えなくなった。大理石板には、<彼女は、霊において神聖であり、すすんで殉教に身をささげ、神をうやまい、地方を救った>という意味のことが書かれていた。この偉大な奇跡のために、異教徒もユダヤ教徒も、こころをこめてこの墓をあがめるようになった。
 こうしたあいだに、クィンティアヌスは、聖アガタののこした遺産を横領するため� �馬車で出かけた。
 途中で2頭の馬があばれだした。1頭は、彼に噛みつき、1頭は、彼を蹄で蹴ったので、彼は、川に転落した。遺体は、見つからなかった。

 一年後の聖アガタの誕生日のこと、カタニア市にほど近い大きな山(エトナ山)が噴火した。溶岩が急流のように山をくだり、石も土も溶かしながら、猛烈ないきおいで町にせまった。そのとき、異教徒たちは、山を駆けおりて聖アガタの墓に逃げてきて、墓をおおっていた薄帛(うすぎぬ)を持ちだし、それを溶岩にむかってなげた。すると、溶岩は、そこでぴたりととまり、それ以上流れなかった。聖アガタの誕生日のことであった。

  アンブロシウスは、『序文』のなかでこの聖女についてすぎのように語っている 。「主を賛美するために血を流すことができた幸福の高名な乙女よ、あなたはふたつの飾りでかざられています。あなたの受難に際しては、あらゆる奇跡が起こり、主の天使が来てあなたを癒されました。あなたは、そのようにしてキリストの花嫁となって天に迎えられました。また、あなたが地上にのこされた聖遺体にも、高い栄誉があたえられました。天使の群れがあらわれて、あなたのたましいが神聖であることとあなたがその地方の救いになることを告知したのです」   "

 《いったんキリスト教徒になれば、皇帝といえども一匹の羊にすぎない。「羊」と「羊飼い」では、勝負は明らかであったのだ。ミラノ司教アンブロシウスは、キリスト教と世俗の権力の関係を、実に正確に把握していたにちがいない。皇帝がその地位につくのも権力を行使できるのも、神が認めたからであり、その神の意向を人間に伝えるのは司教とされている以上、皇帝といえども司教の意に逆らうことはできない。これが、両者の関係の真実である。

    『キリストの勝利 ローマ人の物語]W』( 塩野七生、新潮社、2005年)》

  nobody:『キリストの勝利 ローマ人の物語]W』( 塩野七生、新潮社、2005年)によれば、「地獄」という概念は、アンブロシウス司教の時代にはまだ新しい概念であったそうです。
 そうしたコンテクストを踏まえて天国がでてくるのですが、そうなると、おとめ賛美の一方で、一体、子供は誰がうむのでしょうか。当時は、食糧難だったのかもしれません。つまり、逆説的には、生きているの人びとの「羊飼い」たる為政者たるもの「要望のデパート」でなければらないのです。その矛盾を解決するために「聖人」が創立されたとのことです。
 最後に、キリスト教の普及に功績のあったアンブロシウス司教の聖人信仰の創設について『キリストの勝利 ローマ人の物語]W』( 塩野七生、新潮社、2005年 p303−304)ご紹介して終わりとします。

 《そして、もっとも独創的で、かつキリスト教の普及に力があったのは、アンブロシウスによる、聖人信仰の創立であったのだった。
 人間は、何かにすがりたいから宗教を求める。だが、すがりたい想いはなぜか、唯一神にお願いするのははばかられるような、身近の雑事である場合が少なくない。昔は、夫婦喧嘩にさえも守護神がいて、その神に祈願するのでこと足りたのだが、一神教の世の中になった今では、夫婦喧嘩を担当していた女神ヴィリプラカもアウトローの一人になってしまっている。と言って、唯一最高の神や、その子イエス・キリ� ��トにお願いするのも気がひける。誰か他に、もう少し大仰でなく気軽にすがれる守護者はいないものか。
 人々の素朴で健全なこの願望を、アンブロシウスは汲み上げる方策を考えついたのであった。
 とはいえ、キリスト教では神は一人しか認めていない。ゆえに、昔の神々を復活させることはできない以上、新たな守護者を見つける必要があった。迫害時代の殉教者への信仰を認めはしたのだが、ローマ皇帝たちによるキリスト教弾圧は散発的であったし、しかも徹底していなかった。唯一の例外はディアクレティアヌス帝の弾圧だが、それとて三、四年しかつづかなかったのである。それゆえ、殉教者を全員集めても、民衆の願望を満たすには不十分であったのだ。
  それで、アンブロシウスが考えついたのが、聖人� �大量に生産することである。とはいえ、聖人への昇格には教会の認可が必要であり、その認定基準は、キリスト教徒がモデルにするにふさわしい人、であることはもちろんだった。
 一神教の世界での敬いの対象であるからには、多神教時代のような「守護神」ではく「守護聖人」となる。それでもアンブロシウスは、一神教は守りながら民衆の素朴な願望も満足させるという離れ技を、見事なまでに成功させたのであった。『キリストの勝利 ローマ人の物語]W』( 塩野七生、新潮社、2005年 p303−304)》


 (主要参考文献)
 「聖者の事典」 エリザベス・ハラム編 柏書房 鏡リュウジ・宇佐和道訳 1996年
 「守護聖人」 真野隆也 新紀元社 1997年
 「黄金伝説」 ヤコブス・ウォラギネ 人文書院 前田敬作ほか訳 1985年 一巻
 「黄金伝説抄」ヤコブス・ウォラギネ 新泉社 藤代幸一訳 1983年 
 「教会の聖人たち」 池田敏夫 サンパウロ 1977年 上下巻 
 「絵画で読む聖書」 中丸明 新潮文庫 2000年 508−509頁
 「女神」 高平鳴海 新紀元社 1998年 
 「マリアのウインク」 早坂優子 株式会社資格デザイン研究所 1995年
 「迷走する帝国 ローマ人の物語]U」 塩野七生 新潮� � 2003年
 『最後の努力 ローマ人の物語]V』 塩野七生、新潮社、2004年
  『キリストの勝利 ローマ人の物語]W』 塩野七生、新潮社、2005年


 補遺:2月6日 聖アガタおとめ殉教女(看護婦・火災予防の保護者)

 以下は、 「教会の聖人たち」(池田敏夫 サンパウロ 1977年 上巻 p189−191)からの引用である(ちなみに、2月5日は「日本二十六殉教者」となっている)。


 "聖アガタは、イタリアはシシリア島のエトナの山麓にあるカタニア市に、3世紀の半ば、貴族の家に生まれた。聖女が火災予防の保護の聖人と言われるのは、エトナ火山爆発のさい、この聖女の墓に行ってその保護を求めると、災難をまぬがれると言い伝えられているからである。
  両親は、身分が高く、財産も豊かであった。アガタは、容貌が美しく、教養も高かった。性質は、おとなしく、家柄や財産や身なりや学識を鼻にかけることなく、小さい時から信心深かった。シシリア島の知事クインチアノは、アガタの美貌と家の財産に心をひかれ、職権を利用して、妾にしようとした。しかし、熱心な信者であるアガタが、そういうことばに従うはずがない、きっぱりと断った。
 当時のローマ皇帝デチオは、キリスト教を弾圧し、「信者を捕らえよ」と命令した。知事はこれさいわいとばかり、アガタを私邸に連行させ、「信仰を捨てて、私の言うとおりにしなさい」と、おどしたり、すかしたりしたが、アガタの固い決心を動かすことはできなかった。そこで知事は、アガタを売春婦たちのもとに預け、一か月� �、さまざまに誘惑させた。それでも効き目がないので、売春婦たちは、アガタを知事にもとに送り返し、「この女の心を変えるのは大理石をとかすより難しいようです」と答えたという。
 知事は、拷問の道具の前にアガタを引き出しておどした。
 「おまえは、人もうらやむ貴族の家に生まれ、何不足ない身分でありながら、どうして人びとがもっとも嫌うキリスト信者となったのか」「人びとがキリスト教を低く見るのは、その教えを知らないからです。質素な、心豊かな生活は、一般の人でも求めることで、信者は、とくに神の前で質朴に、謙虚に生きることを誇りにしてます」「そんな理屈を聞くために、おまえをここに連れ出したのではない。今からキリスト教を捨てて、わが国の神々を礼拝せよ。さもないといろいろ� �責め苦にあって死ななければならないぞ」「あなたこそ、終わりない罰をうけないように、心あらためて真の神様を信じなさい」。知事はカーッとなってアガタの顔をなぐり、留置場にほうり込んだ。
 翌日、知事はふたたびアガタを呼び出し、「どうだ、よく考えたか、教えを捨てなれば、もっとひどい目に会うぞ」「私は、この苦しみによってキリストのもとに行くことができますから、かえって喜んでいます。小麦もよくつかないと、倉に貯えません。私の体も、この世でひどくくだいていただかないと、天国に入りにくいのです。どうぞ、あなたの思うままに苦しめてください。なぐるなり、焼くなり、猛獣のえじきにするなり、どうにでもしてください。覚悟はできていますから」。
 知事は、心を鬼にして、真っ赤に� �いた鉄棒をアガタの体に押しつけ、その乳房までも切り落とさせた。
 この時まで黙って辛抱していたアガタも、この時、はじめて口を開き、「あなたは子供の時には、お母さんのお乳をお飲みになったのでしょうに、か弱い女の乳房を切り取るのは、あまりに乱暴ではありませんか」と知事をたしなめた。
 知事もかえすことばもなく留置場へ連れ戻させ、飲食物を与えず、傷の治療もさせずに放っておいた。出血多量と衰弱でアガタは虫の息で祈っていると、聖ペテロが現れ、アガタを慰め励まし、その傷まですっかり治したという。
 四日後、知事はアガタを引き出し、魔法の力に負けてたまるかと、こんどは地上に炭火とガラスのかけらをまき、そこへアガタを裸にして押し倒し、引きずり回したからたまらない。アガ タは血まみれになり、息もたえだえとなった。ちょうどその時、大地震が起こり、町中が大騒ぎを起こし、知事官邸にも人びとが押し寄せてきた。内乱を恐れてアガタを留置場に閉じこめた。
 この時、アガタは苦しい息をつぎながら、「主よ、み栄えのために戦わせてくださったことを深く感謝いたします。この世の楽しみを求めず、潔白を保つことができたのも主のお恵みです。どうぞ私を主のみ前に召しください」と祈り終えて、息絶えた。これは二五一年のことであった。信者たちはアガタの殉教を知り、地震の騒ぎにまぎれて、アガタの遺体を運び去り、丁重に葬った。
 知事は、アガタの家の財宝を奪いたいと思い、その家へ行く途中、馬から落ちて近くの川に転げこみ、ついに溺れ死んだ。
 アガタの死後、その� ��願によって多くの奇跡が起こった。聖女ルチアは、アガタの墓に行って、自分の母の病気の回復を祈り、聞き入れられたという。" 


 



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