イスラエルの歴史-聖書の民 | シオンとの架け橋
聖書の民
旧約聖書を開くと、そこには古代イスラエルの民の歴史物語が書かれています。
現代イスラエル国家を設立したユダヤ人たちは、人によって程度の違いはありますが、この旧約聖書の物語が、何らかの形で自らの民族の歴史であると考えています。
旧約聖書は一冊の本というより様々な書物の集大成で、その中には、神による世界の創造、 アブラハム、モーセ、ヨシュア、ダビデなどの物語を描いた叙事的物語から、ヨブ記や伝道者の書のように、信仰の内面に迫ったもの、 また歴史の中に翻弄されていくイスラエルの民や苦悩する預言者の姿など、実に多くの物語が含まれています。
神のアブラハムに対する約束
聖書におけるユダヤ民族を理解する鍵となるのは「神と民族の約束」です。 そのような約束の実在を信じない人もいるでしょうが、この「約束」は現在のユダヤ、キリスト、イスラム教の基本であり、今も世界を動かしているのです。
インノケンティウス3世の下で皇帝たちでした
聖書によると、ユダヤ民族の起源は、紀元前20世紀に遡ります。 ユダヤ人の父祖アブラム(後にアブラハムと呼ばれる)は、ユーフラテス川のほとりで遊牧を営むヘブライ人の族長でしたが、 神の命令に従いカナンの地に移住しました。
創世記には、神がアブラハムにその一人息子イサクを犠牲にせよと命じる物語が記されています。 この時にアブラハムが示した忠実のゆえに、神はアブラハムとその子孫に祝福を与えると約束されました。
アブラハムの息子はイサク、その息子はヤコブです。ヤコブの12人の息子たちから、イスラエルの12部族が生まれました。
聖書にはこのヤコブが、天使と格闘したのち「イスラエル」という名をもらうという物語があり、イスラエルという名前がユダヤ民族の名称となりました。 またユダヤ人という名称は12部族の中のユダ族から由来しています。
"聖書インスティチュートとは何か"
ユダヤ民族の形成
最初は一つの家族だったイスラエルが民族となるのは、紀元前13世紀の出エジプトの事件以降です。 飢饉のためエジプトに移住した後、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民は、モーセによってエジプトを脱出します。
彼らはシナイ半島を40年間も放浪した後、神が約束したカナンの地にやってきますが、カナンに向かう途中、モーセはシナイ山で神から十戒を授けられます。
この出エジプト記や創世記を含む、旧約聖書(ヘブライ聖書)の最初の5つの書は、モーセ五書と言われ、ユダヤ教の戒律となり、 中でも十戒はユダヤ教の教義の中核となっています。 十戒に書かれている「あなたはわたしのほかに何者をも神としてはならない」や「像を造って拝んではならない」という神に関する定めは、 当時多神教や偶像礼拝が一般的だった古代世界では、とても特異な事柄でした。
なぜジョン1でした。
最初のイスラエル国家(第一神殿時代)
紀元前11世紀頃、カナンの地に定着したイスラエルの民は、イスラエル王国を建国します。 イスラエル王国は、第2代のダビデ王、続くソロモン王の時代に最盛期を迎え、ソロモン王はエルサレムに壮麗な神殿(第一神殿)を築きました。
この神殿は十戒の石版を収めた聖櫃(契約の箱)を安置した場所であり、民族の信仰の中心でした。
ソロモン王の死後、王国は北のイスラエル王国(10部族)と南のユダ王国(2部族)に分裂します。 そして紀元前722年にイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされてしまいました。 この時にアッシリアに連行された人々の行方は不明で、「失われた10族」と呼ばれます。 これ以後、イスラエルは実質的にユダ王国となり、現在の「ユダヤ人」という呼び方が生まれました。
滅亡を免れたユダ王国も、紀元前586年にバビロニアのネブカドネザル王によって滅ぼされてしまいます。 そしてエルサレムの神殿は破壊され、住民はバビロニアに連れて行かれました。これを「バビロン捕囚」と言います。
第二神殿時代
紀元前538年、ユダヤ人たちは帰国を許され、エズラやネヘミヤらの指導者によりエルサレムを再建し、かつて破壊された神殿も再建されました。 これを「第二神殿」と言います。 そして指導者たちは、神から与えられた十戒などの律法(トーラー)を守ることによって民族の間で失われてきた信仰を復活させようとしました。
その後のユダヤ人は、ペルシャ、エジプトやシリアの支配を受けながらも、律法に基づく生活を守り、サンヘドリンと呼ばれる宗教・司法上の最高機関の設置が許可されるなど、基本的な自治権をもって生活していました。
紀元前2世紀には、マカベヤ家が起こした反乱によりユダヤ人たちは独立を回復しましたが、ローマ軍により滅ぼされてしまいます。 新約聖書に記されたイエス・キリストは、この時代に現れました。
紀元66年、ユダヤ人たちはローマ軍に対する激しい反乱を起こしましたが失敗。 70年にはエルサレム神殿が破壊されます。 これ以後、ユダヤ人はイスラエルの地を追放され離散(ディアスポラ)の歴史が始まります。
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