宗教改革期の諸信条
毎年、10月最終主日を宗教改革記念日として覚え、宗教改革に関する文書を,配布していますが、今年は、宗教改革時代に作られた、代表的な信条について記します。
宗教改革は、16世紀、17世紀の時代ですが、プロテスタント(新教)は、たくさんの信条を作成しました。ルター派、改革派、バプテスト派、会衆派、その他、それぞれの教派が、自分たちの信仰を信条で積極的に表明しました。
信条を、最初に作ったのはルター派です。ルターに指導されたルター派教会は、6つの信条を作りました。それらは、アウグスブルク信仰告白(1530年)、アウグスブルク信仰告白の弁証(1530年)、ルターの大教理問答書(1529年)、ルターの小教理問答書 (1529年)、シュマルカルト条項(1536年)、和協条(1577年)です。
それで、今は、これらの信条について逐一述べませんが、ルター派教会の信条作成の特色は、この6つしか作らなかったことです。ルター派信仰は、母国のドイツから始まって、広くョーロッパ各国に伝わりましたが、しかし、ョーロッパ各国のルター派教会は、特には、信条を作りませんでした。ドイツで作られた6つの信条を持つことで満足したことだけを覚えたいと思います。
では、改革派教会の信条はどうだったでしょうか。すると、カルヴァン以来、各国の改革派教会が、自分たちの言葉で、次々と信条を作って、自分たちの信仰を積極的に表明しました。そのため、改革派信条は、何十もあります。小さいものまで入れれば、さらに数は増えるでしょう。
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そこで、代表的な改革派信条を見ておきましょう。改革派信条の代表として、しばしば挙げられるものを見ておきましょう。そして、それぞれの特色について記しておきます。ウェストミンスター信仰基準については、これまで何回か書きましたので、今回は、ウェストミンスター信仰基準以外の改革派信条について記します。
1「ジュネーブ教会信仰問答」 カルヴァン1542年
これは、宗教改革者カルヴァンが、スイスのジュネーブで、宗教改革を始めてから、子供たちに正しい信仰の教育を施す必要を感じて作ったもので、その後の改革派教会の信仰問答の礎となった、極めて重要なものです。改革派のすべての教理問答は、この「ジュネーブ教会信仰問答」から始まったといえるほどのものです。
前文に、「すなわち牧師が問い子供が答える対話の形式で作られた、子供たちをキリスト教に教育する文言集」と記されていますように、牧師が子供と問答しながら教えていく形で作られています。
内容は、序文、使徒信条の解説、十戒の解説、主の祈りの解説、ネL典(洗礼と聖餐)の解説でできています。問1は、「人生の主な目的は何ですか。答え 神を知ることであります。」となっていて、後のウェストミンスター小教理問答第1問と、とてもよく似ています。ウェストミンスター小教理問答が、ジュネーブ教会信仰問答の影響を受けていたことがとてもよくわかります。
2 ハイデルベルク信仰問答 ドイツ 1563年
この信仰問答は、ドイツ語圏で作られた改革派信条文書として代表的なものです。カルヴァンが死ぬのが、1564年ですから、その1年前に作られたことになります。
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作った人は、ウルジヌスとオレヴィアヌスという2人の人ですが、主に、ウルジヌスが作ったといわれます。ドイツのハイデルベルクで作られたので、ハイデルベルク信仰問答といわれます。
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3 聖公会大綱 英国(イングランド)1563年作成、
1571年英国議会で承認
この信条は、第1条から第39条まであるので、「39箇条」ともよく言われます。ウェストミンスター信仰基準を作った、ウェストミンスター神学者会議は、実は、最初は、この39個条を改定する作業をしました。しかし、改定ではすまないことがわかり、新しい信条、すなわち、ウェストミンスター信仰告白を作成することになったのです。
この39個条は、今日でもなお、英国聖公会の信条として用いられています。内容の特色は、いたって改革派的、カルヴァン主義的です。第17条で、「予定と選びについて」とありまして、改革派予定論を堂々と表明しています。
4 アイルランド信条 1 6 1 5年
この信条は、アイルランドのジェームス・アッシヤーいう有名な神学者によって作成されました。アッシヤーという人は、ウェストミンスター会議に1度出席したことがあるともいわれています。ウェストミンスター信仰基準を作った人々は、このアッシヤーを大変尊敬し、アッシヤーの書いた「神学体系」をよく読んでいました。
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そして、実は、このアイルランド信条こそ、ウェストミンスター信仰告白のある意味の下敷きとなった信条です。ですから、両者を並べるととてもよく似ています。ウェストミンスター信仰告白も、それ以前にあった信条を踏まえて書かれていることがよくわかります。
5 ドルト信条 オランダ 1618年−1619年
この信条は、アルミニウス主義の誤りを反駁するために作成された信条です。アルミニウスという人は、オランダ人でしたが、スイスのジュネーブに勉強に行きました。スイスのジュネーブでは、カルヴァン亡き後、ベザという人が後継者として教えていましたが、アルミニウスは、カルヴァン主義の予定論を受け入れることができませんでした。オランダに帰ってきて、予定論の批判を始めました。
また、アルミニウスに同調する人々が出てきて、それらの人々は、アルミニウス主義者(アルミニアン)と呼ばれました。そして、アルミニウス主義は、次第に広まり、カルヴァン主義者を圧迫する事態も出てきました。そこで、ドルトという町に、改革派の神学者や牧師たちが、オランダからだけでなく、ョーロッパ各地からも集まり、アルミニウス主義の誤りを反駁し、聖書に基づく正しい教えを表明しました。130人の会議でした。
ドルト信条の特色は、カルヴァン主義の5特質として、私たちが、よく知っているものです。それらは、全的堕落、無条件的選び、限定的蹟罪、不可抗的恩恵、聖徒の堅忍の5つです。カルヴァン主義の5特質については、数年前の南浦和教会の1日修養会で学びました。
結論
このようにして、改革派信仰は、各国にその信仰が伝わると、その国に改革派教会が形成され、自分自身の言葉で、信条のかたちで積極的に表明したということがよくわかります。日本の改革派教会もそうです.自分たちが信じていることを、自分の言葉で表明することを目指して歩んでいます。そのためにも、ウェストミンスター信仰基準をはじめ、改革派諸信条に親しみ、理解を深めていきたいと思います。
主の2000年10月29日 宗教改革記念主日
(解題)
この小論は、宗教改革の理解を深める目的で、わたしが書いて、宗教改革記念主日に、教会の方々に配配付したものです。改革派教会には、70ぐらいの信条があるとも言われますが、信条の宝庫です。信条作成ができるということは、その教派や教会に信仰のエネルギオーがあることを意味します。改革派教会は、信仰のエネルギーにあふれて、信条作成してきました。とはいえ、欧米の教会は歴史があるわけですが、日本はまだ150年のキリスト教の歴史です。いよいよこれからです。新信条の前段階として、信仰の宣言を作ってきたことは、すばらしいことです。個人的には、神による万物の創造についての信仰の宣言あるいは、神に創造され、神との交わりに心満たされて生きていく人間についての宣言、教会と クリスチャンが歴史の中心である神の摂理についての宣言、罪のこの世に置かれて使命を力強く果たしていく教会についての信仰の宣言などが必要と思います。
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