1B 偽預言者の除去 1−6
2B 試される民 7−9
2A 着座される王 14
1B 高められるエルサレム 1−11
1C 立たれる主 1−5
2C すべての王 6−11
2B 主の宮への参拝 12−21
1C 敵の間の恐慌 12−15
2C 仮庵の祭り 16−21
本文
ゼカリヤ書13章と14章を学びます。ついにクライマックスが来ました。ここでのメッセージ題名は、「主が来られる」です。
1A 罪と汚れの清め 13
13章は、12章の終わりの続きになります。エルサレムの住民のために戦う主を彼らが見たら、それは先祖が突き刺したイエスでありました。それで彼らは、とてつもない罪を犯したことで激しく泣きます。その嘆きは、イスラエルの指導層、そして一般の人々、あらゆる人々に及び、しかも、家族の中でも一人ひとりが個人的に泣き、表面的ではない、徹底した霊的覚醒が起こります。
13章はその後の続きです。
1B 偽預言者の除去 1−6
13:1 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。
12章10節に、主が御霊を彼らの上に降り注がれることが書かれています。その注ぎによって、彼らはメシヤがイエス様であることを悟るのですが、それにともない、罪と汚れを清める泉も開かれます。もちろん、この泉はキリストご自身です。キリストが流された血が彼らの心にも注がれます。こうして彼らは、今私たちが経験する御霊による新生を経験するのです。
御霊の洗い清めについては、例えばテトスへの手紙にこう書かれています。「神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。(テトス3:5)」また、コリント第一6章11節には、「主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。」とあります。
イエス様がこの御霊の新生についてお語りになった時、ユダヤ人指導者のニコデモは理解できませんでした。「どうして、そのようなことがありえるのでしょう。(ヨハネ3:9)」と答えています。そこでイエス様は尋ねられました。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。(同10節)」イスラエルの教師であれば分かって当然のこと、そうです、旧約聖書の中にこのことがしっかりと書かれているのです。
エゼキエル書36章を開いてください。エゼキエルは、36章からイスラエルが回復する幻を見ます。36章には、彼らが土地に戻ってくることの約束が、37章には彼らの国が再び建てられることの約束、そして38章と39章には周囲の敵がイスラエルを攻めるが、神が介入してくださり、彼らが救われる約束です。それぞれの約束で、最後に、「わたしは彼らをきよめる」という約束も神は与えてくださっています。
その一つを見たいと思いますが、36章25節からです。「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。(25-27節)」
ここで大事なのは「心」です。私たちは自分の行ないを改めようと思っても、心が堕落しているので罪を犯さざるを得なくなっています。けれども神がご自分の霊によって私たちの心、そして霊を新しくしてくださるなら、私たちは神の命令に従うことができるようになります。それはもはや、その側の律法の行ないではなく、神を個人的に知っている愛の関係のゆえに可能となります。
今度はエレミヤ書31章を開いてください。ユダが堕落してしまい、もう神に従っていくことはできないと神は判断されました。それでユダをバビロンに捕え移されることを決められましたが、けれども神は、新たな約束を与えてくださっています。「見よ。その日が来る。・・主の御告げ。・・その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。・・主の御告げ。・・」
神は、「新しい契約」と呼ばれています。新約聖書という言葉はここから来ていますが、イエス様が最後の晩餐において弟子た ちに杯を回された時、「これは、あなたがたのために流される新しい契約の血です。」と言われました。イエス様は、ここのエレミヤの預言のことを思いながら、そうお語りになったのです。
どうして、「新しい契約」と呼ばれているのでしょうか?その前に契約があるからですね。それがシナイ山のところで主がイスラエルの民に与えられた契約であり、律法に基づくものです。けれども、イスラエルの民はずっと律法に背きつづけ、今、戻ることができない所まで来てしまいました。続けて読みましょう。
「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。・・主の御告げ。・・わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となる。そのようにして、人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。・・主の御告げ。・・わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」(以上31-34節)」モーセは二枚の石の板をもってシナイ山から降りてきました。けれども律法やもはや、石に刻まれている文字ではなく、心に刻まれるのだ、と言われるのです。先ほどのエゼキエルの預言と同じです。
そのため、どう書いてありますか?「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」です。もはや、律法と言う規則を守って主とつながろうとする主人と僕の関係ではなく、妻が夫を知っているように、子が父を知っているように、個人的な、人格的な関係に入るのです。
そして神様は、罪の完全な赦しを宣言してくださっています。もう思い出さない、とまで言われます。「でも神様は、私はこんなに酷い罪を犯しんですよ!」と訴えても、「何 それ?」と言われるだけです。もう二度と思い出さないのですから。
このように、すばらしい御霊の新生がイスラエルの人々に与えられます。
13:2 その日、・・万軍の主の御告げ。・・わたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。
偶像と偽預言者らが取り除かれます。まず偶像についてですが、既に10章2節で偶像がイスラエルに終わりの時に至るまで存在することを見ました。現代のイスラエルにも、偶像はたくさんあります。実際に東洋神秘に凝っている人々は多いし、また不品行も充満しています。イスラエルでは、売春は合法、中絶も部分的に認められており、異邦人の国と何ら変わらない状況です。
そして終わりの時にも偶像があります。黙示録9章には、底知れぬ所から出てきたいなごのような、さそりの毒をもつ悪霊に苦しめられ、そして二億人の軍隊が世界の人々を殺しますが、それでも「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。(20-21節)」とあります。
そして何よりも、獣、反キリストの国そのものが偶像礼拝です。反キリストが聖所の中に入り、自分こそが神であると宣言し、そしてもう一匹の獣が獣を拝むように仕向けます。獣の像を作り、その像がものを言うようにさせ、この像を拝まないものは殺しました。
そして偽預言者です。偽預言者と「汚れの霊」が共に語られていますが、これは偽りの教えには、必ず悪霊がその背後にいるからです。パウロが言いました。「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。(1テモテ4:1)」
そして偽預言者らが、終わりの時、特に大患難の時に、イスラエルの残りの民を惑わすことをイエス様は警告されました。「そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。(マタイ24:23-24)」これも、今のイスラエルはあらゆるカルトを受け入れている現状を見ると、その徴候を見るのです。けれども、彼らが殺されます。
13:3 なお預言する者があれば、彼を生んだ父と母とが彼に向かって言うであろう。「あなたは生きていてはならない。主の名を使ってうそを告げたから。」と。彼を生んだ父と母が、彼の預言しているときに、彼を刺し殺そう。
これは申命記に書かれている戒めです。偽預言者は殺されなければいけないのですが、それが家族の間から出てきたら、その家族が殺しなさいという命令です。「あなたと母を同じくするあなたの兄弟、あるいはあなたの息子、娘、またはあなたの愛妻、またはあなたの無二の親友が、ひそかにあなたをそそのかして、「さあ、ほかの神々に仕えよう。」と言うかもしれない。これは、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった神々で、地の果てから果てまで、あなたの近くにいる、あるいはあなたから遠く離れている、あなたがたの回りの国々の民の神である。あなたは、そういう者に同意したり、耳を貸したりしてはならない。このような者にあわれみをかけたり、同情したり、彼をかばったりしてはならな� ��。必ず彼を殺さなければならない。彼を殺すには、まず、あなたが彼に手を下し、その後、民がみな、その手を下すようにしなさい。(申命13:6-9)」
!doctype>