国民日報連載に連載された金圭東牧師の証し - ヨハン教会のキリスト教入門
国民日報連載に連載された金圭東牧師の証し
[2000年7月24日に献げられたヨハン東京教会入堂式のテーブカットの様子]
ヨハン東京キリスト教会(ヨハン早稲田キリスト教会)の入堂式までに至る道のりは正に、主の御業である。
国民日報に連載された金圭東牧師先生の証を掲載する。
「愛する聖徒の皆さん、ついに皆さんの手によって建てられた教会で神様に礼拝を献げられるようになりました。皆さん、これまで大変お疲れさまでした。」「私達も教会ができた」とマイクでも持って日本列島を飛び出して叫びたい心情であった。地上5階、地下1階の教会は、それまで居場所がなく渡り島のようにさまよいながら礼拝を献げた私達を、温かく迎え喜ばしく思っているようであった。
神秘的な何を意味している
先月の二十四日、教会開拓十二周年になって東京の北新宿に建てられた教会で、入堂式の礼拝が献げられたその日は、私にとっても、聖徒たちにとっても歴史的な日であった。入堂式のために聖徒たちは夜明けから来て、教会を隅々まで掃いたり、磨いたりしていた。まるで、新しい家に引っ越しするときうきうきするように、働きながらもひたすら楽しい様子だった。
聖徒たちの手できれいに整理された教会の入口に掛けられたテープを切るために立ったのだが、何とも言えない感動と喜びで体が震えた。この瞬間に感激したのは私だけであろうか.ひたすら日本の地に福音を伝えるために前だけを見て走ったこの12
ユダヤ教で祝ったいくつかの神聖な日は何ですか
年を振り返ると、つらく困難な絶頂の連続であった。ここに神様の働きがなかったら、絶対にここまで来ることはできなかったと敢えて言いたい。ついに歓呼とともにテープが掛けられた。教会に堂々と立つ十字架の下に書かれた『ヨハン東京キリスト教会・ヨハン早稲田キリスト教会』の名前を眺めると、鼻筋がずきずきした。
この建物を手に入れるために、千余名にもなる聖徒がどんなにたくさん涙を流しながら祈ったか知っていた。朝の眠りを覚ましながら励んだ新聞配達、食堂で皿洗いをしながらもきちんと十一献金と建築献金を献げた貧しい留学生たちの手を、どうして忘れることができようか。教会開拓何年かでたやすく大きな� �物を建てた教会も多いが、聖徒の大部分が留学生である私達の教会ではけっして簡単なことではない。
私たちの先祖天の芸術
入堂式礼拝を献げる途中、他の牧師先生たちがお祝いのメッセージを語るときも、説教をするときも始終目を開けることも笑うこともできなかった。今にも涙が流れそうであった。頭の中をあらゆる考えがかすめて過ぎていった。1985年大学のキャンパスを巡回し伝道した日、十六名の聖徒を出発点とし、創立礼拝を献げた日、留学生たちの両親の役割をしながら信仰で彼らと苦楽を共にした日、そして、ある日いきなり私に迫ってきた陰謀とテロ事件、また事件、事件の連続。
「皆さん、これまで本当にたくさん苦労しました。トイレのない建物で礼拝を献げたとき、近所の公園のトイレを使うためにあちこち走りまわった皆さん、今ここでは思うままに礼拝 と讃美を献げましょう。」釜山のイサベル女子高の学園長であられる柳グムジョン博士の祝賀の言葉にしぱらくの間どっと大笑いするようであったが、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえた。
突然悲しみの様子が現れた。我が聖徒たちはもともと良い信仰をもつ留学生もいるが、相当にたくさんの人数が留学に来て信じるようになった人たちである。彼らは初めて経験する神様の愛に深く浸りながらヨハン教会を心から大事にした。すでに私たちは神様のうちに、兄弟姉妹であり家族であった。今彼らとともに祈り、讃美しながら、笑い、泣きながら歩んできたすべてのことを告白することにする。
ヨハン早稲田キリスト教会 文書宣教部
0 コメント:
コメントを投稿