イスラーム
イスラームに関しては、わたしもまだムスリマではないし、まだ自分の中でも整理がついてないことが多いです。よってはっきりとした意見もありません。だから他人に偉そうに言えることは何もないなぁと思い、ゆっくり作っていこうと思っています。ごあいさつで書いたことはイスラームをまだ学問的に見ているから言えることなのかもしれません。それにボーン・ムスリムではないのでやはりボーン・ムスリムの考えることや感じることとはかなり違う捉え方をしているのだと思います。
エジプトに住むようになって嫌でも意識しなければならないことがありました。それがイスラームです。1日5回のアザーン(礼拝への呼びかけ)や、アラビア語の言葉そのものにもイスラームが絡んでいます。たとえばアッラーのつくフレーズ の多さですが、アルハムドゥリッラー(アッラーのおかげで)、インシャーアッラー(アッラーが望むなら)、マーシャアッラー(すばらしい)、ビスミッラー(アッラーの御名において)、タワッキル・アラッラー(アッラーに任せなさい)、ワッラーヒ(アッラーに誓って)など、アッラーを使った言葉を今思いつくだけ挙げてみてもこんなにあります。イスラームは人々の生活と密接に関わりあっている宗教なのです。何かを始める前にはビスミッラーと言い、無事に済めばアルハムドゥリッラーと感謝の気持ちを述べる。人に会えばアッサラーム・アレイコム(あなたの上に平安あれ;こんにちは)と言い人と別れるときにはマァッサラーマ(安全とともに;さようなら)と言う。アラビア語を勉強するうちにいつしかわたしもイスラームに興味を示すよ うになりました。ちなみにアッラーとはアラビア語で神(God)を表す名詞に定冠詞のalがついたものであり、特定の神の名前ではありません。日本でときどき耳にする「アッラーの神」という表現は不適切です。
幸運なことに日本にもアラブ人の友だちがわりと近くに住んでいるため、モスクに行ってみる?と誘われたときはびっくりしたが行ってみることにした。人生で初めてモスクに入ったのは日本の神戸モスクでした。でもその日は既に礼拝時間は済んでいたので、モスクの中を見学してバシバシ写真を撮っていた。そこへイスラーム関係の本を翻訳しているという外国人男性に会い、なぜモスクに来たのかとか、なぜイスラームに興味を持ったのかとかを聞かれた。そしてイスラミック・センター・ジャパンが発行している冊子を何冊かいただいた。その後それを見ていた日本人女性の方に声をかけられ、今でもイスラームのことをいろいろ教えてもらっています。
2回目のモスクでは一緒に行っているアラブ人の友だちがたくさんの友� �ちと久々に会ったらしく、お互いとても嬉しそうにしていたのが印象的だった。そして一緒にいるわたしにも「アッサラーム・アレイコム!!」と言ってくれた。このとき、ムスリムの団結力は強いなと感じた。礼拝は男性は1階、女性は2階で、そのアラブ人の友だちは男性だったため、別れることに。うそーん!どうしよ、一人だわ…と心細く、おそるおそる2階の礼拝スペースに入った。そのときは外国人女性とその子供、日本人の女性が3人ほどいた。その中の一人がわたしに「アッサラーム・アレイコム!」と言ってくれたのでわたしもおどおどしながら「ワ・アレイコムッサラーム…」と答えた。そのときはまだ今のようにイスラームを自分の中でうまく処理できてなく、アッラーってだれ??と超意味不明なことばっかり考えていた。そ� �ためその日は礼拝はせず、みなさんの礼拝を見学していた。一人めちゃくちゃ緊張していた。
それから何度かモスクには足を運んでいろんな人と知り合った。日本人の方もいらっしゃるし、パキスタン人の女の子とも仲良くなった。初めてわたしが礼拝に参加したのは7,8回目のときだったと思います。その前にエジプトに長く滞在していて、いろんな人にイスラームのことを教えてもらったら、自分でも不思議だったがすんなり受け入れられた。だからお祈りをしたいと思った。それ以前は本ばっかり読んでいて八方ふさがりに陥って煮詰まっていた。でもエジプトに行って見て聞いて感じたイスラームは、わたしの心に直接訴えかけてきたのだと思います。日本に帰ってきてモスク行こう!!と思った。自分でもびっくりした。一緒に モスクに行っているアラブ人の友だちも「マーシャアッラー!!」と大喜びでした。
パウロは、聖書で何回も殴られた
今でも時間のあるときはお祈りに行っています。わたしには目標があって、アラビア語で書かれたクルアーンを全部読めるようになったらムスリマになろうと思って今います。まぁ、その間に何か起こってムスリムになってるかもしれませんが。それはインシャーアッラーということで。
*日本とイスラーム
日本ではは肌を露出した服も着ているし、お酒を飲むこともあります。とんこつラーメン(とんこつラーメンは好物だがチャーシューは食べられない)を食べるときもあります。でもかなりの酒好きだたわたしが、毎週いつも飲みに出かけていたこのわたしが最近はめっきり飲みに行かなくなったのです。お酒飲まなくても結構大丈夫だなと思うようになりました。わたしの飲み友だち(前述のT氏)はSarah誘いにくひ!と言ってくれていますが、イスラームに理解ある友だちを持って幸せです。ハムドゥリッラー。あと、肉嫌いのSarahなので、ハム!と言われても何の肉を使ってるか今まで全く知らなかったですが、最近は肉料理を見るたびにそれは何の肉でできてるの??と気になります。他に変わったことと 言えば、わたしは左利きではないのに、なぜか物をつかむときは決まって左のときが多いのです。それをいろんな人に注意されて最近なおってきました。それと自分の発言や他人の発言に対してこれはイスラームっぽいとか、これは反イスラームだとか自然に評価してたりします。あとごはんを食べ終わったあとには「ハムドゥリッラ〜」と言うようになりました。
やっぱり日本とイスラームはあまり接点がないので、日本でムスリムとして暮らしていくことは相当な忍耐力が要ることと思います。2025年にはイスラーム教徒はキリスト教徒を越えて世界人口の30%を占めるかもしれないと推定されてるらしいので、日本でもいい意味でイスラームの認知度が上がれば、今よりは暮らしやすくなると思います。暮らしやすくなってほしい です。日本ではイスラームではハラーム(禁忌)なものが溢れ返っている国ですから、いきなり絶対お酒飲むな!とか絶対とんこつラーメン食べるな!と言われても無理な話です。今まで好きだったのですから。時間の許す限り、ゆっくり無理なく自分のライフスタイルを変えていければ何よりだと思っています。そしてまたムスリマになれば気持ちの上で何かがころっと変わるのかもしれません。それはなってみなくては分かりませんが、一時はイスラームの理解は無理かも…と思っていたこともあったので、今、イスラームってステキ!と思うことができるのが最近の一番の収穫です。アルハムドゥリッラー。
もしもこれを読んでる方の中で、イスラームを理解したいけど理解できない…という方がいたら絶対ムスリム国家へ行ってみる� ��きです。1週間でもいいし、いや1日でも半日でもいいから、その国の人と話してみれば、何か変わると思いますよ。これに関しては日本にいて本ばっかり読んでるのが一番だめなような気がします。もちろんある程度の知識は必要ですが。
*いざムスリムに
とかなんとか言っていた1年後、わたしはムスリマになりました。アルハムドゥリッラー。
アッラー以外に神はいないし、イスラームでなければありえないと思うようになっていたので、これはムスリマになるしかないと思い、カイロのアズハル大学にシャハーダをしに行きました。イスラームを知ってから約3年経ったときでした。 人にイスラームのことを聞かれても説明できるし、3年間ずっとイスラームの勉強を続けてきて飽きることがなかった。ただイスラームが好きというだけで、何も知識がないまま改宗するのも自分の中で許せないし、あとから『そんなことは知らなかった!』と後悔するのも嫌だし、自分なりに3年間イスラームについて納得のいくまで勉強したつもりです。なにより、アッラー以外に神はいないし、ムハンマドはアッラーの使徒だと強く信じられたので。
そして、いつ死ぬか分からないのに、イスラームの教えに共感しているがまだムスリムではないという理由で火葬されるのをかなり恐れていました。エジプトに行く飛行機も無事に着き、アッラーの思し召しでムスリマになれたことを嬉しく思っています。
イスラームの総� ��山、エジプト、カイロのアズハル大学に行ってシャハーダ(信仰告白)をして、ムスリムの証明書をもらいました。アルハムドゥリッラー。ムスリムになって全く問題はないといえばうそになりますが、私自身はすごく光栄です。わたしは結婚のためにムスリムになるというのが自分の中では許せなかったので、それ以前にムスリムになりたいと考えていました。結婚するからムスリムになる、ではなく、ムスリムになりたいからムスリムになる。結婚のためではなく、自分のためにムスリムになりました。
私はシャンク骨で何をすればよい
アズハルでは偉いシャイフ(イマーム)と話したのですが、そのシャイフがアラビア語しか話せない方だったので、別のシャイフにも来ていただいて、2人のシャイフの前でお話をしたのですが、めっちゃ緊張しました。なぜムスリムになりたいのか、どのようにイスラームを知ったかなどを聞かれて、そのあとはイスラームの六信五行を丁寧に説明してくださいました。そして最後にシャハーダを言って、『マブルーク(おめでとう)!!』と言われたときは、本当に嬉しかったです。もちろんムスリム名は"Sarah"です。ちなみに『サーラ』という名前はイブラヒーム(アブラハム)(彼に平安あれ)の妻の名前です。
シャハーダには証人として男性の場合は2人以上の� ��スリム、女性の場合は4人以上のムスリマが必要だと読んだのですが、エジプトでは男性1人でもよいそうです。たぶん上記のものはサウディアラビアの場合だと思います。しかし、シャハーダをするときには、事前に証人と必要なものの確認をしてください。わたしの場合(アズハル)では、パスポート、証明写真1枚、ムスリムの証人2人以上(うちムスリム男性1人)でした。
*六信
ムスリムがその絶対的真実性を信じなければならない6つの対象とは…。
+アッラー(神)
アッラーとは、過去・現在・未来を通じて永遠に存在する唯一絶対神であり、万物の創造主、あらゆる事象の根源、無限慈悲の神、そして最後の審判の主催者と位置づけられています。アッラーの唯一絶対性はクルアーンのいたるところで繰り返し説かれています。
『かれはアッラー、唯一者であられる。アッラーは自存者であられる。かれは産みたまわず、また産まれたまわぬ。かれに比べ得る何ものもない。(クルアーン112章)』
そしてアッラーの前では全て平等なのです。富者でも貧者でも大統領でもアムル・ディアーブでもみな同じであり、アッラーは最高の守護者なのです。
なお、アッラ� �というのは何らかの個性を持った神名ではなく、アラビア語で神を表す「イラーフ」に定冠詞の「アル」をつけたもので、英語でいう"the god"の意味です。
+マラーイカ(天使)
イスラームにも天使がいるの?とときどき聞かれますが、はい、もちろんおります。天使はアッラーが光から創造した霊的存在で、アッラーと人間の中間的存在と考えられています。天使の仕事は
@アッラーのメッセージを預言者達に運ぶ
A人間の生涯の完全な記録をする (みんな右肩の後ろに天使がついています)
B墓中の死者を訪れて、信仰の有無を調べる
天使の数は非常に多いのですが、アッラーの信頼が厚い4天使とは、
●ジブリール/ ムハンマドにアッラーの啓示を伝えた。最上位天使。
●ミーカーイール/ ジブリールと同格、ユダヤ教の守護者。
●イズラーイール/ 死を司る天使。
●イースラーフィール/ 復活のとき、ラッパを吹き鳴らす。
そ� ��てイブリースという天使もいるのですが、アッラーが土からアダムを創ったとき、アッラーは全ての天使にアダムを礼拝するように命じたが、イブリースだけが従わなかったので、天国から追い出されました。人間を誘惑する悪い天使イブリースは、天使ではなくシャイターン(悪魔)とも言われています。
+キターブ(啓典)
ムスリムが絶対的に帰依し、信仰する教典が『クルアーン』であることはいうまでもないが、ここでいう啓典は『クルアーン』だけを指すものではありません。六信でいうキターブとは、アッラーが預言者を介して人類に下した天啓書を意味し、ムハンマドの時代までに140のキターブが下されたそうです。
中でも重要なのが『旧約聖書』の一部を成す「モーセ五書」と「ダビデへの詩篇」、『新約� �書』中の「福音書」、そして『クルアーン』の4種です。一般にキターブというと、これらの天啓書を指しますが、中でも最後の最後に下され、アッラーの言葉を完全に伝えたものとされる『クルアーン』は、"啓典中の啓典"の意味で、定冠詞「アル」を添えて「アル・キターブ」と呼ばれています。
『クルアーン』と他のキターブとの違いは、その完全性にあります。その根拠は
●他の啓典では、その原典を紛失した箇所が多い。
●他の啓典では、後世、預言者でない人間が、削ったり付け加えたりしている。
●他の啓典では、死語になった言葉で啓示している。
●他の啓典では、特定の民族にしか呼びかけていない。
マハトマ·ガンジーを殺した
+ナビー(預言者)
啓典が『クルアーン』だけを指すのではないのと同様、預言者もムハンマドだけを指すのではありません。アッラーはこれまで多数の預言者を使って地上に教えを伝えたと語っています。従って、アッラーを信じるなら、アッラーのこの言葉も信じなければならないのです。
『クルアーン』には25人の預言者が記録されていますが、中でも重要な預言者は、アーダム(アダム)、ヌーフ(ノア)、イブラヒーム(アブラハム)、ムーサー(モーセ)、イーサー(イエス)(彼らの上に平安あれ)、そしてムハンマドの6人です。これらの預言者は、いずれもアッラーの言葉を正しく受け取り、その啓示を人々に伝えようとしましたが、ムハン� �ドを除く5人の預言者の弟子たちは、心の狭さや党派意識などから、啓示を正しく伝えることに失敗しました。そこでアッラーは、最後の啓示を下すべくムハンマドを預言者として召命しました。
預言者ムハンマドはよくアッラーの付託に応え、アッラーの完璧な使徒、全ムスリムの鑑となって『クルアーン』を地上に下しました。それゆえムハンマドは、最も偉大な預言者として尊ばれているのですが、ここで特に注意しなければならないのは、いかに厚い尊敬を払われようと、ムハンマドが信仰の対象になることは絶対にありません。キリスト教ではイーサー(イエス;彼の上に平安あれ)を「神の子」に昇格させましたが、イスラームはムハンマドを、あくまで人間としました。ここにイスラームの顕著な特徴があります。
+アーヒラ(来世)
ユダヤ教から出た一神教は、いずれも、最後の審判と天国・地獄での来世生活があることを説きます。イスラームも例外ではなく、終末のときが来ると、天使イースラーフィールが終末のラッパを吹き鳴らします。その時地上では「大地がぐらぐらと大揺れに揺れ、山々は粉々にくずれ」るなどの天変地異が頻発し、無数の死者たちが生前の姿のまま墓から甦ります。
そこでアッラーによる最後の審判が行われ、人々は「先頭組(特に優れたアッラーの使徒たち)」、「右組(善行を積んだ使徒たち)」、「左組(悪徳を積んだ不信信者たち)」に分けられます。そして前二者は「楽園(天国)」へ、後者は「煉獄(期限付き懲役の獄舎)」または「地獄(無期懲役)」に振り分けられて、来世生活へと入っていくの� �す。
クルアーンには何度も楽園と地獄の描写がありますが、楽園の描写はわたし自身まだ納得できない箇所がありますので、地獄の描写の紹介だけにしておきます。
『黒鉛濛々と頭上を蔽う地獄に堕ちる。(地獄の怪樹である)ザックームの木の実を喰らい、腹がはちきれそうになったところへ、今度はぐらぐら煮えた熱湯を飲まされる。』更に繰り返し火で焼かれ、永遠の責め苦にさいなまれるのであります。…おそろしい。
+カダル(天命)
人が天国に行くか地獄に堕ちるかは、生前の行いによって決定する。これは当然だが、イスラームでは更に「天命」というものが存在すると教えられます。人間の行為も含めた一切の事柄は、あらかじめアッラーによって定められているとする一種の宿命思想です。この� �命観は一歩間違うと、なにをどう努力しても運命には逆らえないし、それを変えることもできないという悲観的な宿命論に堕す恐れがありますが、『クルアーン』は、一方では努力によって報いが得られることも述べています。この部分の解釈は『人事を尽くして天命を待つこと』がその本義なのではないでしょうか。
この天命をめぐって、後にさまざまな神学上の議論が生まれてくるのです。
さて、ムスリムになり、しなければならないことが5つあります。
+シャハーダ(信仰告白)
『ラーイラーハイッラッラー/ムハンマドゥンラスールアッラー(アッラーのほかに神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒なり)』という言葉を唱える行で、『シャハーダ』と呼ばれます。シャハーダは「証拠、証言」を意味するアラビア語です。ムスリムの1日5回の礼拝のたびにこの言葉を唱えますし、びっくりしたときやなにか困ったときや感動したときなどにもこの言葉を言ったりします。サッカーの中継で自分の国がゴールを決めたときにアナウンサーが『ラーイラーハイッラッラー!!』と言っていたのがすごく印象的です。
+サラート(礼拝)
アッラーへの服従と感謝の心は必ず形に表されなければなりません。その代表的な形式がこの『礼拝』です。礼拝はみなさまご存知の1日5回です。わたしの友人は『サウムもザカートもしなくていいけど、サラートだけはなにが何でもしなさい!』と言っていたほど、この礼拝は大切なものなのです。その5回にもちゃんと名前があり、ラクア(礼拝の回数)も決まっています。
ファジュル(曙の礼拝)/ 2ラクア
ズフル(昼の礼拝)/ 4ラクア
アスル(午後の礼拝)/ 4ラクア
マグリブ(日没の礼拝)/ 3ラクア
イシャー(夜の礼拝)/ 4ラクア
わたしはこの礼拝ができるか心配だったのですが、とりあえず1日2回は必ずしています。もちろん時間があるときは5� ��しています。面倒くさいと思われるかもしれませんが、15分も20分もかかるものではないし、慣れれば10分もかかりません。なにより礼拝すると気分がよくなりますし、ムスリマであることを実感できて嬉しくなります。(こんな風に思えるなんて、ムスリマっぽくなりましたと自分でも思います。)
+サウム(断食)
イスラーム暦(ヒジュラ暦)第9月(ラマダーン)の30日間、ムスリムは日の出から日没まで一切の飲食を断ちます(もちろん夜の間にたくさん食べます)。昼間は水やお茶をのむこと、そしてたばこを吸うことも禁止されています。イスラーム暦は太陰暦のため、太陽暦より約11日短いため、ラマダーンが真夏に来ることもあります。そんな中、昼間一切の食事を断つことはかなりの苦行になることは想像に難くありませ� �。わたしはまだ真夏のサウムを体験したことはありませんが…。
ちなみに日の出から日没までは一切の飲食を禁じられるほか、性交や自慰行為も厳禁となります。しかし夜になるとこれらの禁止は解かれます。また、病人、老人、虚弱体質の人、妊娠中、生理中、幼児養育中の女性、思春期に達しない子ども、旅行中の者は断食を免除されますが、健康なときにその埋め合わせをしなければなりません。
+ザカート(喜捨)
義務のザカートは、原則としては一定の税率が決まっている、いわば宗教税ですが、現在のイスラーム国・地域で近代的な所得税などの制度が整備されているところでは、ザカートは自由意志で行うものになっています。この任意の喜捨は『サダカ』と呼ばれています。
政府によって徴収された� ��カートは貧者や困窮者などのために使われます。用途はクルアーンが明確に定めているため、このザカートを政府が勝手に使い道を決めることはできません。
+ハッジ(巡礼)
イスラーム暦(ヒジュラ暦)第12月の8日から10日にかけて、決められた方式と道筋に従ってマッカのカアバ神殿への巡礼を『ハッジ』と言います。健全な男女で、旅費と留守中の家族の生活を保証できる能力がある限り、巡礼はムスリムの義務とされています。
アルハムドゥリッラー、わたしは巡礼に行けるお金もありますが、まだそのすばらしさを理解していないと自分で思いますので、マッカでアッラーの御前に行くのは、まだまだ先のことだと思っています。インシャッラー、いつか行きたいです。
*最後にひとこと
ムスリマになって、やっぱり気持ちの上ですごく変化がありました。ムスリマになる前は「毎日礼拝できるかなぁ〜」と思っていましたが、今では「できるなら毎日5回礼拝したい」と思うようになりました。そしてイスラームの教えから踏み外すまいという気持ちが心に芽生えました。
わたしはムスリマになりましたが、全て完璧なムスリマというわけではありません。むしろ全然だめです。日本で生活していますし、もしかしたら食事のとき豚肉エキスの入ったものを知らずに食べていたかもしれません。エジプトで生活していたときには、ムスリマがたばこを吸うのはハラーム(禁忌)だ、とか日本でもヘガーブとアバーヤを着るべきだ、毎日5回の礼拝の後はクルアーンを読みなさいなどなど、ちょっと日本で生活をしていれば無 理かも、と思うこともたくさん言われました。わたしはアラブのムスリムとは違います。まず生活している環境が全くイスラームに適した環境ではありません。それにボーン・ムスリムでもありません。周りにはイスラームを理解できる方は多いとはいえません。そしてアラブの社会と日本の社会は全く違います。だからアラブのムスリムたちのようにはなれません。もちろん努力はしていますが、どうしても無理な部分もあります。そんな環境の中で、いかにイスラーム的に生きていくか、それがわたしの今後の課題です。
0 コメント:
コメントを投稿