2012年5月19日土曜日


トップページ ≫ 死とは

 自殺を考えている人に対し、死について簡潔に説明します。

 死とは霊と肉体との分離です。一般的な死とは、霊がこの世(物質界)での役目を終え、肉体を脱ぎ捨ててあの世(霊界・霊的世界)に帰るということです。実は頭を悩ませるほどのことではありません。私たちは本来霊的な存在で、生まれる前に人生計画を立て、それを果たすためにこの世に誕生し、その計画が完了した者から順に死という関門を越えて霊界に帰っていくのです。そして霊界でも引き続き自我と個性とを保ちながら新たな生活を始めていきます。霊はこの世では肉体に、あの世では霊体(幽体)に宿って活動することになります。

 私たちは本来姿形を持たないエネルギー体と言ってもよく、それを心霊学では"霊"あるいは"霊魂"、または"霊的存在"という呼び方をしています。この世で活動している私たちも元々はこのエネルギー体のようなもの(霊)なのですが、この物質界で様々な体験を積むために今は肉体器官に宿っている最中ということです。肉体が自分の本質ではなく、それが自分という意識を生じさせている訳ではないのです。肉体は単に霊的存在である私たちに、この世での活動を可能にさせてくれるための媒体でしかありません。ですから、たとえ自殺で肉体的生命を絶ったとしても、自分という存在を消し去ることはできません。それ故、自殺は自らが抱える問題を解決する手段には決してなり得ないのです。

 私たちがこの世に生まれ、人生を送る理由は"霊的存在としての自分自身を成熟・完成させるため"と言えます。喜怒哀楽・艱難辛苦などの様々な体験を通して霊としての経験値を積み、霊的成長・進化を図るのです。霊にとってこの世を生きることは大きな挑戦でもあります。私たちは自らにそれを課したのです。ですから自殺は他の誰でもない、自分自身に負けるということになります。

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2012年5月17日木曜日


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2012年5月15日火曜日


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From Wikipedia, the free encyclopedia

2012年5月14日月曜日


話題としては、4月7日のものなので、ちょっと古いですが気になったもので・・・

アメリカのテキサス州当局は、西部エルドラド近郊で、「一夫多妻制」を実践するモルモン教分派「末日聖徒イエス・キリスト教会原理派」の農場を性的虐待容疑で捜索したそうです。

そして、女性や少女ら計183人を保護したそうです。

町などで、スーツ姿でヘルメットをかぶり、自転車に乗る2人組みの外人を見たことがありませんか?

その人たちは、モルモン教です。

しかし、今回の記事のモルモン教とは違います

また、今のモルモン教は一夫多妻制を廃止しています。

私の、モルモン教との出会い。

祭りの日です、外人がチラシを配っていました。

そのチラシをみると、無料英会話の案内でした。

無料!

私の大好きな言葉です。

もちろん行きました。

そこにいた外人が、モルモン教でした。

ところで、日本では、オウムの事件以来、今まで以上に宗教とは、うさんくさいものと認識されて入るのでは?

私も、そのように思っていました。

もちろん、その英会話もモルモン教布教の一環です。

と言っても、強烈な勧誘はありませんでした。

かなり親しくなって、こそっと

「教会に遊びにこない?」

って誘われるぐらいです。

場合によったら、まったく勧誘はないかも知れません。

ま~、私も、いろいろなモルモン教信者を見たわけではないので、これが絶対とはいえませんが・・・

2012年5月12日土曜日


この「ヨハネの福音書21章の黙想」は、もともと私が西船橋教会に招聘された翌年(前任牧師・有賀寿先生の下で伝道師をしていた頃)、イースターの日(1982年4月11日)から7月4日まで13回にわたって週報に連載したものです。(さらに言えば、オリジナルはもっと古く、20代の半ばに母教会の機関紙に掲載した「小説風注解」(!)というのがあります。)

今回、日曜礼拝で90回以上にわたって語り続けてきた「ヨハネの福音書連続講解説教」の一環として、1998年7月第1日曜日から9月中旬まで、10数週かけて21章を説教するにあたって、かつての原稿に手を加えて、同時並行的に週報に掲載しました。一つにはインターネット時代を迎えて、ホームページに掲載できるように原稿を電子化しておきたい、という理由からです。同時に、(週報のスケジュールの関係で毎週掲載するわけにはいきませんが)7月からの日曜礼拝説教と週報連載とが多少後先(あとさき)しながらもほぼ同時進行することにより、私としては珍しく説教アウトラインめいたもの(完全に同じではありません)を公開しながら毎週のお話をすることになりました。

一つの読み物としてお楽しみくださり、「聖書を黙想する」という福音派クリスチャンに欠けがちな聖書理解の一助としてください。

「復活の主」

「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、 もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。 (ヨハネの福音書21:1)

第2次大戦中、連合軍がナチス・ドイツ軍の必死の抵抗に阻まれながらもヨーロッパに上陸、ベルリンに向けて侵攻を開始した時、全世界は、戦争は事実上終結したことを知りました。

もちろん、その後何か月にもわたり激しい戦いは続きました。数々の犠牲と空襲、殺害、飢えと寒さと破壊と悲しみは繰り返されました。けれども終わりは確実に近づいていたのです。この事実を疑う者は誰一人――おそらく狂気のヒットラーを除いては――いませんでした。幕は下り始めていました。恐怖のショーは終わったのです。

今、私たちクリスチャンが置かれている状況はそのようなものです。

主イエスが、堅く閉ざされた墓の封印を打ち破られた時、勝利は決定付けられました。主イエスは「その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださ」(ヘブル2:14〜15)ったのです。イエスは「すでに世に勝」(ヨハネ16:33)たれました。そして私たちクリスチャンを「導いてキリストによる勝利の行列に加え」(第二コリント2:14)てくださっています。私たちは今、復活の主イエス・キリストと共に勝利の行進を続けているのです。

しかし、自分が勝利の軍団の一員であるとは思えない時があります。「自分」というレベルの局地戦ではひたすら敗走を続け、孤独と無力感とを味わわされることがあります。

けれどもその時でも、大局を見失ってはいけません。今、自分の限りある目で全体像を把握できないにしても、私たちはこれから死闘を繰り広げなければならないのではなく、勝利の行進をしているのです。そのことを信じ、認めなければなりません。ですからクリスチャンの戦いは、本質的に<信仰の戦い>です。「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」(第一ヨハネ5:4)。旧約聖書の信仰者たちについて言えば、彼らは確かに悲しみの人でしたが、同時に、彼らはまた、勝利を信じて疑わない信仰の勇者たちでした(ヘブル11章)。

今、復活の主イエスはガリラヤ湖畔に立って、再び弟子たちの前に――特にペテロとヨハネの前に――そのお姿を現そうとしておられます。弟子たちの問題と弱さを取り扱い、解決し、信仰の勇者として立たせ、個人戦での勝利者とするために、です。

「漁火(いさりび)」

「シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。シモン・ペテロが彼らに言った。『私は漁に行く。』…」(ヨハネの福音書21:2〜3)

首都エルサレムの喧騒の中で焦燥の日々を過ごしたばかりの弟子たちにとって、花々の美しく咲き乱れる故郷ガリラヤの春はひたすら美しく、心なごませるものでした。

弟子たちはそこで、主イエスの再びおいでくださるのを待っていました。自分たちのいのちが危ういエルサレムにおいてではなく、ガリラヤで、主は新しい使命を自分たちに与えてくださるはずでした。

主イエスの訪れを待つ数日間、ペテロの心には解決されていない一つの問題が残っていました。あの事件に主はまだ触れておられなかったのです。いつか必ずその話題が出てくることは分かっていました。主イエスが逮捕され、裁判にかけられた夜、「イエスなど知らない」とのろいのことばを口にしてまで自分の身の安全を図った、あの裏切りの件の解決無しに新しい使命が与えられることはありそうに思えなかったからです。

主が何と言われるか――きっと赦してくださるであろうにしろ、どう扱われるか――、患者が医者を信頼して身を委ねるにしても、未知の治療法に不安がないわけではない、そうした気持ちに似た、重苦しい感情に捕らわれたままで、ある日の夕暮れ、食事を終えたペテロは、ひとり湖のほとりにたたずみました。岸辺のここかしこに、夜の漁に出て行く小舟の姿が見えます。

それは、かつての自分の世界でした。親の代からの漁師としてその世界で精一杯生きていた自分が、召されて新しい世界に入ったものの、結果は無残でした。今一度あわれみにより新しい使命に召されたとしても再び失敗しない保証はありません。もう一度、自分の力を確認しておきたい…。漁に出て、自分の専門の領域で自分の力を確認しておきたい…。

「私たちもいっしょに行きましょう」――いつしかペテロのかたわらに来ていた他の弟子たちも思いは同じでした。

やがて、彼らは舟を出します。

弟子たちが漁に行ったことについて、伝道者としての生活をやめて自分たちの元々の職業に戻ろうとしていたのだ、いや、その日の食糧を求めて漁に行ったに過ぎないのだ、といった議論がなされます。

けれども、このどちらの見解も、向かうべき方向を見失った議論です。弟子たちは、自分たちの最も得意な領域で自分たちの力を(それはとりもなおさず自分という存在を)確認したかったのです。みじめで無力な失敗者として自分たちの慕う主イエスに会うのではなく、それ以前に何とかして何者かになっておきたかったのです。

夜の湖にひとつ、漁火が増えました。網を打ち、懐かしい獲物の手応えを感じ取ろうとし、…「しかし、その夜は何もとれなかった」。

自分の無力さを認めず神の前で何者かになろうとする試みは、失敗せざ るを得ないのです。

「夜明け」

「夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。」 (ヨハネの福音書21:4)

自分たちの専門分野での失敗はみじめです。夜が明け、漁に最適の時間が過ぎ去り、自分たちに収獲は何もなかったと分かった時、弟子たちは無言のまま舟を岸へと向け始めました。

こんなことはよくあったことだ、昔だっていつも大漁というわけにはいかなかった、収獲のない日はいくらでもあった、――そういくら自分に言い聞かせても、それが何の説得力も持っていないことは、弟子たち自身がよく分かっていました。漁はもはや彼らの世界ではなかったのです。

過去の世界には固く戸を閉ざされ、新しい世界には不安とおののきと挫折感を味わわされたままで、ペテロは舟の片隅にうずくまっていました。

水しぶきとも汗ともつかないものが彼の裸のからだをぬらし、次第に明るさを増してくる四方の風景さえ、もはや心休まる故郷の風景ではなく、見知らぬ異邦の世界とも思えるものでした。

その時、近づきつつある岸の薄闇の中に淡く一つの人影が浮かびました。

その人影から声が発せられます、「若者たちよ、何か魚(さかな)はあるのか」(5節)。「若者たちよ(パイディア)」(新改訳では「子どもたちよ」)という語は、イエスが「子よ」と親しく呼びかけてくださる時のことば(マタイ9:2等々)とは少し違って、労働に従事する者への呼びかけの意味もあります。

2012年5月10日木曜日


十戒』(じっかい、The Ten Commandments)は、1956年のアメリカ映画。歴史映画。

「旧約聖書」の「出エジプト記」を原作として制作されたスペクタクル映画。セシル・B・デミル監督。出演はチャールトン・ヘストン、ユル・ブリンナーなど。海が割れ、その中をモーセ一行が進むクライマックスシーンはあまりに有名。上映時間232分。

[編集] ストーリー


注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。免責事項もお読みください。

2012年5月9日水曜日


「シリウスに向かって飛べ!」
言うまでもなく、スタジオジブリの名作『風の谷のナウシカ』の有名なセリフです。

シリウスは女神イシスの星であり、
イシスはまた、ナウシカのように青き衣を纏った大地の女神でした。

「その者、青き衣を纏いて、金色の野に降り立つべし、失われた大地との絆を結び、
ついに人々を清浄の地へ導かん」

宮崎作品のどれもが、密儀の教えや哲学がテーマとなっている、
それが宮崎作品を見続けてきた感想です。

清浄なるものとは密儀のイニシエーションを受けている者を言い、
清浄ではない、つまり不浄なる者とはわれわれ非参入者のことを言う。
聖書の創造主を悪魔とするグノーシス派は、自分たちを清浄なる者と呼んだ。
清浄の地とは、神の意思によって浄化されたこの地上世界、
聖書で言う「洪水後の世界」である。

崖の上のポニョとはいったい何のことか、
我々は一度よく考えてみるべきだろう。

以前にも書いたが、
ポニョの制作風景をまとめたドキュメント番組において宮崎駿監督が
「俺の物だとか、誰の土地だとか、いっそ洪水で全部流れてしまえば清々する」
などと言っていたことを、私は思い起こしてしまう。

確かに、欲深い現代人には耳の痛い話だが、
洪水後の日本では聞き流すわけにも行かぬ。
私は当初からこの発言を問題視していたが、
それから少し時間が経ち、本当に津波が日本を襲うとは思ってもいなかった。
宗教研究家としては、この事態を予知できなかったことは恥ずべきことだ。
そして、津波が起こることを予知していた人たちがいるということについて考えている。

古代エジプトやギリシャでたいへんな信仰を集めた、
イシス=デメーテル・コレーの儀式の聖地エレウーシスは、
キリスト教徒によって破壊された。
その破壊を先導したのはキリスト教の聖職者達だった。

地球海世界が軍事力によってキリスト教一色に染め上げられてゆく中、
イシス=デメーテル教徒らが、グノーシス派を形成していったと考えることは、
ごく自然なことだ。
キリスト教はローマ帝国やゲルマン民族の軍事力を利用し、
異教徒たちを抹殺していった。

レアはクロノスとひそかに契りあいましたが、
それが太陽神の知るところとなり、彼はレアの呪いをかけて、
いかなる月にもいかなる年にも子を産むことなかるべし、と申しました。

ところがこのレアをヘルメスが愛して交わり、
それから月と将棋をさして勝ち、
彼女の輝きから七十分の一を取り上げ、
その取り上げた七十分の一を五日として集めて、
360日に付け足しました。

この付け足された五日を、今日のエジプト人は閏日と呼び、
神々の誕生日として祝っています。

第一日目にはオシリスが生まれ、その誕生と同時に声が響き、
「万物の主なる神、光の中に進みたもう」、と言ったと申します。
テバイで水汲みをしていたパミュレという女が、
ゼウスの神殿からこの声が響いてくるのを聞いた、という人もあります。

この言い伝えですと、その声は
「大いなる王にして恵みの施し手オシリス、今生まれたまいぬ」、
と呼ばわったということです
そこでパミュレは、クロノスが委ねてくれたことでもあるし、オシリスを育てました。

2012年5月8日火曜日


7月 10, 2011

聖書:創世記30:25-34

導入 富と信仰

 

主イエスは空腹の時に悪魔の誘惑を受けて、神の子なら石をパンに変えてみろと言われた時、こう答えました。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』

生活に必要とされるものをひとつひとつはぎ取られていったとしても、最後の最後で永遠にいのちを保ってくれるのは神のことばだけです。

とは言っても、私たちは普通にこの世界に暮らし、食べるものも着る物も住む家も手に入れなければなりませんし、そのためにこの世の富をささやかではあっても手に入れるために働かなければなりません。

特に長い不況と言われ、さらに震災の影響でこの当たりでは仕事の時間や休みのサイクルも大きく変わって、労働環境は悪くなっているようです。

そういう中で私たちは何とか生き延びようと必死になるわけですが、同時に信仰者として「人はパンだけで生きるのではない」ということをどのように、具体的に実践できるのかと問いかけられています。

今日の箇所でもヤコブは持ち前の計算高さを大いに発揮して故郷に帰るための資金作りにいそしむワケですが、いったいどんなことを学び取ることができるでしょうか。彼の富を手に入れる計算高さと信仰とはどう関係していたのでしょうか。

 

 

1 腹の探り合い

 

嫁たちの醜くも哀しい競争によって大家族となったヤコブは、とっくにラバンとの契約期間が過ぎていました。

ラケルと結婚するために7年働き、結婚式を挙げてみれば与えられたのは姉のレア。それでラケルも妻としてもらうかわりにさらに7年間追加でラバンに仕えることになっていました。

ヤコブにしてみれば、十分すぎるほど仕えて来たはずです。何しろ、これまでの働きは妻を得るためのものなので、報酬らしい報酬は受け取っていませんでした。普通ならヤコブほどの働きをしたらとっくに自分の家を持っていてもおかしくはないほどに、彼が生み出した富は莫大なものでした。

それでヤコブはラバンにここを離れて故郷に帰りたいと申しでたのです。

それは当然の願いです。ラバンのずるいやり方に辟易としていたということもあるでしょうし、そもそもここにずっといるつもりではなく、いずれは故郷に帰るつもりで旅立ったのです。それ以上に、神ご自身がヤコブを祝福し、アブラハムへの約束の後継者として必ず連れ戻すと言って下さったのです。

ヤコブはかなり強い口調でラバンに要求したことが、もとの言葉の使い方から判ります。ラバンの婿養子、あるいはしもべという立場でしたから、ラバンの許可は必要であったものの、決意は固かったのです。

ヤコブは家族を連れて故郷に戻るのはこれまでの働きからすれば当然の報酬と主張しています。

一方ラバンは、例によってずるがしこく立ち回ります。

2012年5月6日日曜日


国民日報連載に連載された金圭東牧師の証し                                                   

[2000年7月24日に献げられたヨハン東京教会入堂式のテーブカットの様子]

ヨハン東京キリスト教会(ヨハン早稲田キリスト教会)の入堂式までに至る道のりは正に、主の御業である。

国民日報に連載された金圭東牧師先生の証を掲載する。

「愛する聖徒の皆さん、ついに皆さんの手によって建てられた教会で神様に礼拝を献げられるようになりました。皆さん、これまで大変お疲れさまでした。」「私達も教会ができた」とマイクでも持って日本列島を飛び出して叫びたい心情であった。地上5階、地下1階の教会は、それまで居場所がなく渡り島のようにさまよいながら礼拝を献げた私達を、温かく迎え喜ばしく思っているようであった。

2012年5月5日土曜日


 前回は、有期労働契約の現行制度の概要をお話ししましたが、今回は有期労働契約に関する問題点について説明します。

【有期労働契約の実態と役割】

 有期契約労働者の数は近年増加傾向にあると考えられ、厚生労働省が行った実態調査によれば、有期契約労働者の平均更新回数は5.7回、平均通算勤続年数は3.2年であり、7割程度の事業所が雇止めを行ったことがないとしています。契約更新を11回以上行っている事業所や勤続年数が10年を超える事業所も1割程度あるなど、一時的・臨時的ではない仕事について有期労働契約の反復更新で対応している例も見られます。

 有期労働契約の問題点は、主に労働者の側で、雇用の不安定さ、労働条件の格差、キャリア形成が困難であること等があります。また、雇止めを背景に、労働条件の切下げが容易に行われたり、年休取得等の労働者としての権利行使が阻まれたりする懸念があり、実際にそのようなトラブルも発生しています。使用者側が有期労働契約を反復更新する理由は、契約を打ち切るフリーハンドを確保し、処遇格差を正当化するためではないかとの意見もあります。

2012年5月3日木曜日



1 名前:七難八苦φ ★ 投稿日:2012/02/13(月) 15:13:47.99 ID:???

預言者ムハンマドにツイートして逮捕・送還 サウジの文筆家


(CNN) 簡易投稿サイト「ツイッター」上でイスラム教の預言者ムハンマドに対等に話し掛けるかのような発言をしたとして、サウジアラビア当局から逮捕状が出ている同国の文筆家、ハムザ・カシュガリ氏が12日、滞在先のマレーシアからサウジへ送還された。

マレーシアの国営メディアなどによると、カシュガリ氏は先週のムハンマド生誕祭にあたり、ムハンマドへ向けたツイート(投稿)として「好きな面と嫌いな面がある」「あなたのために祈ることはしない」などと書き込んだ。ツイートはその後、削除されている。

2012年5月1日火曜日


*イスラームとの出会い
イスラームに関しては、わたしもまだムスリマではないし、まだ自分の中でも整理がついてないことが多いです。よってはっきりとした意見もありません。だから他人に偉そうに言えることは何もないなぁと思い、ゆっくり作っていこうと思っています。ごあいさつで書いたことはイスラームをまだ学問的に見ているから言えることなのかもしれません。それにボーン・ムスリムではないのでやはりボーン・ムスリムの考えることや感じることとはかなり違う捉え方をしているのだと思います。

エジプトに住むようになって嫌でも意識しなければならないことがありました。それがイスラームです。1日5回のアザーン(礼拝への呼びかけ)や、アラビア語の言葉そのものにもイスラームが絡んでいます。たとえばアッラーのつくフレーズ の多さですが、アルハムドゥリッラー(アッラーのおかげで)、インシャーアッラー(アッラーが望むなら)、マーシャアッラー(すばらしい)、ビスミッラー(アッラーの御名において)、タワッキル・アラッラー(アッラーに任せなさい)、ワッラーヒ(アッラーに誓って)など、アッラーを使った言葉を今思いつくだけ挙げてみてもこんなにあります。イスラームは人々の生活と密接に関わりあっている宗教なのです。何かを始める前にはビスミッラーと言い、無事に済めばアルハムドゥリッラーと感謝の気持ちを述べる。人に会えばアッサラーム・アレイコム(あなたの上に平安あれ;こんにちは)と言い人と別れるときにはマァッサラーマ(安全とともに;さようなら)と言う。アラビア語を勉強するうちにいつしかわたしもイスラームに興味を示すよ うになりました。ちなみにアッラーとはアラビア語で神(God)を表す名詞に定冠詞のalがついたものであり、特定の神の名前ではありません。日本でときどき耳にする「アッラーの神」という表現は不適切です。

*モスク体験記
幸運なことに日本にもアラブ人の友だちがわりと近くに住んでいるため、モスクに行ってみる?と誘われたときはびっくりしたが行ってみることにした。人生で初めてモスクに入ったのは日本の神戸モスクでした。でもその日は既に礼拝時間は済んでいたので、モスクの中を見学してバシバシ写真を撮っていた。そこへイスラーム関係の本を翻訳しているという外国人男性に会い、なぜモスクに来たのかとか、なぜイスラームに興味を持ったのかとかを聞かれた。そしてイスラミック・センター・ジャパンが発行している冊子を何冊かいただいた。その後それを見ていた日本人女性の方に声をかけられ、今でもイスラームのことをいろいろ教えてもらっています。

2回目のモスクでは一緒に行っているアラブ人の友だちがたくさんの友� �ちと久々に会ったらしく、お互いとても嬉しそうにしていたのが印象的だった。そして一緒にいるわたしにも「アッサラーム・アレイコム!!」と言ってくれた。このとき、ムスリムの団結力は強いなと感じた。礼拝は男性は1階、女性は2階で、そのアラブ人の友だちは男性だったため、別れることに。うそーん!どうしよ、一人だわ…と心細く、おそるおそる2階の礼拝スペースに入った。そのときは外国人女性とその子供、日本人の女性が3人ほどいた。その中の一人がわたしに「アッサラーム・アレイコム!」と言ってくれたのでわたしもおどおどしながら「ワ・アレイコムッサラーム…」と答えた。そのときはまだ今のようにイスラームを自分の中でうまく処理できてなく、アッラーってだれ??と超意味不明なことばっかり考えていた。そ� �ためその日は礼拝はせず、みなさんの礼拝を見学していた。一人めちゃくちゃ緊張していた。

それから何度かモスクには足を運んでいろんな人と知り合った。日本人の方もいらっしゃるし、パキスタン人の女の子とも仲良くなった。初めてわたしが礼拝に参加したのは7,8回目のときだったと思います。その前にエジプトに長く滞在していて、いろんな人にイスラームのことを教えてもらったら、自分でも不思議だったがすんなり受け入れられた。だからお祈りをしたいと思った。それ以前は本ばっかり読んでいて八方ふさがりに陥って煮詰まっていた。でもエジプトに行って見て聞いて感じたイスラームは、わたしの心に直接訴えかけてきたのだと思います。日本に帰ってきてモスク行こう!!と思った。自分でもびっくりした。一緒に モスクに行っているアラブ人の友だちも「マーシャアッラー!!」と大喜びでした。