この「ヨハネの福音書21章の黙想」は、もともと私が西船橋教会に招聘された翌年(前任牧師・有賀寿先生の下で伝道師をしていた頃)、イースターの日(1982年4月11日)から7月4日まで13回にわたって週報に連載したものです。(さらに言えば、オリジナルはもっと古く、20代の半ばに母教会の機関紙に掲載した「小説風注解」(!)というのがあります。)
今回、日曜礼拝で90回以上にわたって語り続けてきた「ヨハネの福音書連続講解説教」の一環として、1998年7月第1日曜日から9月中旬まで、10数週かけて21章を説教するにあたって、かつての原稿に手を加えて、同時並行的に週報に掲載しました。一つにはインターネット時代を迎えて、ホームページに掲載できるように原稿を電子化しておきたい、という理由からです。同時に、(週報のスケジュールの関係で毎週掲載するわけにはいきませんが)7月からの日曜礼拝説教と週報連載とが多少後先(あとさき)しながらもほぼ同時進行することにより、私としては珍しく説教アウトラインめいたもの(完全に同じではありません)を公開しながら毎週のお話をすることになりました。
一つの読み物としてお楽しみくださり、「聖書を黙想する」という福音派クリスチャンに欠けがちな聖書理解の一助としてください。
「復活の主」
「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、 もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。 (ヨハネの福音書21:1)
第2次大戦中、連合軍がナチス・ドイツ軍の必死の抵抗に阻まれながらもヨーロッパに上陸、ベルリンに向けて侵攻を開始した時、全世界は、戦争は事実上終結したことを知りました。
もちろん、その後何か月にもわたり激しい戦いは続きました。数々の犠牲と空襲、殺害、飢えと寒さと破壊と悲しみは繰り返されました。けれども終わりは確実に近づいていたのです。この事実を疑う者は誰一人――おそらく狂気のヒットラーを除いては――いませんでした。幕は下り始めていました。恐怖のショーは終わったのです。
今、私たちクリスチャンが置かれている状況はそのようなものです。
主イエスが、堅く閉ざされた墓の封印を打ち破られた時、勝利は決定付けられました。主イエスは「その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださ」(ヘブル2:14〜15)ったのです。イエスは「すでに世に勝」(ヨハネ16:33)たれました。そして私たちクリスチャンを「導いてキリストによる勝利の行列に加え」(第二コリント2:14)てくださっています。私たちは今、復活の主イエス・キリストと共に勝利の行進を続けているのです。
しかし、自分が勝利の軍団の一員であるとは思えない時があります。「自分」というレベルの局地戦ではひたすら敗走を続け、孤独と無力感とを味わわされることがあります。
けれどもその時でも、大局を見失ってはいけません。今、自分の限りある目で全体像を把握できないにしても、私たちはこれから死闘を繰り広げなければならないのではなく、勝利の行進をしているのです。そのことを信じ、認めなければなりません。ですからクリスチャンの戦いは、本質的に<信仰の戦い>です。「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」(第一ヨハネ5:4)。旧約聖書の信仰者たちについて言えば、彼らは確かに悲しみの人でしたが、同時に、彼らはまた、勝利を信じて疑わない信仰の勇者たちでした(ヘブル11章)。
今、復活の主イエスはガリラヤ湖畔に立って、再び弟子たちの前に――特にペテロとヨハネの前に――そのお姿を現そうとしておられます。弟子たちの問題と弱さを取り扱い、解決し、信仰の勇者として立たせ、個人戦での勝利者とするために、です。
「漁火(いさりび)」
「シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。シモン・ペテロが彼らに言った。『私は漁に行く。』…」(ヨハネの福音書21:2〜3)
首都エルサレムの喧騒の中で焦燥の日々を過ごしたばかりの弟子たちにとって、花々の美しく咲き乱れる故郷ガリラヤの春はひたすら美しく、心なごませるものでした。
弟子たちはそこで、主イエスの再びおいでくださるのを待っていました。自分たちのいのちが危ういエルサレムにおいてではなく、ガリラヤで、主は新しい使命を自分たちに与えてくださるはずでした。
主イエスの訪れを待つ数日間、ペテロの心には解決されていない一つの問題が残っていました。あの事件に主はまだ触れておられなかったのです。いつか必ずその話題が出てくることは分かっていました。主イエスが逮捕され、裁判にかけられた夜、「イエスなど知らない」とのろいのことばを口にしてまで自分の身の安全を図った、あの裏切りの件の解決無しに新しい使命が与えられることはありそうに思えなかったからです。
主が何と言われるか――きっと赦してくださるであろうにしろ、どう扱われるか――、患者が医者を信頼して身を委ねるにしても、未知の治療法に不安がないわけではない、そうした気持ちに似た、重苦しい感情に捕らわれたままで、ある日の夕暮れ、食事を終えたペテロは、ひとり湖のほとりにたたずみました。岸辺のここかしこに、夜の漁に出て行く小舟の姿が見えます。
それは、かつての自分の世界でした。親の代からの漁師としてその世界で精一杯生きていた自分が、召されて新しい世界に入ったものの、結果は無残でした。今一度あわれみにより新しい使命に召されたとしても再び失敗しない保証はありません。もう一度、自分の力を確認しておきたい…。漁に出て、自分の専門の領域で自分の力を確認しておきたい…。
「私たちもいっしょに行きましょう」――いつしかペテロのかたわらに来ていた他の弟子たちも思いは同じでした。
やがて、彼らは舟を出します。
弟子たちが漁に行ったことについて、伝道者としての生活をやめて自分たちの元々の職業に戻ろうとしていたのだ、いや、その日の食糧を求めて漁に行ったに過ぎないのだ、といった議論がなされます。
けれども、このどちらの見解も、向かうべき方向を見失った議論です。弟子たちは、自分たちの最も得意な領域で自分たちの力を(それはとりもなおさず自分という存在を)確認したかったのです。みじめで無力な失敗者として自分たちの慕う主イエスに会うのではなく、それ以前に何とかして何者かになっておきたかったのです。
夜の湖にひとつ、漁火が増えました。網を打ち、懐かしい獲物の手応えを感じ取ろうとし、…「しかし、その夜は何もとれなかった」。
自分の無力さを認めず神の前で何者かになろうとする試みは、失敗せざ るを得ないのです。
「夜明け」
「夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。」 (ヨハネの福音書21:4)
自分たちの専門分野での失敗はみじめです。夜が明け、漁に最適の時間が過ぎ去り、自分たちに収獲は何もなかったと分かった時、弟子たちは無言のまま舟を岸へと向け始めました。
こんなことはよくあったことだ、昔だっていつも大漁というわけにはいかなかった、収獲のない日はいくらでもあった、――そういくら自分に言い聞かせても、それが何の説得力も持っていないことは、弟子たち自身がよく分かっていました。漁はもはや彼らの世界ではなかったのです。
過去の世界には固く戸を閉ざされ、新しい世界には不安とおののきと挫折感を味わわされたままで、ペテロは舟の片隅にうずくまっていました。
水しぶきとも汗ともつかないものが彼の裸のからだをぬらし、次第に明るさを増してくる四方の風景さえ、もはや心休まる故郷の風景ではなく、見知らぬ異邦の世界とも思えるものでした。
その時、近づきつつある岸の薄闇の中に淡く一つの人影が浮かびました。
その人影から声が発せられます、「若者たちよ、何か魚(さかな)はあるのか」(5節)。「若者たちよ(パイディア)」(新改訳では「子どもたちよ」)という語は、イエスが「子よ」と親しく呼びかけてくださる時のことば(マタイ9:2等々)とは少し違って、労働に従事する者への呼びかけの意味もあります。