なぜ王ジェームズ
キング店長のXX日記 ジェームズ・ディーン
今日2月8日はジェームズ・ディーンの誕生日です【ジェームズ・ディーンの生涯】
ロサンゼルスの退役軍人病院に勤める歯科技工士の父ウィントン・ディーンと母ミルドレッド・ウィルソンのもとにインディアナ州マリオンで生まれる。ジェームズが9歳の時ミルドレッドが卵巣がんで亡くなると、ウィントンはフェアマウントで農場を営む姉夫婦に彼を預け、そこで育てられた。
高校時代から演劇に興味をもち、UCLAの演劇科で学んだ。舞台やコマーシャルなどに出ていたが、更に俳優としてのキャリアを追い求めるために中退、ニューヨークに移った。そこで1950年代の『Kraft Television Theater』、 『Danger』や『General Electric Theater』のようなテレビ番組の何編かに出演した。この頃よりジェームズはアンドレ・ジッドの『背徳者』に心酔して、ハリウッドへ行き、映画スターとなることを夢見るようになる。
『底抜け艦隊』等の映画の端役をいくつかこなした後、1955年に『エデンの東』のキャル・トラスク役で初めて主役を演じて、認められた。彼はこの役でアカデミー賞の最優秀主演男優賞にノミネートされた。この後、続けざまにその年の『理由なき反抗』で主役を、『ジャイアンツ』で準主役を演じ、またもやアカデミー賞にノミネートされることになる。但し同作のジェット役を演じることをジェームズは乗り気ではなかったようである。
『ジャイアンツ』の撮影終了1週間後の9月30日、ジェームズはサリナスで行われるレースに向かうために同乗者の自動車整備士ラルフ・ウッタリックと共に、愛車であるシルバーのポルシェ・550 スパイダーでカリフォルニア州の州道を走行中、午後5時59分にコレーム近郊にある州道46号線と41号線の東側の分岐点で、横からはみ出してきた学生の運転する車と衝突した。ラルフは車外に投げ出されて骨折、学生も軽傷で済んだが、ジェームズは複雑骨折、内臓損傷などでほぼ即死状態であった。事故現場に建てられたモニュメントには「James Dean 1931 Feb 8 - 1955 September 30 PM5:59 ∞」の字が刻まれている。次回作に予定されていた『傷だらけの栄光』の主役はポール・ニューマンが演じることとなった。
事故を起こしたポルシェ550は、通常はレース場のみで使用されていたが、この日はこの車を運転する特別な事情があったとされている。また生前のジェームズは、「レースは危なくないですか?」と記者に問われた際に「車に乗っていて危険を感じるのは、レース場ではなく、一般の車道です」と語っていた。
遺体は故郷のフェアマウントにある公園墓地に埋葬され、現在も献花が絶えない。最初の長編出演(feature role)でアカデミー賞にノミネートされたのはジェームズを含めて5人しかおらず、また死後に2度ノミネートされたのは彼だけである。
イタリアの女優、ピア・アンジェリとの恋は有名であるが、アンジェリ家がローマ・カトリック信者ではないディーンを嫌いピアの母親から交際を反対されたこともあって結局2人は短期間で別れている。
ジェームズは特に『理由なき反抗』の演技で1950年代の若者の反抗を端的に表現した。このため同時代の多くの若者は彼をモデルにし、そしてその死は多くの同世代の人々に暗い影を落とした。主演俳優になって半年足らずという短いキャリアと突然の死、公開葬儀がジェームズを時代を超えた青春の象徴とした。
めちゃくちゃかっこいい
0 コメント:
コメントを投稿