私たちは教会の誕生日何を呼ぶのですか
2012年2月12日 主日礼拝 伊東: うんちゃん
2012年2月13日 主日礼拝 伊東衛
メッセージテキスト:使徒行伝20章1節~16節
メッセージタイトル:「エルサレム帰還物語 その①」
20:1 騒ぎがやんだ後、パウロは弟子たちを呼び集めて激励(励ます。勧める。願う)を与えた上、別れのあいさつを述べ、マケドニヤへ向かって出発した。20:2 そして、その地方をとおり、多くの言葉で人々を励まし(励ます。勧める。願う)たのち、ギリシヤにきた。20:3 彼はそこで三か月を過ごした。それからシリヤへ向かって、船出しようとしていた矢先、彼に対するユダヤ人の陰謀(敵対的な)が起ったので、マケドニヤを経由して帰ることに決した。20:4 プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、それからテモテ、またアジヤ人テキコとトロピモがパウロの同行者であった。20:5 この人たちは先発して、トロアスでわたしたちを待っていた。20:6 わたしたちは、除酵祭が終ったのちに、ピリピから出帆し、五日かかってトロアスに到着して、彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。20:7 週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。20:8 わたしたちが集まっていた屋上の間には、あかりがたくさんともしてあった。 20:9 ユテコという若者が窓に腰をかけていたところ、パウロの話がながながと続くので、ひどく眠けがさしてきて(眠気に圧倒されてしまい)、とうとうぐっすり寝入ってしまい、三階から下に落ちた。抱き起してみたら、もう死んでいた。20:10 そこでパウロは降りてきて、若者の上に身をかがめ、彼を抱きあげて、「騒ぐことはない。まだ命がある」と言った。20:11 そして、また上がって行って、パンをさいて食べてから、明けがたまで長いあいだ人々と語り合って、ついに出発した。20:12 人々は生きかえった若者を連れかえり、ひとかたならず慰められた。20:13 さて、わたしたちは先に舟に乗り込み、アソスへ向かって出帆した。そこからパウロを舟に乗せて行くことにしていた。彼だけは陸路をとることに決めていたからである。20:14 パウロがアソスで、わたしたちと落ち合った時、わたしたちは彼を舟に乗せてミテレネに行った。20:15 そこから出帆して、翌日キヨスの沖合にいたり、次の日にサモスに寄り、その翌日ミレトに着いた。20:16 それは、パウロがアジヤで時間をとられないため、エペソには寄らないで続航することに決めていたからである。彼は、できればペンテコステの日には、エルサレムに着いていたかったので、旅を急いだわけである。
緒論
昨日、美穂姉と一緒に仙台に行き、伝道に関する学びを受けてきました。その会場では以前メッセージの中で紹介した峰岸先生と会うことができ、以前から願っていた献金を渡してくることができました。また私が大学時代に所属していたサークル(伝道の学生団体)の先輩であった及川姉という方に20年ぶりに会うことができました。
その学びの会場には参加者の約半数が教職の先生方でありましたので、私にとってはとてもよい交わりの時となりました。自分と同じ立場の牧師の方々と共に交わりができることは、心が健康に成長するために欠かせないことだと実感して帰ってくることができました。
今朝の聖書箇所は、パウロ伝道チームが第三回目の伝道旅行を終えてエルサレムに帰る途中の出来事が書かれています。その中で神様がパウロ伝道チームに働きかけて御業を表しておられるのを見ることができます。今朝はそのことを見ていきましょう。
本論
① 神様は宣教者を柔軟な者へと造り変えられる。
パウロはエペソの伝道の最中に、エルサレムに帰り、その後にローマを見に行くことを聖霊によって示されます。(使徒19:21) パウロはエルサレムに帰る前に、第二回伝道旅行で誕生した各教会に立ち寄り、献金を集めて、その献金を携えてエルサレム教会に帰りたいと願っていました。当時のエルサレムには飢饉が起こり、貧しい信徒たちが食糧難で困っていたのです。パウロはそれらの人たちを助けることが神の御心だと確信していたので、伝道をストップしてエルサレムに帰ることを決断したのです。
そこでパウロはピリピ、テサロニケ、アテネ、コリントの教会に立ち寄ります。その後コリントがあるギリシャの地に行き、そこから船に乗ってシリアに到着してその後エルサレムに行こうと計画を立てていました。しかしユダヤ人たちがパウロの伝道チームを迫害したので、彼らは船で帰ることを諦めざるを得なくなり、今まで来た陸上の道のりを戻ることになってしまったのです。
パウロたちはチームで伝道計画を立てながら伝道を進めてきましたが、ユダヤ人の迫害で計画が台無しになってしまったのです。今回のような計画変更が1回だけであったとしたら、今回だけ我慢して伝道の働きを継続することはできたかもしれません。しかしこのようなことは今回が初めてではなく今まで何度も同じことを体験し、ユダヤ人たちに煮え湯を飲まされ続けられてきたのです。パウロたちはその度に素早く荷物をまとめて他の町へ宣教の拠点を移動しなければいけなかったのです。パウロたちの伝道は自分たちで主体的に動いているというより、ユダヤ人たちに動かされているように感じていたことでしょう。
しかしパウロたちが次の町へ来て宣教の働きをした時に、神様は救われる者たちと癒される者たちを起こして下さいました。今回もトロアスでの宣教の際に、ユテコという青年が死んだにも関わらずに生き返るという奇跡が起こりました。
パウロは(使徒20:18~24)で、今までの宣教人生を振り返って、このように言っています。
「わたしが、アジヤの地に足を踏み入れた最初の日以来、いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか、よくご存じである。 20:19 すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた。20:20 また、あなたがたの益になることは、公衆の前でも、また家々でも、すべてあますところなく話して聞かせ、また教え、20:21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、強く勧めてきたのである。 20:22 今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。 20:23 ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。」
パウロは宣教をしていく中で試練や迫害を体験してきましたが、その中で主に仕えることをしてきたのです。さらに聖霊は彼が受けることになる具体的な迫害内容も示しています。彼が牢屋に入れられ艱難に遭うことを告げていたのです。その辛い不自由な状態をパウロは嫌だ、逃げ出したいと言ってはいないのです。その中で福音を伝える任務を成し遂げることができればそれで良しという信仰に生きていたのです。パウロの心の王座を占めていたことは、主イエスから託されていた福音を伝えることでした。迫害から如何に逃げることではなく迫害の中で如何に福音を伝えることであったのです。
パウロ伝道チームは福音を伝えることに関して、自分たちである程度の計画は立てて行動をしていましたが、その計画が思い通りにいかなくても、すねたりいじけたりしなかったということです。迫害で福音宣教が継続できなくなったならば、別の道を祈り・探して求めて福音を伝え続けてきたのです。そのようなことをしていく中で、パウロ伝道チームのメンバーたちの心は柔軟に動けるように造り変えられていったのです。
② 神様は宣教者を慰めの器へと造り変えて下さる。
パウロが今朝のテキストの中で人々に与えていることには共通したことがあります。それは人に慰めを与えることです。当時パウロはどのような思いを持って宣教に携わっていたのでしょうか。それはパウロが書いた手紙を見るとよく知ることができます。(2コリント2:12~13)(2コリント7:5~7)にはこのように書かれています。「2:12 さて、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、わたしのために主の門が開かれたにもかかわらず、2:13 兄弟テトスに会えなかったので、わたしは気が気でなく、人々に別れて、マケドニヤに出かけて行った。」 「7:5 さて、マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった。 7:6 しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった。 7:7 ただ彼の到来によるばかりではなく、彼があなたがたから受けたその慰めをもって、慰めて下さった。すなわち、あなたがたがわたしを慕っていること、嘆いていること、またわたしに対して熱心であることを知らせてくれたので、わたしの喜びはいよいよ増し加わったのである。」
彼はエペソ伝道の後にトロアスを通ってマケドニアに行きました。その時にパウロはコリント教会が分裂問題を起こしていることを聞きます。それでパウロはコリント教会の事が気が気でなくなり、同労者のテトスをコリント教会に遣わしたのです。パウロはテトスに教会の状況を確認し、必要なことをなしてくるように依頼しました。その後パウロがマケドニアに来た時に、パウロは肉体と精神は疲労困憊した状態にありました。しかし神様はパウロにテトスを送って下さり、コリント教会の良い知らせを届けて下さったのです。パウロはテトスと会うまでは、心配や不安、そして恐れで心が支配されていたのです。しかしテトスの報告を聞いて初めて慰めを受けたのです。神様はテトスを用いてパウロの心に慰めを与� ��られたのです。
そのような神様のお働きがあったので、パウロはエルサレムに帰る途中の教会に立ち寄って、御言葉を通して多くの人を励ますことができたのです。またトロアスでは青年ユテコを癒して多くの人を慰めることができたのです。
パウロは迫害や困難なことを体験していましたが、同時に神様からの慰めに満たされていたのです。パウロはその慰めを同労者から得ていました。それはパウロがいつもチーム(キリストの体)として行動していたからなのです。(20:4)にはパウロの同労者の名前が羅列されています。これらの同労者は、パウロの働きの苦労と喜びを唯一理解できる人たちであり、腹を割って話し合い祈り合うことができた人たちであったのです。これらの人たちは神様が彼に与えて下さった福音宣教の重荷を担う同労者であったのです。
もしパウロが一人だけで福音宣教の働きを担うことをしていったならば、彼が人々の前でメッセージをする時、また病人の癒しのために祈る時に、自分の苦労話や自慢話をしていたかもしれません。しかし福音宣教の重荷を担う同労者たちがいたことによって、自分に与えられた働きはチームとして働きであることを確認することができたし、自分一人だけが宣教を行っているという高慢な思いから守られていたのです。そのようなことを考えると、共に重荷を担うことができる同労者や兄姉が傍にいることは、その人が主のために健全な働きができることに結びついていることになってくるのです。
パウロの周りにはそのような人たちがいたので、彼の内側から出てくるものは、自慢話や苦労話ではなく、キリストにある慰めと励ましが満ち溢れていたのです。神様はパウロを預言者のように鋭いメッセージを語る者として彼を用いるだけではなく、彼を慰めの器として造り変えて用いておられたのです。
適用
今朝の聖書箇所から私たちが実行すべきことの1つは、教会(教会に属する兄姉)は福音宣教に対して柔軟であるべきということです。
クリスチャンが福音の働きに生きる時に、神様はその者を柔軟な者へと造り変えて下さいます。何故なら福音宣教には困難がつきものであり、同時にそこには福音を証しする道が無数に広がっているからです。私たちの小さな思いや考えでは、少々の困難に直面すると、もう道は閉ざれてしまって絶望するしかないように思えますが、神様のお考えは違っています。
私の神学校の英語を教えて下さった先生に鎌田先生というお方がおられます。日本大学の英語の臨時講師をしておられた方で、退職されてからは神学校で英語を教えておられました。先生は神学校で教えていた報酬を全て神学校に献金していました。この先生の所属していた教会は十条キリス教会で、現在の教団理事長を務めておられる細井真先生の教会でした。この教会に先生の家族や親族が30名以上会員になっており、鎌田先生がその方々を教会に導いたとのことです。先生はその他にも日大の学生たちを大勢キリストに導く働きをしてきました。
どのようなことをして先生が大勢の人たちを教会に導くことができたのかというと、先生の一日のライフスタイルは、午前は日大で英語を教え(若い時は高校で英語も教えていた時期があったそうです)、午後は少し大学の仕事をして、夕方からはフリーの時間です。そのフリーの時間に、親戚や学生たちを自宅に招いて一緒に食事をしながら、いろいろなことを話したそうです。その中でキリストを証しして教会に導いたそうです。また先生は十条教会で通訳として用いられました。私も先生の通訳をカセットテープで聞いてみたことがありますが、アナウンサーのように全くよどみがない綺麗な声で通訳をしていました。カセットで聞いて素晴らしい通訳と思ったくらいですから、実際の生の通訳を聞いたらもっと素� ��らしい声で通訳をしていることだと驚かされました。
ある時、第一志望の大学を落ちた学生に励ましの言葉をかけたそうです。「第一志望の大学が落ちたからといって、人生が失格になった訳ではない。自分も第一志望に落ちて、希望しない日大に入ったおかげ英語の教師として働くことができ、多くの人たちにイエス様を紹介できた。あなたにもきっと神様の計画があるので、受かった大学でいじけないでそこで頑張ってみなさい」と励まされたそうです。
私は先生の生き方を見て、この人こそ「ザ・証し人」だと思わされました。私たちは自分が置かれた場所が、イエス様がそこに自分を置いて下さった場所であり、宣教のために置かれた場所であると信仰を持って歩み出す時に、そこにイエス様は宣教のあらゆる可能性を置いておられることと信じます。反対につぶやくならば、その可能性は全くなくなってしまうのでないかと思います。宣教の働きをする中で、私たちの前に困難が置かれた時、私たちは苦しみますが、神様は新しい道を用意されていると信仰を持ってその道を進んでいく者となっていきましょう。
2つめは、私たちが健全なイエス様の証し人となることです。そのためには、自分の宣教の重荷を共に担うことができる友がどうしても必要です。一人で宣教の働きをすることはその人が多くの危険に晒されることになり、その人が潰されることになってしまいます。一人で宣教を行った時に失敗に終わったならば、その人は落ち込む可能性が大きいと思います。しかし一人で宣教を行って成功した場合、その人は教会の兄姉と共に祈り合うことなく、高慢になる可能性が非常に大きいです。高慢の罪は教会を建てあげるのではなく、教会を崩す働きをしていきます。宣教の働きはチーム(厳密に言うならば教会に委ねられた)に委ねられた働きです。ですから皆さんが属しているグループで自分が行っている宣教の働� ��を報告し、相談し、共にとりなしの祈りをして、宣教に遣わされていく者となっていきましょう。
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