2011年09月08日 09時00分13秒
「自分が考えていることを、その場で決められた時間の中で他の人とシェアしないのは、プロとして犯罪に近い」
「プロというのはシステムで仕事をする人間である」
「いつ来るか分からない15分のために常に準備をしているのがプロで、来ないかもしれないからと言って準備をしないのがアマチュア」
などなど、非常に刺激的な言葉が次々と飛び出したのが、CEDEC2011の2日目基調講演「「ムーンショット」 デザイン幸福論」です。
国際的な活躍を続けるインダストリアルデザイナー、奥山清行氏による講演となっており、「実際に会場にいらした方に直接語りかけたい」という本人の強い希望によって、ニコニコ動画「CEDECチャンネル」での配信や講演資料の配布はなし、「最後の瞬間まで講演内容を考えたい」ということで演題・内容についての事前発表もなし、という直前まで謎のベールに包まれていた講演だったのですが、見ての通り少し書き出しただけでもすさまじいセリフが飛び出すというような、異様なほど濃密な講演になりました。
以下、そのアグレッシブな基調講演をできるだけ再現したものです。なお、あまりの疾走感の激しさで意味不明・支離滅裂になっている部分については、可能な限り持ち味を残しつつ� �なんとか理解できるようにしています。
奥山:
皆様おはようございます。奥山清行です。今の和田会長の方からイントロダクションにあったようにクロスボーダーの象徴としまして、異なる業界の人間でありますけれど、今日いろんなモノを作るという、モノというのはハードに限らずいろんなモノをつくる話というのを大体80分ほどさせていただきたいと思います。
主に、海外で30年ほど仕事をしてきた経験から、日本のものづくりに関していろんな気がついた点があります。そういったところを主体に皆さんと僕の経験をシェアさせてください。題しまして「ムーンショットデザイン幸福論」。ムーンショットの意味というのは後ほど、一番最後の方にご説明差し上げます。
工業デザイナーと言いましても、実は皆さんと非常に近いところで仕事をしていまして、一番最初はハリウッドのユニバーサルスタジオ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」というライブのデザインをしたりとか、「アポロ13」でのアポロ13号のセットデザインとか、「バットマン フォーエバー」のセットのデザインとか、ハリウッドで実はかなり仕事をしてきました。さすがにゲームのデザインはしていません。ただ今、例えば、ここ10年くらいはセガサミーの顧問をさせていただいたりということで、ここのみなとみらいにも実は大型のテーマパークを作る予定でして、僕もアートディレクションを何年かやりましたけれど、残念ながらいろんな不可避の理由があって計画は中止になりました。なので、みなとみらいに来ると毎回何となく、苦い思い出といったものがよみがえって参ります。
今これ画面で見ていただいているのが、今現行の路上を走っているフェラーリの全てなんですけれども、右上のFFというへんちくりんな車を除いて、全て僕のディレクションの車です。右下の車は特に思い出があるフェ� �ーリ・エンツォという車です。
マセラティのクアトロポルテという車を作った時も、その後のクーペを作った時も、オーナーが4度ほど変わりまして、死に絶えていたブランドをゼロから再興するという役目を担って、その中の仕事の一環として「ハードウェアとしての自動車」のデザインをしました。
その中で日本とイタリアを比較して、面白いことに気がつきました。皆さんこれを読まれて、個人力の日本、団体力のイタリアというタイトルを見ると、「逆じゃないの?」「個人力のイタリアで団体力の日本じゃないの?」と思うかもしれませんけれど、イタリアというのは実は全く逆でして、イタリアというのは実はご存じのようにワールドカップとか、それからいろんな、例えばフェラーリのようなブランド企業をゼロから作り上げたりとか、その陰にある力というのは実はローマ時代から伝わる、いわゆる民主主義の元を作った彼らの団体力なのです。イタリア人の個人個人も非常に個性のある人たちが多いですけれども、その何というか、味が強い野菜が集まってもっと面白い料理ができるように、イタリアは非常 にその団体で行動をするというのが僕が想像していたよりもはるかに得意でした。
その中の一つの例として、フェラーリ・エンツォという車は、10年に一度の限定生産の車なんですけれども、その販売価格が7500万円。残念ながら僕もまだ買えません。中古車市場でこれ1台が大体1億3000万円くらいの車になってます。いまだに、売り出してから10年たっても販売価格を一度も下回ったことがないという奇跡のような車なんですけれども、この生産台数が399台。なぜ399という変な数字なのかというと、市場調査をして、何人の人がこの車を確実に買いたいかっていうのを調べたら400人の人が僕は必ず買いますというふうに手を挙げた。それに対して需要よりも1台少なく作れという創業者の言い伝えに従って、フェラーリは399台で生産を実際にやめたわけです。
面白いのは、開発を始める前に「うちは399台しか作りません」と言ったら、その10倍以上の3000人以上の人たちがこのフェラーリに対して「この車を買いたい」というふうにデポジット(前払いの保証金のようなもの)を持っていらっしゃって、その中で会社が人を選んで、その399人のラッキーな人たちは7500万円の現金を持って、イタリアまで飛んでこの車を引き取りに行くわけです。高飛車ですよね。高飛車ですけれども、それをすることによって「フェラーリ」というブランド力は上がって、フェラーリっていう世界観の中にもっと入りたい人たちがボンボン増えていく、と。
日本は逆のことをやるじゃないですか。6000万で売ったら500台売れるんじゃないかなあとか、5000万で売ったら1000台売れるんじゃないかな、と。それをやっちゃうから未来の芽をつぶしちゃうんです。ブランドの力を落としちゃうんです。学ぶべきところっていうのは大いにあると思いました。それを成し遂げているのがフェラーリっていうチーム、わずか3000人のチームでして、3000人のうち600人がF1という部門に従事しています。ですから残りのなんと2400人で年間8000台の車を開発して、生産するまで全部入れて2400人です。僕は大変なことだと考えます。
逆に日本に帰ってきまして、去年から今年にかけて、これは六本木ヒルズのアカデミーヒルズというところで「日本元気塾」という社会人向けの塾の塾長をやりました。8か月間、2週間に一回くらい27人の生徒さんと一緒に集まりまして、その生徒さんが実は外資系の証券会社の部長さんであるとか、最近だと悪名高き海外の証券会社のヴァイスプレジデントであるとか、そういった人たちが集まって、日本はどこに行くべきか自分の将来はどこに行くのかという議論を毎回続けました。
非常に面白かったのはその中で、日本人ほど哲学とか倫理観とか教育レベルとかそういったことの個人の力が高い国というのは、僕は今まで経験したことがなかったのです。ところが、そういう人たちを5人以上集めると、幼稚園みたいなもんでまるでまとまらない。イタリアの方がよっぽどまとまる、アメリカの方がよっぽどまとまるという現実に気がつきまして、ひょっとして日本って団体力ないんじゃないの?っていうことになり、僕の今までの仮説が逆転しました。皆さん何となく思い当たる節があるんじゃないかと。飲み屋に行くとすごいこと言うんです。仕事終わるとすごいこと言うんです。仕事の最中は黙って何も言わないですね。黙って何も言わないくせに何も考えてないかっていうと、当てると皆さんすば� �しいこと言うんです。僕はそれは卑怯だと思いまして、自分が考えていることを、その場で決められた時間の中で他の人とシェアしないのはプロとして犯罪に近いと考えています。イタリアでそれをやると二度と会議に呼ばれません。ところが日本はそれをやって、黙っている方が会議に呼ばれるという、これは悪しき慣習だと思います。
面白いのは日本の議論の仕方っていうのが、何かと個人攻撃になってしまうこと。これは日本の言葉の作りっていうものがどうしても目上とか目下とか、男性とか女性とか、自分の相手に対する相対的な位置を示す感情を表す言葉があるのに対して、英語とかイタリア語っていうのは非常に少ない言葉で情報の内容を的確に相手に伝える言語の作りなんです。だから、誰が何を言うかってことは� �要なじゃなくて、その話の内容の方が重要だって順序になってる。だから日本語で、実は個人攻撃にならない議論の仕方というのは非常に高度な議論力が要るというふうに思います。僕はこれを小学校で教えられなかったので、社会人になって必死の思いでイタリアで勉強しました、議論の仕方というのを。この「議論の仕方」をひとつの技術として、僕らは学ばなくちゃいけないんだなってつくづく思いました。
いわゆる会社という組織というのは、実は産業革命が起こってできたもので、それ以前っていうのは人類の99%は家で仕事をしていたらしいです。ところが産業革命が起こって、紙が印刷されて、いろんなエネルギーができて、みんなでひとつのビジネスを行おうっていうふうになりました。それが会社っていう形になって、お父さんは家にいるだけじゃなくて、朝には会社に出かけていって、そこで仕事をするという形に変わってきたのは、なんとたかだか150年前。本当の意味での会社という機能が世の中に存在し始めたのはたかだか100年前です。皆さん会社っていうものがこれから永遠に続くと思ってるかもしれませんけれど、今の形での会社という組織というのはもう崩れ始めています。会社の持つ意味というのは実は� ��常にいろんな意味があって、例えば昔、家でだけ仕事をしていた人というのは24時間の時間のほとんどを家族というコミュニティで、近所のコミュニティの中で過ごしていたわけです。
ところが今、その中の最低8時間、人によっては12時間から16時間という時間を、家以外の会社、仕事場っていうコミュニティで過ごしていますよね。当然のことながら家のコミュニティよりも会社のコミュニティの方が実ははるかに重要な意味合いを持ってきている。その後例えばPTAの集まりであるとか、いろんなジムに行ったりとか、今の皆さんというのは自分の中で最低4つのコミュニティを持っているって言われます。4つのコミュニティの中で、住んでいる家のコミュニティは実は一番重要じゃないコミュニティになってきているからこそ、近所付き合いがなくなってきているのは実はごく当たり前のことなんです。そうすると会社の機能というものが実は昔の家族と同じくらい大きい意味合いを持ってきて、そこで例� �ばいろんな、何かエンターテインメントしたりとか、植物を植えたりとか、一緒にご飯を食べに行ったりとかっていうのは、実はこれは当たり前の姿で、だから家庭崩壊が起こるんです。僕らが今の24時間の中で、通勤という時間を費やしている時間が何時間あるかと考えて、経営者として考えると、これは無駄ですね。それを省こうと思うと、家で仕事しなさいよ、となる。仕組みがきちんとできてて、それで結果がちゃんと出せる人であれば、家で仕事をした方がよっぽど結果は出るというのは皆さんももうお気付きで、実際そうしている方というのもこの中に実際にいらっしゃると思う。
これからは、会社という組織が逆に膨れていくか、どんどん崩壊していくか、その両方がこれからどんどんこの今後の50年間で起こってきます。それで重要になってくるのが、これは日本経済新聞に載せた記事なんですけれども、会社と個人、あるいは自分のキャリア、仕事と個人というバランスシートがあって、日本の特に若い人に強く言いたいんですけれども、勘違いしているのは、若い人が特に勘違いしているのは、自分は会社とか仕事から得るものだけ得て、一番得た時点で次のステップに移っていくのがキャリアアップである、と。実はこれ大きい間違いでして、自分が与えたものと相手からいただいたものの中で、相手にあげた方の大きい場合に、次の仕事につながります。これはアメリカとかヨーロッパの契約� ��会で非常に重要な考え方で、得たものよりも与えたものの方が多いことが大切なんです。それでこの人間は優秀であるという名声が広がって、きちんとしたお給料なり、それに対する対価をいただいて、次の仕事をもらうという仕組みを作るのが、実はプロとして非常に大切なこと。なんか高校の話みたいですみません。プロの皆さんを前にして。ただ、非常にその基礎が日本に帰ってきて成り立っていないのでびっくりしました。
もうひとつ、いわゆるブランド商品というものとコモディティ商品というものがあります。皆さんが作られているゲームとかエンターテインメントの中で、これがブランド商品、これがコモディティ商品と分けるのはまだ難しい段階にあると思います。ですけれどもハードの分野ではこれが明確に分かれてきています。ブランド商品の面白いところというのは、実はその利益率。縦の軸が利益率で、これが時間軸、つまりプロセスです。一番利益が高いのはメーカーなんです。メーカーというのは、例えば、フェラーリはどの素材を使おうが、どの部品を使おうが、誰が売ろうが、メーカーが一番利益を上げる、間違いなく売れる商品だったんです。
自動車に例えれば、日本の自動車の悲劇というものは、実はその正反対のコモディティ商品だという点にあります。要するに安くて生活の必需品ですね。そういうものっていうのは、実は素材であるとか原材料であるとか、小売りの人たちが高い利益を上げる。ヤマダ電機がそうですね、素材産業もそうですね。ところがメーカーっていうのは利益がほとんど上がらないです。