2012年6月4日月曜日


8: 忍法帖【Lv=23,xxxPT】 :2011/05/05(木) 07:03:40.69ID:7SITM7rt0
とりあえずこれ聴いて元気だそうぜ


9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:04:18.94ID:6yMe/mdhO
クウガを説教していいのは一条さんだけだろ


10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:05:43.43ID:cCDUno9h0
「君のとこの○○くん、あれはいかんな。彼のデスクみたか?」「ほぇ・・?デスク?すみませんまだ確認しておりません」
「ちょっと見てきなさい、あまりうるさく言うのは私も嫌いだけどさ」
ってことでソイツの机見にいったんだよ。俺の後輩だけど、部署が違うから見たことなかったんだ

11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:05:52.00ID:3bY1HHXX0
クウガを敵に回すとか愚かにも程がある

16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:10:33.96ID:cCDUno9h0
できるだけ気づかれないようにそいつの部署覗きにいったら、同い年の事務のすみれちゃん(仮名)に
気づかれた「(>>1)さん何やってるんですか!楽しそうですね(・∀・)ニヤリ」「・・いや、ちょっと○○(オダジョー)の様子を見に来たんだけど・・」
「○○(オダジョー)は今席外してますよ!ここの席です」

そして案内された机を見ると驚愕。机の上には空き缶がズラリ、PCのモニターにはモンキー人形がかかってるし
イスなんか会社のイスですらなかった(なんか網網のアジアンっぽいやつ)

17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:11:05.53ID:fYx++Ou5O
違う部の人を怒る課長って変なの
それを見に行く>>1も最高に変
いかれた会社に勤めてるんだな

23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:17:25.54ID:cCDUno9h0
>>17
会社ってのは普通課長は課長で横の"つながり"あるからな。オダジョーのいる部署の課長と同期だし。
たぶん噂が耳に入ったんだろう。というか噂になるほど有名だったんだな。もちろんその会話には
「オダジョーについてる奴って××(>>1)だろう」とかなんとか・・・・ハァ・・・・

19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:13:41.41ID:8tEZk4/40
金太郎曰く節穴の会社だな


20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:14:31.34ID:cCDUno9h0
文字通り言葉が出ないってやつだった「・・・・・(よく今まで俺が監督不行き届きで注意されなかったくらいだ・・・)」
今思えば、ちょっと自由にさせ過ぎたのかもしれん。尊敬がどうのこうの私情も入ってたからだと思う
んでここはガツンと言ってやろうと、オダジョー戻るまで待ってたのよ。

24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:20:12.23ID:cCDUno9h0
待ってる間すみれちゃん(仮名)の様子がどうもおかしい。ソワソワしてる。
そして奴が来た。「うぃーーっす、結構並びましたよ。震災の影響っすかね。はい、すみれさん食パン」

こいつは何を言ってるんだ

27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:23:00.57ID:cCDUno9h0
「あれ、センパイ 何でここにいるんですか?何か用事でも・・・?」
「おい、○○(オダジョー)、お前なんだその買い物袋は」「え?・・・買出しっすよ・・・」
「10時半に買出しする馬鹿どこにいるんだ!!!!!!!!!!」 思わず声あげちまった

28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:23:08.88ID:+pgVWS7D0
オジギリダョー

2012年6月3日日曜日


もともとは研究用ソフトウェアの開発履歴に関するページだったのですが、開発関連よりも雑談の方が多くなったので、2001年分から別のページを用意することにしました(過去のページの一覧はこちら)。リンクは勝手にしてください(でもリンクしたい人なんているのでしょうか)。それから海外出張の写真一覧はこちらにのせてあります。筆者のプロフィールはこちらです。SNSは苦手なのですが、Twitterもはじめてみました(ichiro_satoh)。なお、このページはRSSに対応していませんが、外部のを使うとRSS購読もできるそうです(当方は関知していません)。下記はあくまでも個人の意見であり、組織を代表するものではありません。

2012年6月1日

とうとう6月。信じられません。今月前半は怒濤の忙しさになりそう。乗り切れるかなぁ。

2012年5月31日

Paxosについて聞かれることがあるので、少々。PaxosはL.Lamportが提案した分散システムの耐故障性をもつ分散同意アルゴリズム。同意アルゴリズムというのは各コンピュータで同じ値を持つことを保証するアルゴリズム。それが簡単なようで難しいのが分散システム。なんでPaxosというかというと、L.Lamportは分散システムにおける故障の問題をビザンチン(東ローマ帝国)における将軍の裏切りにメタファにおいた論文"The Part-Time Parliament"を書き、その後は同種の問題はビザンチン問題と呼ばれ、定番専門用語になったのですが、それの再来を狙ったのか、ギリシャのPaxos島で永遠に議論を続ける逸話にメタファにして、彼の新しい分散同意アルゴリズムを説明したのでした。ただ、この論文は非常に難解。その当たりの背景は彼のノートを見てください。その後に国際会議PODCで、彼自身の簡易なPaxos解説を文章化したのが"Paxos Made Simple"という論文。だから、手っ取り早くPaxosを理解したいならば、こちらを読むべきでしょう。

ちなみに1998年に論文"The Part-Time Parliament"が論文誌ACM TOCSに掲載されたときは、投稿から10年して、引出で発見されたとか、Lamportは考古学者になったとか、ジョークが書かれており、それで話題になりました。というわけで当方も読んでみましたが、まったくというのほど理解できませんでした。もうすこし正しくいうと何をしたいのかという課題設定すらわかりませんでした。

そのあとにLamport自身を含めて数多くの拡張が行われます。そのあたりは分散アルゴリズムとしては面白いのですが、もしPaxosを実装するうえで重要なのはChandraの"Multi-Paxos"の論文でしょうね。"Multi-Paxos"はGoogleのChubbyのベースになったPaxosに関するもの。もうひとつは埋もれていたPaxosを注目されることになったLampsonの論文と、Jim GrayとLamportの共著論文。このあたりは読んでおくといいでしょうね。なお、分散アルゴリズムの研究者は、一般のアルゴリズムの研究と同様に、アルゴリズムそのものよりも、アルゴリズムの証明に注力する傾向があり、実装に向かないアルゴリズムも多いのです。

2012年5月30日

今回の出張は先方持ちということで、前からいきたかった九州国立博物館にいってみる。途中で、高名なマイケル・サンデル教授と話すことになったり、いろいろ体験をすることに。昼過ぎには福岡空港から羽田に移動。

2012年5月29日

福岡で講演。最初の講演なのに時間オーバーして、後の講演に迷惑をかける。反省でございます。

2012年5月28日

午前中は慶大の大学院授業「計算モデル」、夕方は勤務先の大学院「分散システム」。後者はひたすらデータ複製の話。ご参考に授業用資料をここにおいておきます。分散システムではデータ複製は、性能改善及び信頼性向上では必須技術なので、丁寧に教えておかないといけないところ。原始的なPrimary Backup方式(データベース屋さんだとPrimary Copy方式)が妙に詳しいのですが、なんだかんだといって一番多く使われているので、Quorumなど新しい技術を知る上でも、定番手法とその損得をきちんと理解しておくことは必須。

ここ数年は分散システムが実務でも広く使われるようになったためか、特定の流行手法についてだけで、手短に教えてほしいとよく頼まれます。でもそれって教わる方にも、無意味なのですよね。例えば数学でいえば、代数的素養がないのに圏論だけ教えてくれ、といっているので同じ。さらに分散システムで求められる機能の多くは複数の手法で実現できます。でもそれぞれの方法には損得があります。だからそのうちの手法のひとつだけをしっても仕方ない。同じ機能を実現する複数手法を含めて体系的に勉強しないと理解できない。遠回りに見えて、体系的に勉強すべきで、例えば流行の勉強会のように単発または数回の講座でわかるほど浅くない。その意味では大学院などできちんと勉強した方がいい分野。ちなみにこの授業で� ��、上述の資料を90分の授業2回分なのですが、それ以外に補足する論文が5本、論文1、論文2、論文3、論文4、論文5でした。最新知識はどんどんアップデートされていくので、結局、論文をおうしかないのですよね。古い論文も含まれますが、毎年、補足論文は入れ替わっています。

また分散システムはOSほど技術が整理されておらず、技術と技術が独立ではない。例えば二つの技術を例にとります。一つは分散同意アルゴリズムは相違なコンピュータ間で値を共有するためのアルゴリズム。もうひとつは原子ブロードキャスト、これは多数のコンピュータにデータが送信して、受信時に他の通信と順番が入れ替わらないように通信する方法。つまり前者は状態に関するアルゴリズム、後者は通信手法。前者で後者をエミュレートできるし、後者で前者をエミュレートできます。原子ブロードキャストというのは分散同意アルゴリズムと同じで、受信者に同じ値を渡しているわけですから。分散システムの諸技術は一見違うようですが、実は同じだったり、一方が別の技術と衝突したりで、やっぱり体系的に勉強した方� �いいんですよね。

2012年5月27日

論文を読むのは仕事の一部ですが、正直いって、難しくてわからない論文に出会うことが多い。研究者には、難しくてわからなかったということをいわない方が多いのですが(なんでもわかる方もおられるでしょうが)、当方はというと、自尊心というのが希薄なこともあり、難しくてわからなかった論文、自分には難しくてわからなかったと、まわりの研究者にも学生さんにも堂々といってしまう。むしろ、わからないことをわかったふりをすることは研究者としてはしてはいけないことだと思っているから。

逆に学生さんをみていて、伸びない学生さんというのは共通点があって、勉強する場合でも、論文を読む場合でも、自分が理解していること、知っていることを確認するために教科書を読んだり、論文を読んだりしています。受験勉強ならばそれでもよかったかもしれませんが、自分の頭の良さや知識の多さを確認しても意味がない。むしろ、自分がわからないこと、知らないこと、気がつかなかったことを見つけることが大切。その辺のモチベーションの違いが大きな差になって表れますね。

それと独善的に聞こえるかもしれませんが、むしろ自分がわかるか否かを研究の評価軸だと思っています。わからない論文に出会ったら、自分がわからないのだから、わかる人は窮めて少数と判断しています。多くの場合は論文のプレゼンに問題があるのですが、コンピュータサイエンスも深化が進んでいて、難解な理論や難解なシステムは増えています。ただ、難しいと感じるような方法は実装が技術的に難しかったり、また実装する人がいなかったりします。だから難しいということを見極める感覚はたいせつ。

2012年5月26日

ニコンのD800Eを使わしてもらう。レンズは純正の24-70mm f/2.8。正直いって当方の腕では使いこなせない。IRフィルターなしの3600万画素はピント部分とそれ以外がはっきりわかり、オートフォーカスを使うにしても、フォーカスした部分に相当しっかり合焦させないとピントがあってないことが丸わかり。それと一眼レフならば1/30秒ぐらいならば、風などの悪条件でもなければ、ブレない自信があったのですが、解像度が高いのでブレがまるわかり。ISO値を上げて、シャッター速度を稼がないと手持ちはちょっと辛いかもしれません。ミラーの振動を拾ってしまうという話がありましたが、頷ける感じ。人は撮りませんでしたが、わずかな木々の揺れでぶれます。それとF値を大きくすると回折がわかりますね。教科書的には知っていましたが、実感できたのは初めてでした。カメラ雑誌のレビュー ではないですが、使ったのはズームレンズとはいえ、35mm(135)用レンズの限界を超えています。逆に言うとキヤノンが5D-MK3で、画素数を上げなかったのは正しいかも。というわけで次は5D-MK3を借りるチャンスを狙います。でも正直いって大きな一眼はもういいかも。だって重いの辛いから。

2012年5月25日

仕事柄、SI企業のPMさんやシニアSEさんと話すことが多いのですが、自分が関わっているシステムに使われている技術を知らない人が多い。これは研究者にもいえるのですが、技術的にわからないことを、わからないといえないと、どんどんわからないことが増えていく。PMさんだと立場上、技術に精通しているという立場だから、技術上の初歩的な疑問は聞きにくい。そこできかないと、わからないことが上積みされていくんですよね。なんでこんなことを書いたのかというと、最近、比較的若いSEさんでも増えているように思ったから。SI企業が設計工程の上流にシフトするのはいいのですが、下流の技術を驚くほど知らない。恥ずかしがらずに現場に聞けばいいと思うのですが、できないのですかね。最近、SI企業の技術力の低下が指� �されますが、これはミクロ的なことですが、低下の一番大きい要因のではないかと思っています。

2012年5月24日

学生指導を語るほど学生指導をしていないのですが、ひとつだけ決めていることがあって、それは学生さんの研究テーマと自分の研究のテーマは合致させないということ。というのはコードはもちろん、アーキテクチャでも、指導教員のコードやアーキテクチャに不備があっても、学生さんは、どうして「このコードにしたのですか?」、「どうして、このアーキテクチャにしたのですか?」は訊ねられても、「このコードはダメ」、「このアーキテクチャはおかしい」とは言いにくいから。もし指導教員のアーキテクチャやコードに問題があると、学生さんも巻き込むから。それだけは避けたいから。

ソフトウェア系の研究室は、指導教員がアーキテクチャを設計したり、プログラムを書いたりすることも多いのですが、でも指導教員と学生さんの共同プロジェクトでうまくいった例をあまり見ないのですよね。よくあるケースとしては予算プロジェクトの関係で、指導教員が提示したアーキテクチャを学生さんが作っているような場合、上述のような状態になっていることが多いですね。もちろんそれ以外のケースもあるわけですが。

それともう一点を気をつけている点をあげると、学生さんには研究テーマを決めるときに、そのテーマをやめる条件も決めてもらっています。企業に就職するケースでは、学生時代の研究を企業で続けられることは少ないので心配なのですが、アカデミアに就職すると博士論文の研究テーマを引きずる人がいるので。実際、失敗する研究者をみていると、昔の研究テーマをずるずると続けて、時代から取り残されるケースが多いですから。それに同様に取り残される研究者は何人かは残りますから、本人はまわりもやっているからと思って、取り残されていることに気がづかない。逆に能力のある研究者だと、数年後、世の中で流行る研究テーマを予測できるのですが、実際に世の中で流行ったからといって、その研究テーマを続けるか� ��別問題。むしろ世の中で流行ったのなら、企業に任せればよく、アカデミアの研究者はさっさと次のテーマにいった方がいい。

当方自身はというと、新しい研究テーマをはじめるときは、そのテーマをやめる条件項目を作って、それをメモしてあります。その条件に少しでも抵触したら、そのテーマから撤収。各研究テーマの撤収条件は、○○技術で他の研究者に先に行かれたら、××技術が商業化されたらなど。もちろん、先のことはわからないのですが、概して初期の方が冷静に分析できるいるから、昔の自分を信用した方がいい結果を生むみたい。ちなみに当方の場合、各研究テーマでひとつだけ共通撤収条件があって、それは5年間以上は続けないこと。もちろん研究と時間は独立ですが、一方で一人の研究者が研究できる時間は有限ですから、やっぱり時間的制限は必要だと思います。

あとは研究テーマをはじめるときは、その研究テーマの仮説を厳密に定義しておくことでしょうか。研究テーマは失敗することがあるわけで、重要なことは失敗を早めに気づいて方向転換すること。仮説に応じて研究内容を決めているのに、仮説をあいまいに定義しておくと、まわりの状況が変わると、その状況変化に仮説をあわせてしまう。その結果、仮説と研究内容が乖離して、なんのための研究なのかがわからなくなる。だから仮説はなるべく厳密に定義をして、仮説の不備がすぐに気づくようにしておくことでしょうかね。当たり前ですが、仮説を変えるときは研究内容も変わることになりますね。柔軟性を大切だけど、変えるときは変える対象に依存する部分も変えないとダメですからね。

2012年5月23日

取材×3件と来客4組。というわけで時間が細切れ状態でしたが、懸案の書類が進んだのでよしとしましょう。

2012年5月22日

Hadoopとバッチ処理の親和性が話題になりますが、単にHadoopの実行粒度がバッチ向きとかいうこともありますが、個人的には、いまのコンピュータの生い立ちに起因すると思っています。バッチ処理というとメインフレーム、メインフレームというとIBMなのですが、そのIBMの前身は、アメリカ合衆国国勢調査局の技術職員だったハーマン・ホレリスが発明したパンチカードマシンを製造販売するタビュレーティング・マシンという会社。ホレリスは国勢調査局時代(1880年)、国勢調査の集計を手作業で実施しており、10年ほどかかる膨大な作業だったそうです。その後、彼はMITで機械工学科で学んでいるときに、その国勢調査の集計を高速化する方法として、パンチカードマシンを発明しました。それを米国勢調査局を採用して、1890年の国勢� ��査の集計は2年間とかからずに終わったそうです。

パンチカードマシンによる国勢調査では、氏名、年齢、住居種別、人種、肌色、性別などの情報がコード化されてパンチカードに格納されており、それぞれの項目毎にソートされて、それぞれを集計していきました。さてHadoop、正しくいうとそのHadoopの元となったMapReduceによる集計ですが、データはキーと値の組で扱われますが、キー毎にまとめて、それぞれを集計していきます。つまりやっていることはほとんど同じなのです。パンチカードマシンによる国勢調査は保健管理や社員管理に使われることになりました。そしてパンチカードマシンは電子化されて、その後のメインフレームになり、いまのコンピュータにつながっていきます。

何をいいたいのかというと、Hadoopによる集計処理というのは、バッチ処理の原型に近いわけで、Hadoopがバッチ処理の置き換えができるのは当然だといえます。それから米国の国勢調査は近代の国勢調査のさきがけでしたして、おそらく人類史上の最初のビッグデータだったと思われます。なお、ある講演でホレリスのパンチカードマシンを例にMapReduceの説明したことがありますが、見事にすべりました。というのはホレリスの名前はもちろん、パンチカードマシンを見たことのない方がほとんどでしたので。

それから本「IDの秘密」には「国勢調査、ID、そしてビッグデータ」という幻の章があったのですが、これはホレリスとパンチカードマシンがマイナーなことに気づいたことが大きいのですが、タビュレーティング・マシン社のその後の会社の方に書いていいか打診したら、強く拒否されたこと(拒否理由は話せないとのことでしたが、もしかするとナチスがパンチカードマシンを使っていたという噂に関係があるのかなぁ)、ページ数の問題から削除となりました。

2012年5月21日

出張疲れが残っていますが、午前中は慶大の大学院の授業。先週は授業前に雑談を話したのですが、クレームを付けられる。ということで授業の本筋だけを話す。授業で話す内容や技術が社会でどのように使われているのか、この授業は計算モデルなのですが、ソフトウェア開発やSIなどで使われることが多いので、企業におけるソフトウェア開発が最近どのような状況で、その中で計算モデルがどのように使われているかは話しておいた方がいいと思って話したのですが、この大学の学生さんは本筋以外のことは望まないようですし、特に実学的な話題は一切不要とのこと。それに情報系が専門でなくても、SI屋さんに就職する方の比率は結構高いはずで、計算モデルの授業でなくても関係あるはずだけどね。このあたりは大学のカラー というか、生徒気質が出ますね。なかなか興味深い。ただ、授業の本筋だけならば書物を読めばいいわけで、授業に出なくてもいいのにね。

2012年5月20日

帰国。成田空港は入国審査場はガラガラなのに、手荷物受取状は劇混み。どうなっているのやら。

2012年5月19日

さて帰国のために移動。まずはマドリッド空港からルフトハンザのミュンヘン行き。それから全日空の成田行き。往路は運良くプレミアムエコノミーにアップグレードしてくれましたが、復路はエコノミー。問題はミュンヘン便は古い機体だからエコノミー席にシート電源がないこと。いろいろお仕事しないといけないので、辛いところ。それにしてもマドリッドは35度の日があったり、今日は昼だというのに15度。すごい温度差でした。

バリトン歌手のDietrich Fischer-Dieskau氏が18日に亡くなったそうですね。実は学会会場の行き帰りに訊いていたのは彼が歌うSchubertの冬の旅でした。Fischer-Dieskau氏は最も好きな男性歌手でしたし、NHK教育テレビで「シューベルト歌う」という番組で講師役を勤めたときは、シューベルトを歌うわけでもないの毎週欠かさずにみていたり。冥福を祈りたいです。

2012年5月18日

国際会議の2日目。なんというか数式がお好きなコミュニティの会議ですね。いきなり数式の説明から始まって、そのまま数式でおわるという状態。それでもいいのですが、ちょっと分野が違うと質疑も、セッション後の議論も絡みようがない。さて会議は昼過ぎにおわって、30分弱でいけるセゴビアにいってみる。

ところで、一昨日の続きですが、スペインから学ぶべきことは多い。例えばスペインは全量買い取り制度(FIT)による太陽光発電の拡大したけど、結局、財政負担急増による取止めで失速。日本も全量買い取り制度が始まりますが、同じ展開になりそう。所詮、補助金に頼った事業は長続きしないし、エコポイント制度に代表されるように補助金が終わったときの反動が大きいですから(世界的にみて、FITを導入して、うまくいった国はそもそもあったのかという感じ。もちろん大失敗した国はいっぱい)。

先日のスペインの地方分権にしても、重複が多くなって無駄が増える、つまり財政負担は増える。それに法人税などにより、自治体間の財源の格差は広がりますし、それを調整する制度を作ったり、既存の地方交付金と変わらない。それとスペインでは地方分権に踏み出す以前から、自治体間で債務状況は違ったそうで、返済どころか、利子負担で財政破綻するリスクもあります。

そして何よりもスペインの地方分権で学ぶことは、一度、地方分権に舵を切ったら、どんな問題が起きても、元に戻すことは非常に難しいということ。実際、スペイン政府は1970年代後半の地方自治制度によって、地方に移譲した権限を中央政府に戻すことを提案していますが、中央政府のお膝元であるマドリッド州知事まで反対しているそうです。中央政府の権限が、役所だけでなく、多方面で既得権益化しているのと同じで、その権限を地方に委譲すれば、地方自治体と地元の一部で既得権益化がおきてくるわけで、元に戻すことは不可能に近いはず。仮に地方分権を進めるにしても、スペインの事例を学んで、失敗しても後戻りはできないことを肝に銘じてほしいところ。

2012年5月17日

国際会議(EAIS'2012)で発表。開催場所の大学の関係者に頼まれたので投稿したけど、学習系、それもその定式化がお好きなコミュニティ。他の発表は数式ばかりで、何に使うのかを説明しない発表が多い。それと関係者が国際会議慣れしていないというか、会議委員長の挨拶から外していて、なんというか。夜はバンケットだったのですが、なんと会場はリアルマドリードのホームスタジアム内のレストラン。

2012年5月16日

今日は代休日ということで、トレドに行ってみる。最後にマドリッドに来てから、1ヶ月半弱だし、どうせならばちょっと違うところへ。トレドはマドリッドからは列車で30分弱の街ですが、トレドはマドリッドに遷都するまではスペインの首都だった古都。中世で時間が止まったような街でした。

スペインの財政危機が懸念されています。前回の出張を含めると10人以上のスペイン人に財政危機問題を訊くのですが、そこで見えてきたのは地方分権の失敗でした。ご存じのようにスペインは大きく分けて、4つのブロックから分かれており、バスクなどは独立運動が起きていますし、バレンシアでは例えばバルセロナで開催された国際会議ではローカル組織委員会が開催地名から、スペインと書かずに、バレンシアと表記したりで、地域毎に向いている方向がばらばら。ということもあって、(スペイン人曰く)1978年の地方自治制度で改革で、スペインは17州それぞれに小国家群となったそうです。例えば首都があるマドリッド周辺は、マドリッド自治州という名称であり、ある種の小国家状態。

地方分権を進めたわけですが、財政効率が悪化した。つまり同じような組織を各州が作るから重複が多く、無駄が多い。日本でも政府集中よりも地方分権がいいという流れですが、地方分権は無駄が多くなります。またどうしても部分最適化されてしまって、それが全体最適化につながらず、国力を落とすことも多い。

さてスペインの話を戻すと、数人のスペイン人が共通して話すのは、スペインの財政危機を解消する最重要条件のひとつは、各州から権限を取り上げることだそうです。もちろん、これだけでは解決できるとは限らないのですが、この問題を残していると財政危機リスクはなくならない。ただ、再集権化はバスクなどの独立志向の強い地域の独立運動を引き起こし、内戦化しかねないというとのこと。実際、1930年代のスペイン内戦という不幸な歴史がある国なので、冗談ではなさそう。

2012年5月15日

全日空でミュンヘン、それからルフトハンザでマドリッド。ミュンヘン便はプレミアムエコノミーにアップグレードしてもらえた。全日空は早割などの安価チケットの乗客は滅多にアップグレードしてくれないので助かります。早割でアップグレードしてもらったのは昨年の8月以来かも。全日空は昨年、プレミアムエコノミーにアップグレードしてもらったけど、結局、機体変更で強制ダウングレードされたことまであったり(しかも説明も一切なかったし)。

2012年5月14日

慶大の大学院の授業。毎年訊かれるのは何枚の課題レポートを書けば単位をもらえるのかという質問。課題を出す前から訊かれてもという気もしますが、もちろん悪意はないのでしょうが、必要以上のことはしたくないというの打算が見え隠れするんですよね。買い物をするのではないのですから、一番安い値段で買いたいと思われても困るし、または就職活動でいうならば自分の価値を一番高く買ってくれるところを探すにしても、まずは自分の価値を高めることの方が先だと思ったり。

夜は勤務先の大学院。さすがにレポート枚数的な質問はないのですが、講義が英語なので10倍ぐらい疲れるんですよね。

2012年5月13日

職場の同僚というか、学生時代の同じ研究室の出身者というか、至近の住人というか、ともかく大切な方の結婚式&披露宴。それにしても縁がありますね。だいたい同じ研究室の出身者で同じ職場は彼しかいなかったのに、期せずして住んでいるところも至近となったわけで。いずれにしても、本当におめでとう。そしてとってもいい結婚式&披露宴でした。ありがとう。それからお土産のチーズケーキおいしかったです。

2012年5月12日

今日は休日出勤はなし。いろいろぐったり。でもいろいろ書類作り。ここ数年は、いかに時間を作るのかが課題になってきている感じですね。ただ、時間を作るためには最終的には何かを切らないとダメなわけで、何を切るかも悩ましい。それと研究者は考えることが仕事ですから、集中して考える時間を作ることが重要課題。それと専門となるコンピュータサイエンスの現状は、現実世界の課題を解決することに注力するしかなく、実アプリケーションの要求を知っている研究者が有利というか、本質的に新しい研究課題が減った現状では、実システムの課題を知って、それを解くことが重要となるわけで、アカデミアの研究者でも実アプリケーションの要求を知れる立場の研究者とそうでないはない研究者の差は埋めようないほど広� ��っていいるのが現状で、いかに実アプリケーションの要求を知るための手段を作るかが重要。逆に言うと実アプリケーションの要求を知り得ないと確実に先がない状態。ただ、当の本人はそれに気づけているかは別問題なわけですが。

2012年5月11日

ビックカメラがコジマを買収。びっくり。それでも売上規模ではヤマダの半分。それもびっくり。でも一番、びっくりしたのは家電量販店が家電量販店を買収したことだったり。駅前や郊外に大きな店を構えて集客するより、通販に力を入れるべきだと思うし、通販業者または通販に強い業者を買収すればいいのにと、素人的には思うのですがね。

2012年5月10日

先月、不愉快な思いをした某大手SI事業者さん主催のセミナーですが、なんと再び講演を頼まれる。中に入った業者さんの問題とはいえ、もうなんというか、さすがにびっくり。こちらも不作法を水に流して、大人の対応したのですから、最低限の大人の対応はしてほしいと思ったり。

2012年5月9日

RFIDの講演。講演資料の提出締め切りが4月上旬。どんな資料を作ったのか、すっかり忘れており、あわてて復習。PowerPointの次のスライドを表示する機能があったから助かったのですがね。ちなみに会場はビッグサイトでは一番大きい会議会場、1000人収容だそうです。実際の客入りは600〜700人ぐらいの客入りでしょうか。

当方のあとは商社の方がアパレルにおけるRFIDタグ活用事例を話されたのですが、アパレルとRFIDタグは、5年ぐらい前に大型倒産した某ITベンダーの一件があり(ここ10年間でIT業界の倒産では負債が一番大きい?)、あまり触れたくない組み合わせ。もちろん、その商社は無関係なのですが、あの倒産にはいろいろ噂もあり、RFID業界及びIT業界関係者だったら冷や汗ものだったはず。主催社は知らずに企画したのでしょうが、もし知っててやったならば、いわゆる炎上マーケティングよりも怖いです。

2012年5月8日

昼間はひたすら雑用。夜は某セミナー。Facebookの話、なんというか、残念というか、さすがに途中で帰ろうかと思いました。ただ、同社のアーキテクチャは知っておいた方がいいので、Facebookのアーキテクチャー図を描いておきます(研究室向けには説明していたりするのです)。あくまでも当方が想像したアーキテクチャなので、正しいかはまったくの謎。

2012年6月1日金曜日


ホロコースト(holocaust)は、元来はユダヤ教の宗教用語である燔祭(獣を丸焼きにして神前に供える犠牲)を意味するギリシア語で[1]、のち転じて火災による大虐殺、大破壊、全滅を意味するようになった[2]。現在では、第二次世界大戦中のドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺を指す。英語では、前者2種の意を普通名詞 (holocaust) とし、後者を定冠詞をつけて固有名詞(the Holocaust)として区別している。動詞としても使用されることがある。

[編集] 語源および語の使用の変遷

ホロコーストは「全部 (ὅλος holos)」+「焼く (καυστός kaustos)」に由来するギリシア語「ὁλόκαυστον holokauston」を語源とし、ラテン語「holocaustum」からフランス語「holocauste」を経由して英語に入った語であり、元来は、古代ユダヤ教の祭事で獣を丸焼きにして神前に供える犠牲、「丸焼きの供物」、すなわち燔祭を意味していた[3]。またここから派生した意味に「火災による惨事」があり、一般的にはこちらの方が主に使われていた。のち転じて、全焼死や大虐殺を意味するようになった[4]

ホロコーストに相当するヘブライ語は「オラー (olah)」であり、「焼き尽くす捧げもの」を意味した[5]

日本では、永井隆が長崎への原爆投下を「神の大きな御摂理によってもたらされた」とし、原爆投下を「大いなる燔祭(en:Holocaust (sacrifice))」と解釈したこと[6]が論評されている(浦上燔祭説参照)。

[編集] ショア

ホロコーストに相当するヘブライ語は「オラー (olah)」だが、特に「ナチスによるユダヤ人大虐殺」を指す場合は"惨事"を意味するショア (השואה) が用いられる。かつて英語では「ジェノサイド」などが用語として一般的だったが、1978年アメリカNBC系列で放映された長編テレビドラマ『ホロコースト 戦争と家族』("Holocaust")が話題となり、流行語となったこの語が「ユダヤ人大虐殺」を表す言葉として普及した。イスラエルでタカ派リクード政権が発足した後、1985年にはイスラエル政府の資金提供を受けた映画『ショア』が制作され、日本では1995年に上映されて以降、「ショア」という用語が普及した。

[編集] ドイツによるホロコースト

1930年代から1940年代にかけてのナチス政権下のドイツ国内及び第二次世界大戦中ドイツに占領されたヨーロッパの国々において、ユダヤ系市民は差別迫害を受けた。こうした第二次世界大戦中のユダヤ人の歴史について、戦後、ニュルンベルク裁判は、「ドイツはユダヤ系市民をただ、ユダヤ人であるというだけの理由で絶滅しようと計画した」と事実認定し、これを「人道に対する罪」と看做した。更に、同裁判とそれに続いて行なわれた西ドイツでの裁判その他において、そうした民族絶滅計画の手段として、ドイツは収容所に処刑用ガス室を作り、一酸化炭素や青酸ガスによってユダヤ人の大量殺人を行なった、等の事実認定がなされた。

これらの戦後の法廷での事実認定を基に、ジェラルド・ライトリンガー(ドイツ語版、英語版)、ラウル・ヒルバーグ、ウィリアム・シャイラー、等の歴史家が、体系的な記述を行ない、この時代のユダヤ人の運命についての通説が確立された。それが、1970年代後半、アメリカで、テレビドラマ『ホロコースト 戦争と家族』が製作され、ドイツを含む多くの国々で放送された結果、第二次世界大戦中のドイツによるユダヤ人迫害、特に民族絶滅政策の実行の過程を「ホロコースト」と呼ぶことが定着した。(ただし、ユダヤ教徒の中には、神聖な儀式である「ホロコースト」の語をドイツのユダヤ人迫害を指す言葉として使用することを批判する声もある。)

「ホロコースト」という名称は、大戦中から大戦後暫くの間、ユダヤ人の間で、「ドイツはユダヤ人を生きたまま火の中に投げ入れて焼き殺している」との言説が広く信じられたことを起源に持つ。これは、エリ・ヴィーゼルの回想録『夜』で確認出来るが、戦後長い間、「ホロコースト」という言葉は「火事」の意味でしか一般には通用しておらず、例えばアルフレッド・ヒッチコックの映画『北北西に進路を取れ』では劇中タンクローリーの炎上事故を伝える新聞の見出しで「Holocaust」という言葉が使われていた。現在は、教科書にも載っているが、『夜と霧』などの旧来から存在する書籍に「ホロコースト」と言う語が見られないのは、こうした事情による。

通説によれば、ドイツによるホロコーストによって殺害されたユダヤ人は600万人以上とされている。それ以外にもロマ人、スラブ民族(主に戦争捕虜)、共産主義者、ポーランド人、身体障害者、同性愛者なども迫害され大量に殺害されたとされるが、「ホロコースト」と言う語は、ユダヤ人を対象にした大量殺害を指して使われるのが普通で、ユダヤ人の中には、この語を他の民族にも拡大して使用することに、反発する個人、団体がある。

また、それらの行為を認定したニュルンベルク裁判自体が近代刑法における原則である法の不遡及を守らず、被告の控訴も認めず処刑し、中立的であるはずの裁判官が全員連合国から選出され、また、本来は全員が枢軸国側から選出されるはずの弁護団も連合国側から選出されるなど、最初から恣意的な裁判審理手続きを定めた裁判は、近代法に基づく裁判とは完全にかけ離れており、現在のドイツ政府ですら、ニュルンベルク裁判を認めるいかなる条約も結んでいない。こうしたやり方の認定に果たしてどの程度信憑性があるのか、歴史学者の間で議論が続けられている。

こうした歴史について、ドイツがユダヤ人を差別迫害したこと自体は認めながら、通説の見解に疑問を投げ掛ける者もあるが、以下には、通説の見解を要約して述べることとする。(通説への異論については、ホロコースト否認の項を参照のこと。)

まず、ホロコーストの犠牲者の数には諸説あるが、900万から1100万人に上るとも考えられている。

ナチス政権下のドイツによる迫害と殺戮は段階的に行われた。まず、第二次世界大戦の開始より数年前に、ドイツ国内でユダヤ人を社会から除外する法律が制定された。次に強制収容所が建設され、ほぼ全ての犠牲者はそこで死ぬまで強制労働をさせられている。ドイツは東ヨーロッパで新たな領土を占領するたびに、アインザッツグルッペン(de:Einsatzgruppen)と呼ばれる特殊機動隊を使ってユダヤ人や抵抗勢力を公開銃殺刑にしている。

現在のドイツ、フランス、ポーランド、ポルトガル、チェコなどのヨーロッパ諸国において、ホロコーストの否定は刑事罰の対象になる。特に加害者であるドイツでは3ヶ月以上5年以下の懲役刑、被害が最も大きかったポーランドでは罰金または3年以下の懲役刑になるなど、社会的にも最大のタブーとされている。ポーランドではユダヤ人総人口の9割がホロコーストで死滅したとされている。

その一方で、イスラエルと対立する一部のイスラム世界等、直接ホロコーストに関わっていない国や地域においては、「第二次世界大戦中に米英とシオニストの流したプロパガンダに過ぎない」とこれを認めないこともある。当時の公式文書や大量殺戮のためのガス室が発見されていないこと。また、ニュルンベルク裁判でのヘルマン・ゲーリング以下の被告が、虐殺があったことは間違いないだろうが自分たちは大量虐殺に関与していないし、そんな事実も知らなかった。として無罪を主張していたことなどが傍証として挙げられている。特にヒトラーに次ぐ国家的地位にいたヘルマン・ゲーリング国家元帥による「ヒトラー自身もこのような虐殺を知らなかった。」とのニュルンベルク裁判の証言が存在する。

[編集] ドイツによる「ユダヤ人問題の解決」政策

ナチス党政権下のドイツはとくにユダヤ人の殲滅政策 (die Endlösung der Judenfrage 「ユダヤ人問題の根本解決」または die Reinigung 「民族浄化」)を重要視して、約500万から700万人のユダヤ人を虐殺したとされるが、「絶滅」が戦前から「計画」されていた目的であるのか、戦争突入後の状況変化による非計画的なものであったのかは、研究者によって意見が分かれる。

1938年11月にドイツ全土とオーストリアでおきた水晶の夜 (Kristallnacht) 事件、1939年から1941年に優生学思想に基づいて実行された安楽死政策 T4作戦をホロコーストの始まりと定義する歴史家は多い[要出典]。その後、第二次世界大戦の戦局の悪化に伴いドイツは絶滅収容所の導入など、殺害の手段を次第にエスカレートさせていったとされる。

その一方で、「劣等民族」または「不穏分子」としてシンティ・ロマ人(約20万人)、ポーランド人(300万人のキリスト教徒と300万人のユダヤ人)、セルビア人(50万から120万人)、ロシア人、スラブ人、知的障害者、精神病者、同性愛者、黒人、エホバの証人、共産主義者、無政府主義者、反ナチ運動家なども殺害したとされる。ユダヤ人の虐殺のみをもってホロコーストと呼ぶ者もいるが、実際にドイツによって殺害されたこれらマイノリティーの合計は、900万人とも1100 万人[要出典]とも言われる。