2012年6月4日月曜日

オダギリジョー似の後輩に説教したら会社に居場所なくなってワロタwww:ハムスター速報


8: 忍法帖【Lv=23,xxxPT】 :2011/05/05(木) 07:03:40.69ID:7SITM7rt0
とりあえずこれ聴いて元気だそうぜ


9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:04:18.94ID:6yMe/mdhO
クウガを説教していいのは一条さんだけだろ


10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:05:43.43ID:cCDUno9h0
「君のとこの○○くん、あれはいかんな。彼のデスクみたか?」「ほぇ・・?デスク?すみませんまだ確認しておりません」
「ちょっと見てきなさい、あまりうるさく言うのは私も嫌いだけどさ」
ってことでソイツの机見にいったんだよ。俺の後輩だけど、部署が違うから見たことなかったんだ

11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:05:52.00ID:3bY1HHXX0
クウガを敵に回すとか愚かにも程がある

16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:10:33.96ID:cCDUno9h0
できるだけ気づかれないようにそいつの部署覗きにいったら、同い年の事務のすみれちゃん(仮名)に
気づかれた「(>>1)さん何やってるんですか!楽しそうですね(・∀・)ニヤリ」「・・いや、ちょっと○○(オダジョー)の様子を見に来たんだけど・・」
「○○(オダジョー)は今席外してますよ!ここの席です」

そして案内された机を見ると驚愕。机の上には空き缶がズラリ、PCのモニターにはモンキー人形がかかってるし
イスなんか会社のイスですらなかった(なんか網網のアジアンっぽいやつ)

17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:11:05.53ID:fYx++Ou5O
違う部の人を怒る課長って変なの
それを見に行く>>1も最高に変
いかれた会社に勤めてるんだな

23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:17:25.54ID:cCDUno9h0
>>17
会社ってのは普通課長は課長で横の"つながり"あるからな。オダジョーのいる部署の課長と同期だし。
たぶん噂が耳に入ったんだろう。というか噂になるほど有名だったんだな。もちろんその会話には
「オダジョーについてる奴って××(>>1)だろう」とかなんとか・・・・ハァ・・・・

19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:13:41.41ID:8tEZk4/40
金太郎曰く節穴の会社だな


20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:14:31.34ID:cCDUno9h0
文字通り言葉が出ないってやつだった「・・・・・(よく今まで俺が監督不行き届きで注意されなかったくらいだ・・・)」
今思えば、ちょっと自由にさせ過ぎたのかもしれん。尊敬がどうのこうの私情も入ってたからだと思う
んでここはガツンと言ってやろうと、オダジョー戻るまで待ってたのよ。

24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:20:12.23ID:cCDUno9h0
待ってる間すみれちゃん(仮名)の様子がどうもおかしい。ソワソワしてる。
そして奴が来た。「うぃーーっす、結構並びましたよ。震災の影響っすかね。はい、すみれさん食パン」

こいつは何を言ってるんだ

27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:23:00.57ID:cCDUno9h0
「あれ、センパイ 何でここにいるんですか?何か用事でも・・・?」
「おい、○○(オダジョー)、お前なんだその買い物袋は」「え?・・・買出しっすよ・・・」
「10時半に買出しする馬鹿どこにいるんだ!!!!!!!!!!」 思わず声あげちまった

28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/05(木) 07:23:08.88ID:+pgVWS7D0
オジギリダョー

2012年6月3日日曜日

佐藤一郎: Web日記 (2012年)


もともとは研究用ソフトウェアの開発履歴に関するページだったのですが、開発関連よりも雑談の方が多くなったので、2001年分から別のページを用意することにしました(過去のページの一覧はこちら)。リンクは勝手にしてください(でもリンクしたい人なんているのでしょうか)。それから海外出張の写真一覧はこちらにのせてあります。筆者のプロフィールはこちらです。SNSは苦手なのですが、Twitterもはじめてみました(ichiro_satoh)。なお、このページはRSSに対応していませんが、外部のを使うとRSS購読もできるそうです(当方は関知していません)。下記はあくまでも個人の意見であり、組織を代表するものではありません。

2012年6月1日

とうとう6月。信じられません。今月前半は怒濤の忙しさになりそう。乗り切れるかなぁ。

2012年5月31日

Paxosについて聞かれることがあるので、少々。PaxosはL.Lamportが提案した分散システムの耐故障性をもつ分散同意アルゴリズム。同意アルゴリズムというのは各コンピュータで同じ値を持つことを保証するアルゴリズム。それが簡単なようで難しいのが分散システム。なんでPaxosというかというと、L.Lamportは分散システムにおける故障の問題をビザンチン(東ローマ帝国)における将軍の裏切りにメタファにおいた論文"The Part-Time Parliament"を書き、その後は同種の問題はビザンチン問題と呼ばれ、定番専門用語になったのですが、それの再来を狙ったのか、ギリシャのPaxos島で永遠に議論を続ける逸話にメタファにして、彼の新しい分散同意アルゴリズムを説明したのでした。ただ、この論文は非常に難解。その当たりの背景は彼のノートを見てください。その後に国際会議PODCで、彼自身の簡易なPaxos解説を文章化したのが"Paxos Made Simple"という論文。だから、手っ取り早くPaxosを理解したいならば、こちらを読むべきでしょう。

ちなみに1998年に論文"The Part-Time Parliament"が論文誌ACM TOCSに掲載されたときは、投稿から10年して、引出で発見されたとか、Lamportは考古学者になったとか、ジョークが書かれており、それで話題になりました。というわけで当方も読んでみましたが、まったくというのほど理解できませんでした。もうすこし正しくいうと何をしたいのかという課題設定すらわかりませんでした。

そのあとにLamport自身を含めて数多くの拡張が行われます。そのあたりは分散アルゴリズムとしては面白いのですが、もしPaxosを実装するうえで重要なのはChandraの"Multi-Paxos"の論文でしょうね。"Multi-Paxos"はGoogleのChubbyのベースになったPaxosに関するもの。もうひとつは埋もれていたPaxosを注目されることになったLampsonの論文と、Jim GrayとLamportの共著論文。このあたりは読んでおくといいでしょうね。なお、分散アルゴリズムの研究者は、一般のアルゴリズムの研究と同様に、アルゴリズムそのものよりも、アルゴリズムの証明に注力する傾向があり、実装に向かないアルゴリズムも多いのです。

2012年5月30日

今回の出張は先方持ちということで、前からいきたかった九州国立博物館にいってみる。途中で、高名なマイケル・サンデル教授と話すことになったり、いろいろ体験をすることに。昼過ぎには福岡空港から羽田に移動。

2012年5月29日

福岡で講演。最初の講演なのに時間オーバーして、後の講演に迷惑をかける。反省でございます。

2012年5月28日

午前中は慶大の大学院授業「計算モデル」、夕方は勤務先の大学院「分散システム」。後者はひたすらデータ複製の話。ご参考に授業用資料をここにおいておきます。分散システムではデータ複製は、性能改善及び信頼性向上では必須技術なので、丁寧に教えておかないといけないところ。原始的なPrimary Backup方式(データベース屋さんだとPrimary Copy方式)が妙に詳しいのですが、なんだかんだといって一番多く使われているので、Quorumなど新しい技術を知る上でも、定番手法とその損得をきちんと理解しておくことは必須。

ここ数年は分散システムが実務でも広く使われるようになったためか、特定の流行手法についてだけで、手短に教えてほしいとよく頼まれます。でもそれって教わる方にも、無意味なのですよね。例えば数学でいえば、代数的素養がないのに圏論だけ教えてくれ、といっているので同じ。さらに分散システムで求められる機能の多くは複数の手法で実現できます。でもそれぞれの方法には損得があります。だからそのうちの手法のひとつだけをしっても仕方ない。同じ機能を実現する複数手法を含めて体系的に勉強しないと理解できない。遠回りに見えて、体系的に勉強すべきで、例えば流行の勉強会のように単発または数回の講座でわかるほど浅くない。その意味では大学院などできちんと勉強した方がいい分野。ちなみにこの授業で� ��、上述の資料を90分の授業2回分なのですが、それ以外に補足する論文が5本、論文1、論文2、論文3、論文4、論文5でした。最新知識はどんどんアップデートされていくので、結局、論文をおうしかないのですよね。古い論文も含まれますが、毎年、補足論文は入れ替わっています。

また分散システムはOSほど技術が整理されておらず、技術と技術が独立ではない。例えば二つの技術を例にとります。一つは分散同意アルゴリズムは相違なコンピュータ間で値を共有するためのアルゴリズム。もうひとつは原子ブロードキャスト、これは多数のコンピュータにデータが送信して、受信時に他の通信と順番が入れ替わらないように通信する方法。つまり前者は状態に関するアルゴリズム、後者は通信手法。前者で後者をエミュレートできるし、後者で前者をエミュレートできます。原子ブロードキャストというのは分散同意アルゴリズムと同じで、受信者に同じ値を渡しているわけですから。分散システムの諸技術は一見違うようですが、実は同じだったり、一方が別の技術と衝突したりで、やっぱり体系的に勉強した方� �いいんですよね。

2012年5月27日

論文を読むのは仕事の一部ですが、正直いって、難しくてわからない論文に出会うことが多い。研究者には、難しくてわからなかったということをいわない方が多いのですが(なんでもわかる方もおられるでしょうが)、当方はというと、自尊心というのが希薄なこともあり、難しくてわからなかった論文、自分には難しくてわからなかったと、まわりの研究者にも学生さんにも堂々といってしまう。むしろ、わからないことをわかったふりをすることは研究者としてはしてはいけないことだと思っているから。

逆に学生さんをみていて、伸びない学生さんというのは共通点があって、勉強する場合でも、論文を読む場合でも、自分が理解していること、知っていることを確認するために教科書を読んだり、論文を読んだりしています。受験勉強ならばそれでもよかったかもしれませんが、自分の頭の良さや知識の多さを確認しても意味がない。むしろ、自分がわからないこと、知らないこと、気がつかなかったことを見つけることが大切。その辺のモチベーションの違いが大きな差になって表れますね。

それと独善的に聞こえるかもしれませんが、むしろ自分がわかるか否かを研究の評価軸だと思っています。わからない論文に出会ったら、自分がわからないのだから、わかる人は窮めて少数と判断しています。多くの場合は論文のプレゼンに問題があるのですが、コンピュータサイエンスも深化が進んでいて、難解な理論や難解なシステムは増えています。ただ、難しいと感じるような方法は実装が技術的に難しかったり、また実装する人がいなかったりします。だから難しいということを見極める感覚はたいせつ。

2012年5月26日

ニコンのD800Eを使わしてもらう。レンズは純正の24-70mm f/2.8。正直いって当方の腕では使いこなせない。IRフィルターなしの3600万画素はピント部分とそれ以外がはっきりわかり、オートフォーカスを使うにしても、フォーカスした部分に相当しっかり合焦させないとピントがあってないことが丸わかり。それと一眼レフならば1/30秒ぐらいならば、風などの悪条件でもなければ、ブレない自信があったのですが、解像度が高いのでブレがまるわかり。ISO値を上げて、シャッター速度を稼がないと手持ちはちょっと辛いかもしれません。ミラーの振動を拾ってしまうという話がありましたが、頷ける感じ。人は撮りませんでしたが、わずかな木々の揺れでぶれます。それとF値を大きくすると回折がわかりますね。教科書的には知っていましたが、実感できたのは初めてでした。カメラ雑誌のレビュー ではないですが、使ったのはズームレンズとはいえ、35mm(135)用レンズの限界を超えています。逆に言うとキヤノンが5D-MK3で、画素数を上げなかったのは正しいかも。というわけで次は5D-MK3を借りるチャンスを狙います。でも正直いって大きな一眼はもういいかも。だって重いの辛いから。

2012年5月25日

仕事柄、SI企業のPMさんやシニアSEさんと話すことが多いのですが、自分が関わっているシステムに使われている技術を知らない人が多い。これは研究者にもいえるのですが、技術的にわからないことを、わからないといえないと、どんどんわからないことが増えていく。PMさんだと立場上、技術に精通しているという立場だから、技術上の初歩的な疑問は聞きにくい。そこできかないと、わからないことが上積みされていくんですよね。なんでこんなことを書いたのかというと、最近、比較的若いSEさんでも増えているように思ったから。SI企業が設計工程の上流にシフトするのはいいのですが、下流の技術を驚くほど知らない。恥ずかしがらずに現場に聞けばいいと思うのですが、できないのですかね。最近、SI企業の技術力の低下が指� �されますが、これはミクロ的なことですが、低下の一番大きい要因のではないかと思っています。

2012年5月24日

学生指導を語るほど学生指導をしていないのですが、ひとつだけ決めていることがあって、それは学生さんの研究テーマと自分の研究のテーマは合致させないということ。というのはコードはもちろん、アーキテクチャでも、指導教員のコードやアーキテクチャに不備があっても、学生さんは、どうして「このコードにしたのですか?」、「どうして、このアーキテクチャにしたのですか?」は訊ねられても、「このコードはダメ」、「このアーキテクチャはおかしい」とは言いにくいから。もし指導教員のアーキテクチャやコードに問題があると、学生さんも巻き込むから。それだけは避けたいから。

ソフトウェア系の研究室は、指導教員がアーキテクチャを設計したり、プログラムを書いたりすることも多いのですが、でも指導教員と学生さんの共同プロジェクトでうまくいった例をあまり見ないのですよね。よくあるケースとしては予算プロジェクトの関係で、指導教員が提示したアーキテクチャを学生さんが作っているような場合、上述のような状態になっていることが多いですね。もちろんそれ以外のケースもあるわけですが。

それともう一点を気をつけている点をあげると、学生さんには研究テーマを決めるときに、そのテーマをやめる条件も決めてもらっています。企業に就職するケースでは、学生時代の研究を企業で続けられることは少ないので心配なのですが、アカデミアに就職すると博士論文の研究テーマを引きずる人がいるので。実際、失敗する研究者をみていると、昔の研究テーマをずるずると続けて、時代から取り残されるケースが多いですから。それに同様に取り残される研究者は何人かは残りますから、本人はまわりもやっているからと思って、取り残されていることに気がづかない。逆に能力のある研究者だと、数年後、世の中で流行る研究テーマを予測できるのですが、実際に世の中で流行ったからといって、その研究テーマを続けるか� ��別問題。むしろ世の中で流行ったのなら、企業に任せればよく、アカデミアの研究者はさっさと次のテーマにいった方がいい。

当方自身はというと、新しい研究テーマをはじめるときは、そのテーマをやめる条件項目を作って、それをメモしてあります。その条件に少しでも抵触したら、そのテーマから撤収。各研究テーマの撤収条件は、○○技術で他の研究者に先に行かれたら、××技術が商業化されたらなど。もちろん、先のことはわからないのですが、概して初期の方が冷静に分析できるいるから、昔の自分を信用した方がいい結果を生むみたい。ちなみに当方の場合、各研究テーマでひとつだけ共通撤収条件があって、それは5年間以上は続けないこと。もちろん研究と時間は独立ですが、一方で一人の研究者が研究できる時間は有限ですから、やっぱり時間的制限は必要だと思います。

あとは研究テーマをはじめるときは、その研究テーマの仮説を厳密に定義しておくことでしょうか。研究テーマは失敗することがあるわけで、重要なことは失敗を早めに気づいて方向転換すること。仮説に応じて研究内容を決めているのに、仮説をあいまいに定義しておくと、まわりの状況が変わると、その状況変化に仮説をあわせてしまう。その結果、仮説と研究内容が乖離して、なんのための研究なのかがわからなくなる。だから仮説はなるべく厳密に定義をして、仮説の不備がすぐに気づくようにしておくことでしょうかね。当たり前ですが、仮説を変えるときは研究内容も変わることになりますね。柔軟性を大切だけど、変えるときは変える対象に依存する部分も変えないとダメですからね。

2012年5月23日

取材×3件と来客4組。というわけで時間が細切れ状態でしたが、懸案の書類が進んだのでよしとしましょう。

2012年5月22日

Hadoopとバッチ処理の親和性が話題になりますが、単にHadoopの実行粒度がバッチ向きとかいうこともありますが、個人的には、いまのコンピュータの生い立ちに起因すると思っています。バッチ処理というとメインフレーム、メインフレームというとIBMなのですが、そのIBMの前身は、アメリカ合衆国国勢調査局の技術職員だったハーマン・ホレリスが発明したパンチカードマシンを製造販売するタビュレーティング・マシンという会社。ホレリスは国勢調査局時代(1880年)、国勢調査の集計を手作業で実施しており、10年ほどかかる膨大な作業だったそうです。その後、彼はMITで機械工学科で学んでいるときに、その国勢調査の集計を高速化する方法として、パンチカードマシンを発明しました。それを米国勢調査局を採用して、1890年の国勢� ��査の集計は2年間とかからずに終わったそうです。

パンチカードマシンによる国勢調査では、氏名、年齢、住居種別、人種、肌色、性別などの情報がコード化されてパンチカードに格納されており、それぞれの項目毎にソートされて、それぞれを集計していきました。さてHadoop、正しくいうとそのHadoopの元となったMapReduceによる集計ですが、データはキーと値の組で扱われますが、キー毎にまとめて、それぞれを集計していきます。つまりやっていることはほとんど同じなのです。パンチカードマシンによる国勢調査は保健管理や社員管理に使われることになりました。そしてパンチカードマシンは電子化されて、その後のメインフレームになり、いまのコンピュータにつながっていきます。

何をいいたいのかというと、Hadoopによる集計処理というのは、バッチ処理の原型に近いわけで、Hadoopがバッチ処理の置き換えができるのは当然だといえます。それから米国の国勢調査は近代の国勢調査のさきがけでしたして、おそらく人類史上の最初のビッグデータだったと思われます。なお、ある講演でホレリスのパンチカードマシンを例にMapReduceの説明したことがありますが、見事にすべりました。というのはホレリスの名前はもちろん、パンチカードマシンを見たことのない方がほとんどでしたので。

それから本「IDの秘密」には「国勢調査、ID、そしてビッグデータ」という幻の章があったのですが、これはホレリスとパンチカードマシンがマイナーなことに気づいたことが大きいのですが、タビュレーティング・マシン社のその後の会社の方に書いていいか打診したら、強く拒否されたこと(拒否理由は話せないとのことでしたが、もしかするとナチスがパンチカードマシンを使っていたという噂に関係があるのかなぁ)、ページ数の問題から削除となりました。

2012年5月21日

出張疲れが残っていますが、午前中は慶大の大学院の授業。先週は授業前に雑談を話したのですが、クレームを付けられる。ということで授業の本筋だけを話す。授業で話す内容や技術が社会でどのように使われているのか、この授業は計算モデルなのですが、ソフトウェア開発やSIなどで使われることが多いので、企業におけるソフトウェア開発が最近どのような状況で、その中で計算モデルがどのように使われているかは話しておいた方がいいと思って話したのですが、この大学の学生さんは本筋以外のことは望まないようですし、特に実学的な話題は一切不要とのこと。それに情報系が専門でなくても、SI屋さんに就職する方の比率は結構高いはずで、計算モデルの授業でなくても関係あるはずだけどね。このあたりは大学のカラー というか、生徒気質が出ますね。なかなか興味深い。ただ、授業の本筋だけならば書物を読めばいいわけで、授業に出なくてもいいのにね。

2012年5月20日

帰国。成田空港は入国審査場はガラガラなのに、手荷物受取状は劇混み。どうなっているのやら。

2012年5月19日

さて帰国のために移動。まずはマドリッド空港からルフトハンザのミュンヘン行き。それから全日空の成田行き。往路は運良くプレミアムエコノミーにアップグレードしてくれましたが、復路はエコノミー。問題はミュンヘン便は古い機体だからエコノミー席にシート電源がないこと。いろいろお仕事しないといけないので、辛いところ。それにしてもマドリッドは35度の日があったり、今日は昼だというのに15度。すごい温度差でした。

バリトン歌手のDietrich Fischer-Dieskau氏が18日に亡くなったそうですね。実は学会会場の行き帰りに訊いていたのは彼が歌うSchubertの冬の旅でした。Fischer-Dieskau氏は最も好きな男性歌手でしたし、NHK教育テレビで「シューベルト歌う」という番組で講師役を勤めたときは、シューベルトを歌うわけでもないの毎週欠かさずにみていたり。冥福を祈りたいです。

2012年5月18日

国際会議の2日目。なんというか数式がお好きなコミュニティの会議ですね。いきなり数式の説明から始まって、そのまま数式でおわるという状態。それでもいいのですが、ちょっと分野が違うと質疑も、セッション後の議論も絡みようがない。さて会議は昼過ぎにおわって、30分弱でいけるセゴビアにいってみる。

ところで、一昨日の続きですが、スペインから学ぶべきことは多い。例えばスペインは全量買い取り制度(FIT)による太陽光発電の拡大したけど、結局、財政負担急増による取止めで失速。日本も全量買い取り制度が始まりますが、同じ展開になりそう。所詮、補助金に頼った事業は長続きしないし、エコポイント制度に代表されるように補助金が終わったときの反動が大きいですから(世界的にみて、FITを導入して、うまくいった国はそもそもあったのかという感じ。もちろん大失敗した国はいっぱい)。

先日のスペインの地方分権にしても、重複が多くなって無駄が増える、つまり財政負担は増える。それに法人税などにより、自治体間の財源の格差は広がりますし、それを調整する制度を作ったり、既存の地方交付金と変わらない。それとスペインでは地方分権に踏み出す以前から、自治体間で債務状況は違ったそうで、返済どころか、利子負担で財政破綻するリスクもあります。

そして何よりもスペインの地方分権で学ぶことは、一度、地方分権に舵を切ったら、どんな問題が起きても、元に戻すことは非常に難しいということ。実際、スペイン政府は1970年代後半の地方自治制度によって、地方に移譲した権限を中央政府に戻すことを提案していますが、中央政府のお膝元であるマドリッド州知事まで反対しているそうです。中央政府の権限が、役所だけでなく、多方面で既得権益化しているのと同じで、その権限を地方に委譲すれば、地方自治体と地元の一部で既得権益化がおきてくるわけで、元に戻すことは不可能に近いはず。仮に地方分権を進めるにしても、スペインの事例を学んで、失敗しても後戻りはできないことを肝に銘じてほしいところ。

2012年5月17日

国際会議(EAIS'2012)で発表。開催場所の大学の関係者に頼まれたので投稿したけど、学習系、それもその定式化がお好きなコミュニティ。他の発表は数式ばかりで、何に使うのかを説明しない発表が多い。それと関係者が国際会議慣れしていないというか、会議委員長の挨拶から外していて、なんというか。夜はバンケットだったのですが、なんと会場はリアルマドリードのホームスタジアム内のレストラン。

2012年5月16日

今日は代休日ということで、トレドに行ってみる。最後にマドリッドに来てから、1ヶ月半弱だし、どうせならばちょっと違うところへ。トレドはマドリッドからは列車で30分弱の街ですが、トレドはマドリッドに遷都するまではスペインの首都だった古都。中世で時間が止まったような街でした。

スペインの財政危機が懸念されています。前回の出張を含めると10人以上のスペイン人に財政危機問題を訊くのですが、そこで見えてきたのは地方分権の失敗でした。ご存じのようにスペインは大きく分けて、4つのブロックから分かれており、バスクなどは独立運動が起きていますし、バレンシアでは例えばバルセロナで開催された国際会議ではローカル組織委員会が開催地名から、スペインと書かずに、バレンシアと表記したりで、地域毎に向いている方向がばらばら。ということもあって、(スペイン人曰く)1978年の地方自治制度で改革で、スペインは17州それぞれに小国家群となったそうです。例えば首都があるマドリッド周辺は、マドリッド自治州という名称であり、ある種の小国家状態。

地方分権を進めたわけですが、財政効率が悪化した。つまり同じような組織を各州が作るから重複が多く、無駄が多い。日本でも政府集中よりも地方分権がいいという流れですが、地方分権は無駄が多くなります。またどうしても部分最適化されてしまって、それが全体最適化につながらず、国力を落とすことも多い。

さてスペインの話を戻すと、数人のスペイン人が共通して話すのは、スペインの財政危機を解消する最重要条件のひとつは、各州から権限を取り上げることだそうです。もちろん、これだけでは解決できるとは限らないのですが、この問題を残していると財政危機リスクはなくならない。ただ、再集権化はバスクなどの独立志向の強い地域の独立運動を引き起こし、内戦化しかねないというとのこと。実際、1930年代のスペイン内戦という不幸な歴史がある国なので、冗談ではなさそう。

2012年5月15日

全日空でミュンヘン、それからルフトハンザでマドリッド。ミュンヘン便はプレミアムエコノミーにアップグレードしてもらえた。全日空は早割などの安価チケットの乗客は滅多にアップグレードしてくれないので助かります。早割でアップグレードしてもらったのは昨年の8月以来かも。全日空は昨年、プレミアムエコノミーにアップグレードしてもらったけど、結局、機体変更で強制ダウングレードされたことまであったり(しかも説明も一切なかったし)。

2012年5月14日

慶大の大学院の授業。毎年訊かれるのは何枚の課題レポートを書けば単位をもらえるのかという質問。課題を出す前から訊かれてもという気もしますが、もちろん悪意はないのでしょうが、必要以上のことはしたくないというの打算が見え隠れするんですよね。買い物をするのではないのですから、一番安い値段で買いたいと思われても困るし、または就職活動でいうならば自分の価値を一番高く買ってくれるところを探すにしても、まずは自分の価値を高めることの方が先だと思ったり。

夜は勤務先の大学院。さすがにレポート枚数的な質問はないのですが、講義が英語なので10倍ぐらい疲れるんですよね。

2012年5月13日

職場の同僚というか、学生時代の同じ研究室の出身者というか、至近の住人というか、ともかく大切な方の結婚式&披露宴。それにしても縁がありますね。だいたい同じ研究室の出身者で同じ職場は彼しかいなかったのに、期せずして住んでいるところも至近となったわけで。いずれにしても、本当におめでとう。そしてとってもいい結婚式&披露宴でした。ありがとう。それからお土産のチーズケーキおいしかったです。

2012年5月12日

今日は休日出勤はなし。いろいろぐったり。でもいろいろ書類作り。ここ数年は、いかに時間を作るのかが課題になってきている感じですね。ただ、時間を作るためには最終的には何かを切らないとダメなわけで、何を切るかも悩ましい。それと研究者は考えることが仕事ですから、集中して考える時間を作ることが重要課題。それと専門となるコンピュータサイエンスの現状は、現実世界の課題を解決することに注力するしかなく、実アプリケーションの要求を知っている研究者が有利というか、本質的に新しい研究課題が減った現状では、実システムの課題を知って、それを解くことが重要となるわけで、アカデミアの研究者でも実アプリケーションの要求を知れる立場の研究者とそうでないはない研究者の差は埋めようないほど広� ��っていいるのが現状で、いかに実アプリケーションの要求を知るための手段を作るかが重要。逆に言うと実アプリケーションの要求を知り得ないと確実に先がない状態。ただ、当の本人はそれに気づけているかは別問題なわけですが。

2012年5月11日

ビックカメラがコジマを買収。びっくり。それでも売上規模ではヤマダの半分。それもびっくり。でも一番、びっくりしたのは家電量販店が家電量販店を買収したことだったり。駅前や郊外に大きな店を構えて集客するより、通販に力を入れるべきだと思うし、通販業者または通販に強い業者を買収すればいいのにと、素人的には思うのですがね。

2012年5月10日

先月、不愉快な思いをした某大手SI事業者さん主催のセミナーですが、なんと再び講演を頼まれる。中に入った業者さんの問題とはいえ、もうなんというか、さすがにびっくり。こちらも不作法を水に流して、大人の対応したのですから、最低限の大人の対応はしてほしいと思ったり。

2012年5月9日

RFIDの講演。講演資料の提出締め切りが4月上旬。どんな資料を作ったのか、すっかり忘れており、あわてて復習。PowerPointの次のスライドを表示する機能があったから助かったのですがね。ちなみに会場はビッグサイトでは一番大きい会議会場、1000人収容だそうです。実際の客入りは600〜700人ぐらいの客入りでしょうか。

当方のあとは商社の方がアパレルにおけるRFIDタグ活用事例を話されたのですが、アパレルとRFIDタグは、5年ぐらい前に大型倒産した某ITベンダーの一件があり(ここ10年間でIT業界の倒産では負債が一番大きい?)、あまり触れたくない組み合わせ。もちろん、その商社は無関係なのですが、あの倒産にはいろいろ噂もあり、RFID業界及びIT業界関係者だったら冷や汗ものだったはず。主催社は知らずに企画したのでしょうが、もし知っててやったならば、いわゆる炎上マーケティングよりも怖いです。

2012年5月8日

昼間はひたすら雑用。夜は某セミナー。Facebookの話、なんというか、残念というか、さすがに途中で帰ろうかと思いました。ただ、同社のアーキテクチャは知っておいた方がいいので、Facebookのアーキテクチャー図を描いておきます(研究室向けには説明していたりするのです)。あくまでも当方が想像したアーキテクチャなので、正しいかはまったくの謎。

2012年6月1日金曜日

ホロコースト - Wikipedia


ホロコースト(holocaust)は、元来はユダヤ教の宗教用語である燔祭(獣を丸焼きにして神前に供える犠牲)を意味するギリシア語で[1]、のち転じて火災による大虐殺、大破壊、全滅を意味するようになった[2]。現在では、第二次世界大戦中のドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺を指す。英語では、前者2種の意を普通名詞 (holocaust) とし、後者を定冠詞をつけて固有名詞(the Holocaust)として区別している。動詞としても使用されることがある。

[編集] 語源および語の使用の変遷

ホロコーストは「全部 (ὅλος holos)」+「焼く (καυστός kaustos)」に由来するギリシア語「ὁλόκαυστον holokauston」を語源とし、ラテン語「holocaustum」からフランス語「holocauste」を経由して英語に入った語であり、元来は、古代ユダヤ教の祭事で獣を丸焼きにして神前に供える犠牲、「丸焼きの供物」、すなわち燔祭を意味していた[3]。またここから派生した意味に「火災による惨事」があり、一般的にはこちらの方が主に使われていた。のち転じて、全焼死や大虐殺を意味するようになった[4]。

ホロコーストに相当するヘブライ語は「オラー (olah)」であり、「焼き尽くす捧げもの」を意味した[5]。

日本では、永井隆が長崎への原爆投下を「神の大きな御摂理によってもたらされた」とし、原爆投下を「大いなる燔祭(en:Holocaust (sacrifice))」と解釈したこと[6]が論評されている(浦上燔祭説参照)。

[編集] ショア

ホロコーストに相当するヘブライ語は「オラー (olah)」だが、特に「ナチスによるユダヤ人大虐殺」を指す場合は"惨事"を意味するショア (השואה) が用いられる。かつて英語では「ジェノサイド」などが用語として一般的だったが、1978年アメリカNBC系列で放映された長編テレビドラマ『ホロコースト 戦争と家族』("Holocaust")が話題となり、流行語となったこの語が「ユダヤ人大虐殺」を表す言葉として普及した。イスラエルでタカ派リクード政権が発足した後、1985年にはイスラエル政府の資金提供を受けた映画『ショア』が制作され、日本では1995年に上映されて以降、「ショア」という用語が普及した。

[編集] ドイツによるホロコースト

1930年代から1940年代にかけてのナチス政権下のドイツ国内及び第二次世界大戦中ドイツに占領されたヨーロッパの国々において、ユダヤ系市民は差別迫害を受けた。こうした第二次世界大戦中のユダヤ人の歴史について、戦後、ニュルンベルク裁判は、「ドイツはユダヤ系市民をただ、ユダヤ人であるというだけの理由で絶滅しようと計画した」と事実認定し、これを「人道に対する罪」と看做した。更に、同裁判とそれに続いて行なわれた西ドイツでの裁判その他において、そうした民族絶滅計画の手段として、ドイツは収容所に処刑用ガス室を作り、一酸化炭素や青酸ガスによってユダヤ人の大量殺人を行なった、等の事実認定がなされた。

これらの戦後の法廷での事実認定を基に、ジェラルド・ライトリンガー(ドイツ語版、英語版)、ラウル・ヒルバーグ、ウィリアム・シャイラー、等の歴史家が、体系的な記述を行ない、この時代のユダヤ人の運命についての通説が確立された。それが、1970年代後半、アメリカで、テレビドラマ『ホロコースト 戦争と家族』が製作され、ドイツを含む多くの国々で放送された結果、第二次世界大戦中のドイツによるユダヤ人迫害、特に民族絶滅政策の実行の過程を「ホロコースト」と呼ぶことが定着した。(ただし、ユダヤ教徒の中には、神聖な儀式である「ホロコースト」の語をドイツのユダヤ人迫害を指す言葉として使用することを批判する声もある。)

「ホロコースト」という名称は、大戦中から大戦後暫くの間、ユダヤ人の間で、「ドイツはユダヤ人を生きたまま火の中に投げ入れて焼き殺している」との言説が広く信じられたことを起源に持つ。これは、エリ・ヴィーゼルの回想録『夜』で確認出来るが、戦後長い間、「ホロコースト」という言葉は「火事」の意味でしか一般には通用しておらず、例えばアルフレッド・ヒッチコックの映画『北北西に進路を取れ』では劇中タンクローリーの炎上事故を伝える新聞の見出しで「Holocaust」という言葉が使われていた。現在は、教科書にも載っているが、『夜と霧』などの旧来から存在する書籍に「ホロコースト」と言う語が見られないのは、こうした事情による。

通説によれば、ドイツによるホロコーストによって殺害されたユダヤ人は600万人以上とされている。それ以外にもロマ人、スラブ民族(主に戦争捕虜)、共産主義者、ポーランド人、身体障害者、同性愛者なども迫害され大量に殺害されたとされるが、「ホロコースト」と言う語は、ユダヤ人を対象にした大量殺害を指して使われるのが普通で、ユダヤ人の中には、この語を他の民族にも拡大して使用することに、反発する個人、団体がある。

また、それらの行為を認定したニュルンベルク裁判自体が近代刑法における原則である法の不遡及を守らず、被告の控訴も認めず処刑し、中立的であるはずの裁判官が全員連合国から選出され、また、本来は全員が枢軸国側から選出されるはずの弁護団も連合国側から選出されるなど、最初から恣意的な裁判審理手続きを定めた裁判は、近代法に基づく裁判とは完全にかけ離れており、現在のドイツ政府ですら、ニュルンベルク裁判を認めるいかなる条約も結んでいない。こうしたやり方の認定に果たしてどの程度信憑性があるのか、歴史学者の間で議論が続けられている。

こうした歴史について、ドイツがユダヤ人を差別迫害したこと自体は認めながら、通説の見解に疑問を投げ掛ける者もあるが、以下には、通説の見解を要約して述べることとする。(通説への異論については、ホロコースト否認の項を参照のこと。)

まず、ホロコーストの犠牲者の数には諸説あるが、900万から1100万人に上るとも考えられている。

ナチス政権下のドイツによる迫害と殺戮は段階的に行われた。まず、第二次世界大戦の開始より数年前に、ドイツ国内でユダヤ人を社会から除外する法律が制定された。次に強制収容所が建設され、ほぼ全ての犠牲者はそこで死ぬまで強制労働をさせられている。ドイツは東ヨーロッパで新たな領土を占領するたびに、アインザッツグルッペン(de:Einsatzgruppen)と呼ばれる特殊機動隊を使ってユダヤ人や抵抗勢力を公開銃殺刑にしている。

現在のドイツ、フランス、ポーランド、ポルトガル、チェコなどのヨーロッパ諸国において、ホロコーストの否定は刑事罰の対象になる。特に加害者であるドイツでは3ヶ月以上5年以下の懲役刑、被害が最も大きかったポーランドでは罰金または3年以下の懲役刑になるなど、社会的にも最大のタブーとされている。ポーランドではユダヤ人総人口の9割がホロコーストで死滅したとされている。

その一方で、イスラエルと対立する一部のイスラム世界等、直接ホロコーストに関わっていない国や地域においては、「第二次世界大戦中に米英とシオニストの流したプロパガンダに過ぎない」とこれを認めないこともある。当時の公式文書や大量殺戮のためのガス室が発見されていないこと。また、ニュルンベルク裁判でのヘルマン・ゲーリング以下の被告が、虐殺があったことは間違いないだろうが自分たちは大量虐殺に関与していないし、そんな事実も知らなかった。として無罪を主張していたことなどが傍証として挙げられている。特にヒトラーに次ぐ国家的地位にいたヘルマン・ゲーリング国家元帥による「ヒトラー自身もこのような虐殺を知らなかった。」とのニュルンベルク裁判の証言が存在する。

[編集] ドイツによる「ユダヤ人問題の解決」政策

ナチス党政権下のドイツはとくにユダヤ人の殲滅政策 (die Endlösung der Judenfrage 「ユダヤ人問題の根本解決」または die Reinigung 「民族浄化」)を重要視して、約500万から700万人のユダヤ人を虐殺したとされるが、「絶滅」が戦前から「計画」されていた目的であるのか、戦争突入後の状況変化による非計画的なものであったのかは、研究者によって意見が分かれる。

1938年11月にドイツ全土とオーストリアでおきた水晶の夜 (Kristallnacht) 事件、1939年から1941年に優生学思想に基づいて実行された安楽死政策 T4作戦をホロコーストの始まりと定義する歴史家は多い[要出典]。その後、第二次世界大戦の戦局の悪化に伴いドイツは絶滅収容所の導入など、殺害の手段を次第にエスカレートさせていったとされる。

その一方で、「劣等民族」または「不穏分子」としてシンティ・ロマ人(約20万人)、ポーランド人(300万人のキリスト教徒と300万人のユダヤ人)、セルビア人(50万から120万人)、ロシア人、スラブ人、知的障害者、精神病者、同性愛者、黒人、エホバの証人、共産主義者、無政府主義者、反ナチ運動家なども殺害したとされる。ユダヤ人の虐殺のみをもってホロコーストと呼ぶ者もいるが、実際にドイツによって殺害されたこれらマイノリティーの合計は、900万人とも1100 万人[要出典]とも言われる。

2012年5月19日土曜日

自殺の甘い罠:死とは


トップページ ≫ 死とは

 自殺を考えている人に対し、死について簡潔に説明します。

 死とは霊と肉体との分離です。一般的な死とは、霊がこの世(物質界)での役目を終え、肉体を脱ぎ捨ててあの世(霊界・霊的世界)に帰るということです。実は頭を悩ませるほどのことではありません。私たちは本来霊的な存在で、生まれる前に人生計画を立て、それを果たすためにこの世に誕生し、その計画が完了した者から順に死という関門を越えて霊界に帰っていくのです。そして霊界でも引き続き自我と個性とを保ちながら新たな生活を始めていきます。霊はこの世では肉体に、あの世では霊体(幽体)に宿って活動することになります。

 私たちは本来姿形を持たないエネルギー体と言ってもよく、それを心霊学では"霊"あるいは"霊魂"、または"霊的存在"という呼び方をしています。この世で活動している私たちも元々はこのエネルギー体のようなもの(霊)なのですが、この物質界で様々な体験を積むために今は肉体器官に宿っている最中ということです。肉体が自分の本質ではなく、それが自分という意識を生じさせている訳ではないのです。肉体は単に霊的存在である私たちに、この世での活動を可能にさせてくれるための媒体でしかありません。ですから、たとえ自殺で肉体的生命を絶ったとしても、自分という存在を消し去ることはできません。それ故、自殺は自らが抱える問題を解決する手段には決してなり得ないのです。

 私たちがこの世に生まれ、人生を送る理由は"霊的存在としての自分自身を成熟・完成させるため"と言えます。喜怒哀楽・艱難辛苦などの様々な体験を通して霊としての経験値を積み、霊的成長・進化を図るのです。霊にとってこの世を生きることは大きな挑戦でもあります。私たちは自らにそれを課したのです。ですから自殺は他の誰でもない、自分自身に負けるということになります。

トップページ ≫ 死とは ≫ 死の定義

2012年5月17日木曜日

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վ 2003.06.26

2012年5月15日火曜日

Christadelphian Sunday School Unionとは - Goo Wikipedia (ウィキペディア)


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From Wikipedia, the free encyclopedia

2012年5月14日月曜日

あれとは違う!米国:「一夫多妻」実践する教団の農場で、少女ら183人保護--テキサス州 | きになるこまめ


話題としては、4月7日のものなので、ちょっと古いですが気になったもので・・・

アメリカのテキサス州当局は、西部エルドラド近郊で、「一夫多妻制」を実践するモルモン教分派「末日聖徒イエス・キリスト教会原理派」の農場を性的虐待容疑で捜索したそうです。

そして、女性や少女ら計183人を保護したそうです。

町などで、スーツ姿でヘルメットをかぶり、自転車に乗る2人組みの外人を見たことがありませんか?

その人たちは、モルモン教です。

しかし、今回の記事のモルモン教とは違います。

また、今のモルモン教は一夫多妻制を廃止しています。

私の、モルモン教との出会い。

祭りの日です、外人がチラシを配っていました。

そのチラシをみると、無料英会話の案内でした。

無料!

私の大好きな言葉です。

もちろん行きました。

そこにいた外人が、モルモン教でした。

ところで、日本では、オウムの事件以来、今まで以上に宗教とは、うさんくさいものと認識されて入るのでは?

私も、そのように思っていました。

もちろん、その英会話もモルモン教布教の一環です。

と言っても、強烈な勧誘はありませんでした。

かなり親しくなって、こそっと

「教会に遊びにこない?」

って誘われるぐらいです。

場合によったら、まったく勧誘はないかも知れません。

ま~、私も、いろいろなモルモン教信者を見たわけではないので、これが絶対とはいえませんが・・・

2012年5月12日土曜日

ヨハネの福音書21章の黙想


この「ヨハネの福音書21章の黙想」は、もともと私が西船橋教会に招聘された翌年(前任牧師・有賀寿先生の下で伝道師をしていた頃)、イースターの日(1982年4月11日)から7月4日まで13回にわたって週報に連載したものです。(さらに言えば、オリジナルはもっと古く、20代の半ばに母教会の機関紙に掲載した「小説風注解」(!)というのがあります。)

今回、日曜礼拝で90回以上にわたって語り続けてきた「ヨハネの福音書連続講解説教」の一環として、1998年7月第1日曜日から9月中旬まで、10数週かけて21章を説教するにあたって、かつての原稿に手を加えて、同時並行的に週報に掲載しました。一つにはインターネット時代を迎えて、ホームページに掲載できるように原稿を電子化しておきたい、という理由からです。同時に、(週報のスケジュールの関係で毎週掲載するわけにはいきませんが)7月からの日曜礼拝説教と週報連載とが多少後先(あとさき)しながらもほぼ同時進行することにより、私としては珍しく説教アウトラインめいたもの(完全に同じではありません)を公開しながら毎週のお話をすることになりました。

一つの読み物としてお楽しみくださり、「聖書を黙想する」という福音派クリスチャンに欠けがちな聖書理解の一助としてください。

「復活の主」

「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、 もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。 (ヨハネの福音書21:1)

第2次大戦中、連合軍がナチス・ドイツ軍の必死の抵抗に阻まれながらもヨーロッパに上陸、ベルリンに向けて侵攻を開始した時、全世界は、戦争は事実上終結したことを知りました。

もちろん、その後何か月にもわたり激しい戦いは続きました。数々の犠牲と空襲、殺害、飢えと寒さと破壊と悲しみは繰り返されました。けれども終わりは確実に近づいていたのです。この事実を疑う者は誰一人――おそらく狂気のヒットラーを除いては――いませんでした。幕は下り始めていました。恐怖のショーは終わったのです。

今、私たちクリスチャンが置かれている状況はそのようなものです。

主イエスが、堅く閉ざされた墓の封印を打ち破られた時、勝利は決定付けられました。主イエスは「その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださ」(ヘブル2:14〜15)ったのです。イエスは「すでに世に勝」(ヨハネ16:33)たれました。そして私たちクリスチャンを「導いてキリストによる勝利の行列に加え」(第二コリント2:14)てくださっています。私たちは今、復活の主イエス・キリストと共に勝利の行進を続けているのです。

しかし、自分が勝利の軍団の一員であるとは思えない時があります。「自分」というレベルの局地戦ではひたすら敗走を続け、孤独と無力感とを味わわされることがあります。

けれどもその時でも、大局を見失ってはいけません。今、自分の限りある目で全体像を把握できないにしても、私たちはこれから死闘を繰り広げなければならないのではなく、勝利の行進をしているのです。そのことを信じ、認めなければなりません。ですからクリスチャンの戦いは、本質的に<信仰の戦い>です。「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」(第一ヨハネ5:4)。旧約聖書の信仰者たちについて言えば、彼らは確かに悲しみの人でしたが、同時に、彼らはまた、勝利を信じて疑わない信仰の勇者たちでした(ヘブル11章)。

今、復活の主イエスはガリラヤ湖畔に立って、再び弟子たちの前に――特にペテロとヨハネの前に――そのお姿を現そうとしておられます。弟子たちの問題と弱さを取り扱い、解決し、信仰の勇者として立たせ、個人戦での勝利者とするために、です。

「漁火(いさりび)」

「シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。シモン・ペテロが彼らに言った。『私は漁に行く。』…」(ヨハネの福音書21:2〜3)

首都エルサレムの喧騒の中で焦燥の日々を過ごしたばかりの弟子たちにとって、花々の美しく咲き乱れる故郷ガリラヤの春はひたすら美しく、心なごませるものでした。

弟子たちはそこで、主イエスの再びおいでくださるのを待っていました。自分たちのいのちが危ういエルサレムにおいてではなく、ガリラヤで、主は新しい使命を自分たちに与えてくださるはずでした。

主イエスの訪れを待つ数日間、ペテロの心には解決されていない一つの問題が残っていました。あの事件に主はまだ触れておられなかったのです。いつか必ずその話題が出てくることは分かっていました。主イエスが逮捕され、裁判にかけられた夜、「イエスなど知らない」とのろいのことばを口にしてまで自分の身の安全を図った、あの裏切りの件の解決無しに新しい使命が与えられることはありそうに思えなかったからです。

主が何と言われるか――きっと赦してくださるであろうにしろ、どう扱われるか――、患者が医者を信頼して身を委ねるにしても、未知の治療法に不安がないわけではない、そうした気持ちに似た、重苦しい感情に捕らわれたままで、ある日の夕暮れ、食事を終えたペテロは、ひとり湖のほとりにたたずみました。岸辺のここかしこに、夜の漁に出て行く小舟の姿が見えます。

それは、かつての自分の世界でした。親の代からの漁師としてその世界で精一杯生きていた自分が、召されて新しい世界に入ったものの、結果は無残でした。今一度あわれみにより新しい使命に召されたとしても再び失敗しない保証はありません。もう一度、自分の力を確認しておきたい…。漁に出て、自分の専門の領域で自分の力を確認しておきたい…。

「私たちもいっしょに行きましょう」――いつしかペテロのかたわらに来ていた他の弟子たちも思いは同じでした。

やがて、彼らは舟を出します。

弟子たちが漁に行ったことについて、伝道者としての生活をやめて自分たちの元々の職業に戻ろうとしていたのだ、いや、その日の食糧を求めて漁に行ったに過ぎないのだ、といった議論がなされます。

けれども、このどちらの見解も、向かうべき方向を見失った議論です。弟子たちは、自分たちの最も得意な領域で自分たちの力を(それはとりもなおさず自分という存在を)確認したかったのです。みじめで無力な失敗者として自分たちの慕う主イエスに会うのではなく、それ以前に何とかして何者かになっておきたかったのです。

夜の湖にひとつ、漁火が増えました。網を打ち、懐かしい獲物の手応えを感じ取ろうとし、…「しかし、その夜は何もとれなかった」。

自分の無力さを認めず神の前で何者かになろうとする試みは、失敗せざ るを得ないのです。

「夜明け」

「夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。」 (ヨハネの福音書21:4)

自分たちの専門分野での失敗はみじめです。夜が明け、漁に最適の時間が過ぎ去り、自分たちに収獲は何もなかったと分かった時、弟子たちは無言のまま舟を岸へと向け始めました。

こんなことはよくあったことだ、昔だっていつも大漁というわけにはいかなかった、収獲のない日はいくらでもあった、――そういくら自分に言い聞かせても、それが何の説得力も持っていないことは、弟子たち自身がよく分かっていました。漁はもはや彼らの世界ではなかったのです。

過去の世界には固く戸を閉ざされ、新しい世界には不安とおののきと挫折感を味わわされたままで、ペテロは舟の片隅にうずくまっていました。

水しぶきとも汗ともつかないものが彼の裸のからだをぬらし、次第に明るさを増してくる四方の風景さえ、もはや心休まる故郷の風景ではなく、見知らぬ異邦の世界とも思えるものでした。

その時、近づきつつある岸の薄闇の中に淡く一つの人影が浮かびました。

その人影から声が発せられます、「若者たちよ、何か魚(さかな)はあるのか」(5節)。「若者たちよ(パイディア)」(新改訳では「子どもたちよ」)という語は、イエスが「子よ」と親しく呼びかけてくださる時のことば(マタイ9:2等々)とは少し違って、労働に従事する者への呼びかけの意味もあります。

2012年5月10日木曜日

十戒 (映画) - Wikipedia


『十戒』(じっかい、The Ten Commandments)は、1956年のアメリカ映画。歴史映画。

「旧約聖書」の「出エジプト記」を原作として制作されたスペクタクル映画。セシル・B・デミル監督。出演はチャールトン・ヘストン、ユル・ブリンナーなど。海が割れ、その中をモーセ一行が進むクライマックスシーンはあまりに有名。上映時間232分。

[編集] ストーリー


注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。免責事項もお読みください。

2012年5月9日水曜日

戦争はなぜ起きるのか: 「シリウスに向かって飛べ!」 神か悪魔か イシス


「シリウスに向かって飛べ!」
言うまでもなく、スタジオジブリの名作『風の谷のナウシカ』の有名なセリフです。

シリウスは女神イシスの星であり、
イシスはまた、ナウシカのように青き衣を纏った大地の女神でした。

「その者、青き衣を纏いて、金色の野に降り立つべし、失われた大地との絆を結び、
ついに人々を清浄の地へ導かん」

宮崎作品のどれもが、密儀の教えや哲学がテーマとなっている、
それが宮崎作品を見続けてきた感想です。

清浄なるものとは密儀のイニシエーションを受けている者を言い、
清浄ではない、つまり不浄なる者とはわれわれ非参入者のことを言う。
聖書の創造主を悪魔とするグノーシス派は、自分たちを清浄なる者と呼んだ。
清浄の地とは、神の意思によって浄化されたこの地上世界、
聖書で言う「洪水後の世界」である。

崖の上のポニョとはいったい何のことか、
我々は一度よく考えてみるべきだろう。

以前にも書いたが、
ポニョの制作風景をまとめたドキュメント番組において宮崎駿監督が
「俺の物だとか、誰の土地だとか、いっそ洪水で全部流れてしまえば清々する」
などと言っていたことを、私は思い起こしてしまう。

確かに、欲深い現代人には耳の痛い話だが、
洪水後の日本では聞き流すわけにも行かぬ。
私は当初からこの発言を問題視していたが、
それから少し時間が経ち、本当に津波が日本を襲うとは思ってもいなかった。
宗教研究家としては、この事態を予知できなかったことは恥ずべきことだ。
そして、津波が起こることを予知していた人たちがいるということについて考えている。

古代エジプトやギリシャでたいへんな信仰を集めた、
イシス=デメーテル・コレーの儀式の聖地エレウーシスは、
キリスト教徒によって破壊された。
その破壊を先導したのはキリスト教の聖職者達だった。

地球海世界が軍事力によってキリスト教一色に染め上げられてゆく中、
イシス=デメーテル教徒らが、グノーシス派を形成していったと考えることは、
ごく自然なことだ。
キリスト教はローマ帝国やゲルマン民族の軍事力を利用し、
異教徒たちを抹殺していった。

レアはクロノスとひそかに契りあいましたが、
それが太陽神の知るところとなり、彼はレアの呪いをかけて、
いかなる月にもいかなる年にも子を産むことなかるべし、と申しました。

ところがこのレアをヘルメスが愛して交わり、
それから月と将棋をさして勝ち、
彼女の輝きから七十分の一を取り上げ、
その取り上げた七十分の一を五日として集めて、
360日に付け足しました。

この付け足された五日を、今日のエジプト人は閏日と呼び、
神々の誕生日として祝っています。

第一日目にはオシリスが生まれ、その誕生と同時に声が響き、
「万物の主なる神、光の中に進みたもう」、と言ったと申します。
テバイで水汲みをしていたパミュレという女が、
ゼウスの神殿からこの声が響いてくるのを聞いた、という人もあります。

この言い伝えですと、その声は
「大いなる王にして恵みの施し手オシリス、今生まれたまいぬ」、
と呼ばわったということです
そこでパミュレは、クロノスが委ねてくれたことでもあるし、オシリスを育てました。

2012年5月8日火曜日

†「神に望みを置くように」 | IChurch Kitakami


7月 10, 2011

聖書:創世記30:25-34

導入 富と信仰

 

主イエスは空腹の時に悪魔の誘惑を受けて、神の子なら石をパンに変えてみろと言われた時、こう答えました。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』

生活に必要とされるものをひとつひとつはぎ取られていったとしても、最後の最後で永遠にいのちを保ってくれるのは神のことばだけです。

とは言っても、私たちは普通にこの世界に暮らし、食べるものも着る物も住む家も手に入れなければなりませんし、そのためにこの世の富をささやかではあっても手に入れるために働かなければなりません。

特に長い不況と言われ、さらに震災の影響でこの当たりでは仕事の時間や休みのサイクルも大きく変わって、労働環境は悪くなっているようです。

そういう中で私たちは何とか生き延びようと必死になるわけですが、同時に信仰者として「人はパンだけで生きるのではない」ということをどのように、具体的に実践できるのかと問いかけられています。

今日の箇所でもヤコブは持ち前の計算高さを大いに発揮して故郷に帰るための資金作りにいそしむワケですが、いったいどんなことを学び取ることができるでしょうか。彼の富を手に入れる計算高さと信仰とはどう関係していたのでしょうか。

 

 

1 腹の探り合い

 

嫁たちの醜くも哀しい競争によって大家族となったヤコブは、とっくにラバンとの契約期間が過ぎていました。

ラケルと結婚するために7年働き、結婚式を挙げてみれば与えられたのは姉のレア。それでラケルも妻としてもらうかわりにさらに7年間追加でラバンに仕えることになっていました。

ヤコブにしてみれば、十分すぎるほど仕えて来たはずです。何しろ、これまでの働きは妻を得るためのものなので、報酬らしい報酬は受け取っていませんでした。普通ならヤコブほどの働きをしたらとっくに自分の家を持っていてもおかしくはないほどに、彼が生み出した富は莫大なものでした。

それでヤコブはラバンにここを離れて故郷に帰りたいと申しでたのです。

それは当然の願いです。ラバンのずるいやり方に辟易としていたということもあるでしょうし、そもそもここにずっといるつもりではなく、いずれは故郷に帰るつもりで旅立ったのです。それ以上に、神ご自身がヤコブを祝福し、アブラハムへの約束の後継者として必ず連れ戻すと言って下さったのです。

ヤコブはかなり強い口調でラバンに要求したことが、もとの言葉の使い方から判ります。ラバンの婿養子、あるいはしもべという立場でしたから、ラバンの許可は必要であったものの、決意は固かったのです。

ヤコブは家族を連れて故郷に戻るのはこれまでの働きからすれば当然の報酬と主張しています。

一方ラバンは、例によってずるがしこく立ち回ります。

2012年5月6日日曜日

国民日報連載に連載された金圭東牧師の証し - ヨハン教会のキリスト教入門


国民日報連載に連載された金圭東牧師の証し                                                   

[2000年7月24日に献げられたヨハン東京教会入堂式のテーブカットの様子]

ヨハン東京キリスト教会(ヨハン早稲田キリスト教会)の入堂式までに至る道のりは正に、主の御業である。

国民日報に連載された金圭東牧師先生の証を掲載する。

「愛する聖徒の皆さん、ついに皆さんの手によって建てられた教会で神様に礼拝を献げられるようになりました。皆さん、これまで大変お疲れさまでした。」「私達も教会ができた」とマイクでも持って日本列島を飛び出して叫びたい心情であった。地上5階、地下1階の教会は、それまで居場所がなく渡り島のようにさまよいながら礼拝を献げた私達を、温かく迎え喜ばしく思っているようであった。

2012年5月5日土曜日

有期労働契約について(2)有期労働契約の問題点|知っておかないと損をする中小企業経営の為の法律情報 法律コラム|J-Net21[中小企業ビジネス支援サイト]


 前回は、有期労働契約の現行制度の概要をお話ししましたが、今回は有期労働契約に関する問題点について説明します。

【有期労働契約の実態と役割】

 有期契約労働者の数は近年増加傾向にあると考えられ、厚生労働省が行った実態調査によれば、有期契約労働者の平均更新回数は5.7回、平均通算勤続年数は3.2年であり、7割程度の事業所が雇止めを行ったことがないとしています。契約更新を11回以上行っている事業所や勤続年数が10年を超える事業所も1割程度あるなど、一時的・臨時的ではない仕事について有期労働契約の反復更新で対応している例も見られます。

 有期労働契約の問題点は、主に労働者の側で、雇用の不安定さ、労働条件の格差、キャリア形成が困難であること等があります。また、雇止めを背景に、労働条件の切下げが容易に行われたり、年休取得等の労働者としての権利行使が阻まれたりする懸念があり、実際にそのようなトラブルも発生しています。使用者側が有期労働契約を反復更新する理由は、契約を打ち切るフリーハンドを確保し、処遇格差を正当化するためではないかとの意見もあります。

2012年5月3日木曜日

【イスラム教】ツイッターで預言者ムハンマドにタメ口で話しかけた文筆家が逮捕。死刑も視野に : はちま起稿



1 名前:七難八苦φ ★ 投稿日:2012/02/13(月) 15:13:47.99 ID:???

預言者ムハンマドにツイートして逮捕・送還 サウジの文筆家


(CNN) 簡易投稿サイト「ツイッター」上でイスラム教の預言者ムハンマドに対等に話し掛けるかのような発言をしたとして、サウジアラビア当局から逮捕状が出ている同国の文筆家、ハムザ・カシュガリ氏が12日、滞在先のマレーシアからサウジへ送還された。

マレーシアの国営メディアなどによると、カシュガリ氏は先週のムハンマド生誕祭にあたり、ムハンマドへ向けたツイート(投稿)として「好きな面と嫌いな面がある」「あなたのために祈ることはしない」などと書き込んだ。ツイートはその後、削除されている。

2012年5月1日火曜日

イスラーム


*イスラームとの出会い
イスラームに関しては、わたしもまだムスリマではないし、まだ自分の中でも整理がついてないことが多いです。よってはっきりとした意見もありません。だから他人に偉そうに言えることは何もないなぁと思い、ゆっくり作っていこうと思っています。ごあいさつで書いたことはイスラームをまだ学問的に見ているから言えることなのかもしれません。それにボーン・ムスリムではないのでやはりボーン・ムスリムの考えることや感じることとはかなり違う捉え方をしているのだと思います。

エジプトに住むようになって嫌でも意識しなければならないことがありました。それがイスラームです。1日5回のアザーン(礼拝への呼びかけ)や、アラビア語の言葉そのものにもイスラームが絡んでいます。たとえばアッラーのつくフレーズ の多さですが、アルハムドゥリッラー(アッラーのおかげで)、インシャーアッラー(アッラーが望むなら)、マーシャアッラー(すばらしい)、ビスミッラー(アッラーの御名において)、タワッキル・アラッラー(アッラーに任せなさい)、ワッラーヒ(アッラーに誓って)など、アッラーを使った言葉を今思いつくだけ挙げてみてもこんなにあります。イスラームは人々の生活と密接に関わりあっている宗教なのです。何かを始める前にはビスミッラーと言い、無事に済めばアルハムドゥリッラーと感謝の気持ちを述べる。人に会えばアッサラーム・アレイコム(あなたの上に平安あれ;こんにちは)と言い人と別れるときにはマァッサラーマ(安全とともに;さようなら)と言う。アラビア語を勉強するうちにいつしかわたしもイスラームに興味を示すよ うになりました。ちなみにアッラーとはアラビア語で神(God)を表す名詞に定冠詞のalがついたものであり、特定の神の名前ではありません。日本でときどき耳にする「アッラーの神」という表現は不適切です。

*モスク体験記
幸運なことに日本にもアラブ人の友だちがわりと近くに住んでいるため、モスクに行ってみる?と誘われたときはびっくりしたが行ってみることにした。人生で初めてモスクに入ったのは日本の神戸モスクでした。でもその日は既に礼拝時間は済んでいたので、モスクの中を見学してバシバシ写真を撮っていた。そこへイスラーム関係の本を翻訳しているという外国人男性に会い、なぜモスクに来たのかとか、なぜイスラームに興味を持ったのかとかを聞かれた。そしてイスラミック・センター・ジャパンが発行している冊子を何冊かいただいた。その後それを見ていた日本人女性の方に声をかけられ、今でもイスラームのことをいろいろ教えてもらっています。

2回目のモスクでは一緒に行っているアラブ人の友だちがたくさんの友� �ちと久々に会ったらしく、お互いとても嬉しそうにしていたのが印象的だった。そして一緒にいるわたしにも「アッサラーム・アレイコム!!」と言ってくれた。このとき、ムスリムの団結力は強いなと感じた。礼拝は男性は1階、女性は2階で、そのアラブ人の友だちは男性だったため、別れることに。うそーん!どうしよ、一人だわ…と心細く、おそるおそる2階の礼拝スペースに入った。そのときは外国人女性とその子供、日本人の女性が3人ほどいた。その中の一人がわたしに「アッサラーム・アレイコム!」と言ってくれたのでわたしもおどおどしながら「ワ・アレイコムッサラーム…」と答えた。そのときはまだ今のようにイスラームを自分の中でうまく処理できてなく、アッラーってだれ??と超意味不明なことばっかり考えていた。そ� �ためその日は礼拝はせず、みなさんの礼拝を見学していた。一人めちゃくちゃ緊張していた。

それから何度かモスクには足を運んでいろんな人と知り合った。日本人の方もいらっしゃるし、パキスタン人の女の子とも仲良くなった。初めてわたしが礼拝に参加したのは7,8回目のときだったと思います。その前にエジプトに長く滞在していて、いろんな人にイスラームのことを教えてもらったら、自分でも不思議だったがすんなり受け入れられた。だからお祈りをしたいと思った。それ以前は本ばっかり読んでいて八方ふさがりに陥って煮詰まっていた。でもエジプトに行って見て聞いて感じたイスラームは、わたしの心に直接訴えかけてきたのだと思います。日本に帰ってきてモスク行こう!!と思った。自分でもびっくりした。一緒に モスクに行っているアラブ人の友だちも「マーシャアッラー!!」と大喜びでした。

2012年4月30日月曜日

ゼカリヤ書13−14章


1A 罪と汚れの清め 13
   1B 偽預言者の除去 1−6
   2B 試される民 7−9
2A 着座される王 14
   1B 高められるエルサレム 1−11
      1C 立たれる主 1−5
      2C すべての王 6−11
   2B 主の宮への参拝 12−21
      1C 敵の間の恐慌 12−15
      2C 仮庵の祭り 16−21

本文

 ゼカリヤ書13章と14章を学びます。ついにクライマックスが来ました。ここでのメッセージ題名は、「主が来られる」です。

1A 罪と汚れの清め 13

 13章は、12章の終わりの続きになります。エルサレムの住民のために戦う主を彼らが見たら、それは先祖が突き刺したイエスでありました。それで彼らは、とてつもない罪を犯したことで激しく泣きます。その嘆きは、イスラエルの指導層、そして一般の人々、あらゆる人々に及び、しかも、家族の中でも一人ひとりが個人的に泣き、表面的ではない、徹底した霊的覚醒が起こります。

 13章はその後の続きです。

1B 偽預言者の除去 1−6
13:1 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。

 12章10節に、主が御霊を彼らの上に降り注がれることが書かれています。その注ぎによって、彼らはメシヤがイエス様であることを悟るのですが、それにともない、罪と汚れを清める泉も開かれます。もちろん、この泉はキリストご自身です。キリストが流された血が彼らの心にも注がれます。こうして彼らは、今私たちが経験する御霊による新生を経験するのです。

 御霊の洗い清めについては、例えばテトスへの手紙にこう書かれています。「神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。(テトス3:5)」また、コリント第一6章11節には、「主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。」とあります。

 イエス様がこの御霊の新生についてお語りになった時、ユダヤ人指導者のニコデモは理解できませんでした。「どうして、そのようなことがありえるのでしょう。(ヨハネ3:9)」と答えています。そこでイエス様は尋ねられました。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。(同10節)」イスラエルの教師であれば分かって当然のこと、そうです、旧約聖書の中にこのことがしっかりと書かれているのです。

 エゼキエル書36章を開いてください。エゼキエルは、36章からイスラエルが回復する幻を見ます。36章には、彼らが土地に戻ってくることの約束が、37章には彼らの国が再び建てられることの約束、そして38章と39章には周囲の敵がイスラエルを攻めるが、神が介入してくださり、彼らが救われる約束です。それぞれの約束で、最後に、「わたしは彼らをきよめる」という約束も神は与えてくださっています。

 その一つを見たいと思いますが、36章25節からです。「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。(25-27節)」

 ここで大事なのは「心」です。私たちは自分の行ないを改めようと思っても、心が堕落しているので罪を犯さざるを得なくなっています。けれども神がご自分の霊によって私たちの心、そして霊を新しくしてくださるなら、私たちは神の命令に従うことができるようになります。それはもはや、その側の律法の行ないではなく、神を個人的に知っている愛の関係のゆえに可能となります。

 今度はエレミヤ書31章を開いてください。ユダが堕落してしまい、もう神に従っていくことはできないと神は判断されました。それでユダをバビロンに捕え移されることを決められましたが、けれども神は、新たな約束を与えてくださっています。「見よ。その日が来る。・・主の御告げ。・・その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。・・主の御告げ。・・」

 神は、「新しい契約」と呼ばれています。新約聖書という言葉はここから来ていますが、イエス様が最後の晩餐において弟子た ちに杯を回された時、「これは、あなたがたのために流される新しい契約の血です。」と言われました。イエス様は、ここのエレミヤの預言のことを思いながら、そうお語りになったのです。

 どうして、「新しい契約」と呼ばれているのでしょうか?その前に契約があるからですね。それがシナイ山のところで主がイスラエルの民に与えられた契約であり、律法に基づくものです。けれども、イスラエルの民はずっと律法に背きつづけ、今、戻ることができない所まで来てしまいました。続けて読みましょう。

 「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。・・主の御告げ。・・わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となる。そのようにして、人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。・・主の御告げ。・・わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」(以上31-34節)」モーセは二枚の石の板をもってシナイ山から降りてきました。けれども律法やもはや、石に刻まれている文字ではなく、心に刻まれるのだ、と言われるのです。先ほどのエゼキエルの預言と同じです。

 そのため、どう書いてありますか?「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」です。もはや、律法と言う規則を守って主とつながろうとする主人と僕の関係ではなく、妻が夫を知っているように、子が父を知っているように、個人的な、人格的な関係に入るのです。

 そして神様は、罪の完全な赦しを宣言してくださっています。もう思い出さない、とまで言われます。「でも神様は、私はこんなに酷い罪を犯しんですよ!」と訴えても、「何 それ?」と言われるだけです。もう二度と思い出さないのですから。

 このように、すばらしい御霊の新生がイスラエルの人々に与えられます。

13:2 その日、・・万軍の主の御告げ。・・わたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。

 偶像と偽預言者らが取り除かれます。まず偶像についてですが、既に10章2節で偶像がイスラエルに終わりの時に至るまで存在することを見ました。現代のイスラエルにも、偶像はたくさんあります。実際に東洋神秘に凝っている人々は多いし、また不品行も充満しています。イスラエルでは、売春は合法、中絶も部分的に認められており、異邦人の国と何ら変わらない状況です。

 そして終わりの時にも偶像があります。黙示録9章には、底知れぬ所から出てきたいなごのような、さそりの毒をもつ悪霊に苦しめられ、そして二億人の軍隊が世界の人々を殺しますが、それでも「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。(20-21節)」とあります。

 そして何よりも、獣、反キリストの国そのものが偶像礼拝です。反キリストが聖所の中に入り、自分こそが神であると宣言し、そしてもう一匹の獣が獣を拝むように仕向けます。獣の像を作り、その像がものを言うようにさせ、この像を拝まないものは殺しました。

 そして偽預言者です。偽預言者と「汚れの霊」が共に語られていますが、これは偽りの教えには、必ず悪霊がその背後にいるからです。パウロが言いました。「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。(1テモテ4:1)」

 そして偽預言者らが、終わりの時、特に大患難の時に、イスラエルの残りの民を惑わすことをイエス様は警告されました。「そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。(マタイ24:23-24)」これも、今のイスラエルはあらゆるカルトを受け入れている現状を見ると、その徴候を見るのです。けれども、彼らが殺されます。

13:3 なお預言する者があれば、彼を生んだ父と母とが彼に向かって言うであろう。「あなたは生きていてはならない。主の名を使ってうそを告げたから。」と。彼を生んだ父と母が、彼の預言しているときに、彼を刺し殺そう。

 これは申命記に書かれている戒めです。偽預言者は殺されなければいけないのですが、それが家族の間から出てきたら、その家族が殺しなさいという命令です。「あなたと母を同じくするあなたの兄弟、あるいはあなたの息子、娘、またはあなたの愛妻、またはあなたの無二の親友が、ひそかにあなたをそそのかして、「さあ、ほかの神々に仕えよう。」と言うかもしれない。これは、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった神々で、地の果てから果てまで、あなたの近くにいる、あるいはあなたから遠く離れている、あなたがたの回りの国々の民の神である。あなたは、そういう者に同意したり、耳を貸したりしてはならない。このような者にあわれみをかけたり、同情したり、彼をかばったりしてはならな� ��。必ず彼を殺さなければならない。彼を殺すには、まず、あなたが彼に手を下し、その後、民がみな、その手を下すようにしなさい。(申命13:6-9)」

2012年4月28日土曜日

イースターとパスオーバー - ..one Lovely Day


4月8日はイースターですね。特別にうちは何するってわけではありませんが、あちこちでウサギや卵型のお菓子が売られているのし、イースターのお楽しみにしようと思って、少しずつ買い足してます。

イースターは、十字架にかけられて死んだキリストが、復活したことをお祝いする行事なので、再生の象徴である卵、そして多産・繁殖力の象徴であるうさぎがよく使われます。キリストは3日目に生き返ったので、イースター前の金曜日はキリスト受難のグッドフライデー。

そしてイースターそのものは、もともとはユダヤ教のPassover(過越し祭)からきています。この時期はイースターを祝うクリスチャンと、パスオーバーを祝うユダヤ人で混ぜ返しているわけですね。

Passoverは、神に導かれたモーゼが、奴隷であったユダヤの民を解放し、エジプトから脱出し、晴れて自由の身となったことをお祝いする行事です。

2012年4月26日木曜日

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2012年4月25日水曜日

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2012年4月23日月曜日

Pastorまことの聖書一日一章 2 - Part 3


<朝のディボーション>
 ツァラアトのきよめの儀式が丁寧に書かれている。ツァラアトは、罪そのものであるというわけではないが、罪の型として示されている。
ダビデがバテシェバとの関係で姦淫と殺人の罪を犯し、苦悩していた時に、「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう」(詩編51:7)と語ったのは、決して、この儀式とは無関係ではなかった。手に負えない、罪ののろいは、ツァラアトに苦しむことに重ね理解されるのである。
 もちろん、ツァラアトばかりではない。人間を死にねじ伏せる病は皆、私たちに罪ののろいの何であるかを考えさせるものだろう。人間がいかに罪に対して無力� �あり、罪の故にすべてを失おうとしているか、その現実を思い知らせるのである。
 ただ日本人は、そのような罪をなかなか感じることができない。しばしば罪は、恥とすり替えられてしまう。何か社会的に不名誉なことをした時に罪を犯したのだと考えてしまう。あるいは、人には知られたくない悪事が暴かれた時に、社会的な制裁を加えられるような事態に陥った時に、それを罪として感じるところがある。しかし、それは世間の目を気にし、世間の基準から外れてしまったことへの羞恥心であって、神の前に自覚し、悟らされ、自ら恥じ入る罪とは違う。だから、信仰を持って、クリスチャンとしての歩みをするにしても、常に気になるのは、神の目であるよりも、牧師の目であったり、他の信徒の目であったりで、人前での宗� ��的な体裁を整える程度の、人間的な次元での歩みに留まることがある。真に内実を変えていく信仰というのは、人の目を意識しているだけではだめで、神に出会うことなくしては不可能なのである。罪というのは、神の基準にそぐわぬこと、自らを神とすることにその本質がある。神の前における人間的な奢り、高ぶりがそうであって、それが、いかに私たちの人生を汚し、私たちの人間関係を破壊し、さらに、私たちの生産活動、慈善、奉仕の一切をだめなものにしているかに気づかねばならない。私たちが気づけば、私たちの人生が変わる。
<夜のディボーション>
 罪人がきよめられる時の儀式に、キリストの十字架による救いの型があると言われる。土の器に入れた湧き水の上で小鳥のうちの一羽を屠るというのは、イエ� ��キリストの受肉、つまり神が人となられ、エルサレムの町の外、ゴルゴダの丘において、私たちの罪の赦しのために十字架にかかり、死なれたことの象徴である。また、もう一匹の鳥が、その血を受けながら空に放たれることは、キリストの復活の象徴である。
 興味深いことに、宿営に戻された病人は、全焼のいけにえと罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえをささげることを許されているが、同時に、祭司の任職に似た儀式を受けるように定められている(14-20節)
祭司の任職においては、その血を祭司の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗る。それによって祭司は、いけにえと同一視され、罪人である自身に死に、新しく復活した者として奉仕することが象徴された。右の手は、力の象徴である。だから血 塗られた耳たぶは、神のことばを聞くために、同じく手は神の奉仕に携わるために、足は、主の庭を歩くために聖別されたことを意味していた。また油注ぎも、聖別のための聖霊のバプテスマを意味するものであって、それらは、主の奉仕者となすために、なくてはならないものであった。
きよいということは、品格が整えられる以上に、神の奉仕者としてふさわしくされる、ということだろう。品性のきよめを意識する者は律法学者がそうであったように、結局は自分を誇りとする罪の中に舞い戻ってしまうのである。しかし、神の奉仕者として自分が救い出され、きよめられたことを意識する者は、神に生きることを望みとする。罪から救い出されるということは、神のしもべとなり、神の有用な器となることである。宿営の交わ� �に戻されるということは、その人が、変えられた者となったからこそである。罪から立ち返った者であればこそ、変えられた者として、きよいと宣言された者として神に生きることを覚えて歩みたいものである。

<朝のディボーション>
ツァラアトの診断と処置について。これは、新改訳の第二版までは「らい病」と訳されたもので、ツァラアトはヘブル語の音訳である。この疾患の典型的な症状は、「患部の毛が白く変わり、その患部がそのからだの皮膚よりも深く見えている」こと、つまり毛の色の白色変化と患部のへこみにある。伝統的にこれは、新約聖書時代や中世のヨーロッパで大変な苦悩をもたらしたハンセン氏病のことであると解釈されてきたが、現代では否定されている。そのため、新共同訳では、「らい病」という言葉を避け、「重い皮膚病」と訳し、また、英訳聖書のNIVでは「伝染性皮膚病」(infectious skin diseases)と訳されている。確かに47節以降、このツァラアトという疾患は、人間に生じる病理的な現象だけを意味するのではなく、衣服にも壁にも出てくる症状なのである。
翻訳の難しさは、単純に、別の国のことばには置き換えられない、ことばの意味の幅があることだろう。まして年代差のあるものについては一層複雑で、現代の用語にそう単純には置き換えられない。そういう点から見ても、単純にハンセン氏病とは置き換えられないということにもなるのだが、かといって、「重い皮膚病」も苦しい訳である。「重い」というイメージがあるからだ。むしろ、「伝染性皮膚病」も、47節以降の衣服のツァラアトが、人間に伝染するとは考えられていないようであるから、これも難しい。大切な点は、人間にしろ、衣服にしろ、こ� �疾患が「拡大」、「浸潤」するということなのだろう。そういう意味では新しいことばかもしれないが、「浸潤性皮膚病」と言ってもよいのかもしれない。
 ともあれ13章は、このツァラアトと他の病気、火傷、疥癬、湿疹との区別について語っている。このような紛らわしい病との識別は、祭司の重要な役割でもあった。おそらく、疾患の診断はだれにでもできたことなのだろうが、決定的な診断は祭司の役割とされた。
<夜のディボーション>
 この浸潤性皮膚病に罹患した人は、「衣服を引き裂き」「髪の毛を乱し」「叫ばなければならない」(45節)とされる。それは、罪の罰として神から与えられる病、と考えられていたので、悲しみを表現するためである。彼らは死人と同じようにみなされ、宿営の外に暮さなくて� �ならなかった(46節)。
この個所を、ただ、こうした病理的な判断基準を述べていると読んでしまったら、それまでなのだが、神がその識別を教えられた象徴的な意味を汲み取ることもできるだろう。というのも、この病の性質は、罪の性質に通じるところがあるからだ。「皮膚に広がってきたら」とあるように、しばしば罪は一つ二つというものではなく、私たちの生活全体に浸潤し冒すものである。また、「彼は汚れているので、ひとりで住みその住まいは宿営の外でなければならない」とあるように、罪は人間関係を遮断し、共同体から人を追放してしまう性格を持つ。私たちのうちにある罪が、私たち自身を、また私たち自身の人間関係をも変えてしまうのである。 
イエスは、そのような罪人の私たちに哀れみを示し、私 たちの罪の赦しのために十字架にかかってくださった。本来ならば、宿営の外に、永遠に放り出されてしまうはずの、私たちが、神のあわれみの対象とされたのである。イエスは、人々が忌み嫌い、遠ざけたツァラアトの病人に、手を伸ばしてさわり、「私の心だ、きよくなれ」(マルコ1:44)と癒されている。ここに、不治の病、救いがたい罪の囚われの中にある人々に対する希望がある。
神のもとに行き、自分の罪の現実を知ることは、もはや終わりを意味するのではない。たとえその罪が浸潤性であり、一層根の深い絶望的な症状を呈しているものと判断されることがあっても、神にはこの罪を取り扱う力がある。神に近づくところに、新生の希望がある。いつでも、自分自身の問題を神に持ち来たって、神の取り扱いを受ける心� ��持ちたいものである。